Ep.51-2 世界の中心
◇◆◇
茶話会は午後九時ごろでお開きとなった。
これといって特筆すべき点はない……。
皆、思い思いに楽しんでいたのではないかと思う。私も柄にもなくはしゃいでいた……。
ビスケット、ミルフィーユ、チーズケーキ、シュークリーム、タルトタタン、ブリオッシュ、ラングドシャ……。
高級そうなマホガニーの机に所狭しと並べられた菓子類(フランスのものが多いのは先輩の出自の影響だろう)を紅茶のティーカップと共に片付けながら、私はふと、この光景に既視感を覚えた。霧崎先輩の家に招かれるのは初めてなはずなのに……。
わ に ね、友 ち が ない。 れも たしを い等な 在と て ってく ない……
また、鋭い頭痛……。聞こえる筈のない途切れ途切れの声……。甘いものの食べ過ぎ、だろうか……。
食器を食洗器にかけ、終わるまでの暇つぶしに薄暗い廊下へ出た。雪城さんは部屋の隅で微睡んでいる。沢渡さんは忙しそうにテーブルクロスをはたいている。先輩の姿だけが見えなかった……。
「広い廊下だなあ……」
今どき邸宅もないだろうが、霧崎先輩の家は正しく霧崎邸と呼ばわるに相応しいだけの威厳と風格を備えていた……。トイレから出て、洗面台の鏡を見ていると……。
それは正しく不意打ちだった。
バスルームの鏡のなか。虚像のなかで、二人の少女が揺らめていている。正面から抱き合い、互いの身体を貪っていた……。何処か捕食にも似たような……。蛹が蝶へ羽化するように、少女から女へと変わる過渡期にある、瑞々しい肉体……。薄い唇と唇が重なり合い、互いの手は制服のスカートの中へと伸ばされていた……。
か細い声で愛の声を囁き合う二人……。
霧崎道流先輩と、もう一人は……。
行方不明なはずの、小野寺先輩?
好意の行為は半ばで中断された。不意に、揉み合うように一方が拒絶する素振りを見せたのだ。それから何か、言い争っているようだ……。
何でこんなものが見えるのだろうか……? 記憶の齟齬? 自我の拡張? 何故私が知るはずのない情報が頭に伝わってくるのだろう……。
現実なのか、夢なのか……。
真実なのか、嘘なのか……。
今日一日、夢みたいな現実と真実みたいな嘘が重ね合わさっていて、すっかり見分けがつかなかった……。頭が痛い……。
暫くして、先輩が戻って来た。
もう十分に親睦を深め合えたと思うのだけど、先輩は食後の散歩に私たちを
◆
「ここは……夢の名残なんだ」
恍惚とした表情で、先輩は言った。
「確かに、なんか、ノスタルジーとか感じちゃいますね」
雪城さんが形だけ同意するが、内心引いているのが私にもわかる。
どこまでも、現実感のない、閉園する予定の、遊園地の跡。
夢の終わり。
最果ての場所。
「先輩、廃墟マニアやったん? ちょっと意外やわ」
沢渡さんは呑気にそんなことを言っている。
先輩は雄弁に語った。君たちは今が一番美しい。私はその美しさを何より尊いものと思う。この先の人生で何があっても、きっと死の間際に思い出すはずの美しい瞬間は今、ここなんだ……。私は朦朧とする頭で聞いていた。
「あのぅ、私、門限あるので……そろそろ……」
雪城さんが申し訳なさそうに切り出した。
鬼気迫る語りに圧倒されてしまったようだった……。
「まあ、そんなに時間はとらせないよ。すぐに終わらせるからさ」
霧崎先輩は後方にある、珈琲カップのソーサーの遊具を顎で示した。
その中に入っているのは……いや敷き詰められているのは……
白骨化した死体だった。それが四つ。
頬のあたりにまだ肉が残っているのもある。
「あ、小野寺先輩だ」
間の抜けた声で、私は呟いていた。
死体の一体。もうすっかり蛆に集られて顔の半分は千切れかけていたけれど、それは間違いなく、副会長の小野寺
雪城さんが耳を劈く悲鳴を上げ、沢渡さんが息をのむのが分かった。
「偽物……レプリカやね、それとも映画の特殊メイク? へえ、よう出来とるなあ。本物かと思いましたわ。余興でウチらを驚かそーて、そうゆう魂胆やんな、先輩?」
沢渡さんは震えながら笑った。笑いながら震えていたのかもしれないけれど、どちらにしても同じことだった。
私たち三人は、その場の毒々しい雰囲気にのまれてしまい、なす術亡く立ち尽くす他なかった……。
雑木林の腐葉土のような、発酵した匂いが鼻を衝く……。
耳元で執拗にぶんぶんと唸る、蜜蜂のような羽音……。
「君たちは、どうしても他人に立ち入られたくない領域って、ないかな? どんなに気心の知れた相手でも、そこに踏み込まれたのなら容易くこれまでの全てを自ら決壊させてしまうような」
そこに土足で踏み込まれたら、思わず殺したくなってしまうような……。
誰も答えない。ただ呆然と立ち尽くしている。
それにね、もう後戻りなんて出来ないんだ……。そんなことを、最後に彼女は呟いていた。
「さあ始めようか。命懸けの鬼ごっこを。90秒数えるよ? それまでに出来るだけ遠くへ逃げてくれ……」
先輩の腕の中で、ナイフがきらめいた。
「冗談ですよね、冗談なんですよね、先輩……? だってこんなの、おかしいですよ、先輩がこんなの……死体なんて……おかしいですよっ!」
震える声で、ヒステリックに叫ぶ雪城さん。
失踪した女の子たちは援助交際をして妊娠して揉めて云々はやはり彼女の身勝手な憶測だったようだ……。現にここでこうして物言わぬ躯になっているのだから……。
私はどうしてこんなことを考えているのだろう……。
「キミが私の気持ちを冗談半分で踏み躙ったというのなら、私のすることも、やはり一種の冗談なのだろうね……」
青ざめた顔で、雪城さんは虚空を見つめている……。
沢渡さんは弾かれたように、駆け出した。私たちも後に続く。
深夜の………人気のない遊園地を走る。
閉園予定だから当然なのだけど、一部の施設では塗装が剥げたり基盤が崩れていたりして、如実に此処が「終わった場所」だということを突き付けてきた……。
かつて憩いの場であったはずの薄暗い遊園地は、牢獄のように、外界へと私たちをしっかりと逃がさないよう閉じ込めているかのよう……。闇に浮かぶカラフルな外壁でさえも刑務所の鉄条網のように見えてくるのだから不思議だ……。
「大丈夫や……ウチがついとる。心配することあらへん。先輩も、少し疲れてるんやろ……」
全然話さない私のことを見かねたのか、沢渡さんが肩を叩いて、声をかけてくれる。よく日に焼けた、陸上部でも駿足な彼女。敷地を全力で走れば、助けを呼べるのではないだろうか……。
放課後の教室や閉店後のレストラン、深夜の大通り……。
あるべきものがそこにない、どこまでも不気味な空間……。
視界の大半が濃い闇で覆われ、行き場のない遊園地も、立派に仲間入りをしていると言えた。
怖くないわけではない。寧ろ心の底から恐怖している。それなのに、感覚が追い付いてこない。
すぐ近くで、地を蹴る音がした。
それが、永い悪夢の幕開けだった。
ミラーハウス。
お化け屋敷。
メリーゴーランド。
観覧車。
蠟人形館。
屋外プール。
ジェットコースター。
施設と施設の間を縫うように逃げ惑っていた。
闇夜にてんでばらばらな足音が煩雑に響く。
ご丁寧に、防音設備も完璧。叫んでも助けが来るかも怪しい。試しに近隣の皆様に助けてと叫んでみようかとも思ったが、寝静まった街に声が届く前に先輩に居場所を知らせるだけなことに気付いて口を噤んだ。案外、冴えているのかもしれない……。引きずられるようにして二人の女子と深夜の遊園地を逃げ回りながら、そんなことを考えていた……。
私たちの存在は、こんなにも簡単に世界に覆い隠されてしまう……。
前だけを見て、走ることを固く誓ったそのとき――――
本当に一瞬の出来事だった。
先頭を走る沢渡さんは物陰から飛び出した誰かに喉をばっさり切られて、殆ど首が捥げたような状態になってしまっていた。人形のような動作で、道に倒れ込む。
沢渡さんの駿足は、確かに逃げるのには最適だった。けれど、目の前の刃を躱すには、彼女は少し速度を出し過ぎていた。
間欠泉のように迸る血を浴びながら、霧崎先輩が姿を現した。
「まずは一人……」
縺れるようにして私たち二人は逃げた。「ついてくんじゃないわよ役立たずっ!」と前を走る女の子が叫んだ気もするけれど他にどうすればいいのか分からなかった。開け放しになっている展望スペースの非常階段を駆け上がる。何処にも逃げ場なんてないのに、闇雲に藻掻くように、上へ上へと進む。踊り場の辺りで、ローファーが片一方脱げた。小石が靴下越しに足に食い込んだ。先ほどから断続的に下半身に鈍痛が走る。どうやら生理が来てしまったようだ……。そう言えば明日は天城さんからデートの誘いを受けてたのだった。タイミングの悪い……。私はこれから死ぬのだろうか。女性ばかり不公平だ……。その可能性は高いだろう。連城さんなんかは私が殺されても逆に張り切って捜査に乗り出しそうだ……。いくつもの考えが錯綜した思考が綯い交ぜになった頭を抱えながら、程なくして吹き抜けの最上階へと辿り着いた。
冗談みたいに綺麗な星空と、街を一望できる夜景が広がっていた。私は下腹部を押さえながら、暫しの間、その風景に見入っていた。規則的な靴音が近付いてくる。
死が 音を立てて やってきた
「あ、あのっ」
上ずった声で、雪城さんは懇願していた。跪いて、涙ながらに訴えている。
「私、まだ17歳で。最近やっとカレシが出来たばかりで。大学にも進学したくて。東京にも行ってないし、それに、まだ、やりたいことが他にたくさんあって……」
沢渡さんの死を眼前で、観てしまったからだろうか……。彼女は随分と取り乱しているようだ……。
「死にたくないんです! こんなところで死にたくないんです! いやあぁぁぁ」
錯乱しているのか、ゼンマイが切れた玩具みたいに、嚙み合わなくなった胡桃割り人形みたいに、雪城さんは「シニタクナインデス」を繰り返していた。本物の機械になってしまったようだった……。彼女は暫くそうしていたが、急にぐるりと私の方を振り返って制服のブレザーを掴むと、ガラスの破片を私の喉元に押し当てた。その拍子に勢い余って鋭利な切っ先が喉をぎざぎざに切って、生暖かい血が伝った……。
「私を殺すのならコイツを殺します。本気ですから」
こんなことをして何の意味があるのだろう……。
事実、霧崎先輩自身も戸惑っているようだ……。
雪城さんの横顔には作り物のような歪んだ笑顔が張り付いていた……。
人間、恐怖が限界を超えると笑うしかなくなるというのは本当らしい……。
どくんどくんと脈打つ心臓。生理で疼く下腹部。汗が滲む手のひら。スカートの中はぐっしょりと濡れている……。
私は何で、こんな馬鹿みたいに冷静なんだろう……。
ふと、我に返る。急速に思考という思考が冷えていく。
今朝から意想外のことが起こりすぎて、感覚が麻痺してしまったのか。
そうか、だから外見上は平静を装っているけど、本当は怖くて堪らないのだろう。
今こうしている数秒間のやり取りも、宇宙の数十億、数百億、途方もない歴史の前では数瞬にも満たない出来事なのだろうと考えるとおかしくなった。何をそんなに必死になっているのだろうか。ゆるやかに時間発展する波動関数が記述する世界では、きっとここで私が死んでも地方の新聞記事を小さく飾るだけだ。紗希さんには申し訳がないけれど、やはり私は生きる力が弱いらしい……。
目を瞑った。走馬灯とかは特に流れなかった。後悔することも期待することも特にないらしい。霧崎先輩でも雪城さんでも私を殺したいのなら殺せばいい。何もかもを投げ出して流れに身を任せよう。運命とやらに身を委ねよう。
熱いもので視界が霞んだ。鼓動が早い。瞼の裏が熱い。下半身が痛い。
誰かが叫んでいるのが聞こえる。
ゆっくりと目を開けた。
雪城さんが驚愕の表情のまま固まっている。
開け放たれた扉から、現れた、ある人物を見て、
「なんで、こんなところにまで現れるのよぅ……! この、ストーカー!」
か細い声で、幽霊でも観るかのように怯え切った表情で、よくわからないことを叫んで、雪城可菜はだらしなく腕を下げかけた。
私は力一杯に首に巻き付いた雪城可菜の腕を振り払った。
バランスを崩し、よろめいた雪城さんの前には、霧崎先輩のナイフがあった。
それを躱そうと、彼女は身を大きく捩った。
展望台の手摺は老朽化が進んでいたらしい。
雪城さんの姿が一瞬だけ闇の中に浮かび上がり、すぐに手摺の向こうに消えた。
程なくして果実か何かが弾けるような音が聞こえ、展望台は再び静寂に包まれた。
展望台には、私と、先輩と、そして新たに、見覚えのない男の人が姿を見せていた。
私は叫んだ。もう、遠慮なんてする必要は何処にもなかった。
「たすけて! たすけてください!」
物憂げな表情で彼は言った。「今度は……間に合ったみたいだね」
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