五十二節 「清算」
Ep.52-1 過去との訣別
夕陽が彩る最後の決戦の場を、皐月が彼女の方へと一歩一歩歩いていく。
「八代みかげ……いえ、敢えて、こう呼びましょう。しぐれさん。あなたは過去に囚われている。奴隷と言ってもいい。あなたは……神なんかじゃない。ただの可哀そうな……人だ」
朱鷺山しぐれの顔をした八代みかげ……元は同一人物なのだから当然なのだが……は頬を歪ませ、
「開幕から言ってくれるね。君は、いや、君たちは、自分の立場というものが理解できているのかい? ボクが手を少し鳴らせば、君たちは跡形もなく消え去るんだよ?」
「ならそうなさればいいじゃないですか」
不意打ちのような発言だった。皐月はしぐれ(彼に倣って、僕もこう呼ぼう)の反応を確かめることもなく、どんどん距離を縮めていく。あと、二十メートルもない。
「早くボクたちを消し、新しい世界を始めればいいじゃないですか。次のゲームを行えばいいじゃないですか。何故、そうなさらないのです?」
もっともな疑問だった。どうして神となったしぐれは、自分の思うように世界を作り替えなかったのか。それとも作り替えた世界に、満足がいかなかったのか? 作り返すという行為そのものに、意味や価値を見出せなくなったのか?
「……暇つぶしだよ」
しぐれは答える。苦しい言い訳だった。
「あなたは最初から、ゲームを操っていたわけではなかった。ボクたちの行動を全て操り、純粋なゲーム版の駒として扱うことも出来たわけです。でも、そうしなかった」
皐月は歩きながら続ける。
「あなたは、その結果を見たかった。物語の最後のページをめくり、先に真相を覗くことはしなかった。あなたはね、物語を見たかったんです。しぐれや僕が勝ち抜くシナリオを、いや、今回限りかもしれないそれ以上のものを、その目で観たかったのでしょう?」
物語を「観る」ことが、みかげの終極的な目的?
その意図は果たして、何処にあるのだろうか?
皐月は何かを、決定的なものを掴んでいるのだろうか?
「しぐれさんが言っていました。あの金時計は、朱鷺山家に代々伝わる、とても貴重なものなのだと。あなたがそれを持っていたと知ったとき、僕にはわかりました。あなたは、「朱鷺山しぐれ」であることを捨てきれていないんだ。過去に未だに、しがみついている」
しぐれは両手を固く握りしめている。
「……どうしてだかわかりますか?」
皐月の真意は分からない。ただ、機械的にしぐれを挑発しているだけのようにも思える……。
「それはあなたが、神などではないからです。契約者たちに権能を与え、悪魔たちを統括したものこそが、神だと思っていた。ボクたちは思いこまされていた。あの悪魔はね、こういったんです。神が天上から遣わした、と。あなたのいる場所は、天上ではなく、ただの神殿でしたよね? あのおもちゃ箱のような……」
「……黙れ。この際ね、ボクが本当の神かそうでないかはどうだっていいんだ。重要なのはね、今この瞬間、君たちを消し去ることが簡単な力を有しているという一点、ただそれだけなんだよ」
「でもあなたは、そうしない。一向に僕たち二人を消し去ろうとはしない。何故だろうか、ずっと考えてみたんです。自分なりにね。そして辿り着きました。二人で話して、やっと分かった。しぐれさん、あなたは周さんに期待している」
その言葉は衝撃だった。僕が? 何を? 皐月があの悪魔から僕の出自を聞き及んでいたことは想像に難くないが、何故、僕が……。
「正確には、周さんを創り出した奇跡……三神麻里亜さんに、でしょうね。このゲームにおける最大の謎、それは何故、あなたが周さんの存在を、イレギュラーの存在を看過したか、です……」
「面白いと思ったからさ。変化のないゲームにおける、軽い刺激だよ」
「そんなことで彼女の気持ちを踏み躙られたら堪らないな。僕は……」
思わず言葉が口を付いて出た。麻里亜を侮辱されるのは、自分自身がそうされることよりも重い苦痛となって僕を押し潰した。だが……
「周さん、待ってください。ここが一番、重要なんです。しぐれさんは今、重要なことを言いました」
「軽い刺激なんて言われたら、僕は……」
彼女の覚悟は、想いは、けして軽いものではなかったはずだ。僕は他の誰よりもそれを知っている。
「違います、その前です。「変化のないゲーム」と言ったでしょう?」
ああそうか。そう言うことか。つまり皐月が言いたいのは、しぐれに突き付けたいのは。
「あなたは奇跡を起こす誰かに自分を救って欲しかったんだ。この変化のない地獄のゲームの螺旋の中から、誰かに救い出してもらいたかったんだ」
☆
生暖かく乾いたビル風が、僕らの間を幾度か駆け抜けた。三つ向こうのマンションでは主婦が洗濯物を取り込んでいる。オフィス群の奥の透明な会議室では、今まさに新商品の開発が行われているのかもしれない。
そんな世界の進行の片隅で、僕たちの物語が終わろうとしている。
「もう言いたいことが分かりますね?」
それは、僕としぐれ、どちらに向けられた言葉だったのか。それとも全てを見通してなお超然として笑うあの悪魔の側にいた彼には、最初から見通されていたのだろうか。僕の秘密が。
「周さん……いえ、三神麻里亜さん。最後のお願いです。彼女を、救ってあげてください。ボクも、覚悟を負います。ボクにだって、責任の一端がありますから」
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