四十八節 「消滅」
Ep.48-1 あのかなしいわたしを呼ぶ声
◆
「ねえ、聞くだけ聞いてよ。ひょっとしたらまだ、私たち、助かるかもしれないよ」
朱鷺山しぐれは八代みかげの姿で、舞台の僕たち二人に話しかけた。何処か頼りなさげにへらへらと笑って、でも何故か不思議と、説得力のある、確固たる意志を持った決意の光が彼女の双眸には宿っていた。
「……もう、何もかも終わりましたよ。彼女はもう、この世界にはいません。過去、ボクたちの暮らしていた世界に戻って、また、何かを終わらせる気だ」
「終わってなんかない。逆。これから始まるんだよ」
彼女は言葉を切り、ふう、と息を吸い込んだ。平坦な胸が小さく上下し、衣服越しでもわかるほどに肋骨が浮いていた。痛々しくて、今にも萎れて崩れ落ちそうな身体で、彼女は続けた。
「体を入れ替えられたとき……。一時でも意識を共有したからわかるの。
八代みかげは、まだ完全な状態じゃない。身体を乗っ取ったからと言って、すぐに万全の状態で動けるわけじゃない。
世界を再編するのにはまだ、時間が足りていない。
まだ、私だった身体から、あの哀しい私の声が聞こえる。
もう、こんなのは嫌だって。助けて欲しいって」
彼女の紡ぐ言葉のいくつかは、頑なに僕の理解を拒んだけれども、それでも、彼女が懸命に、最後の力を振り絞って、僕たちに何かを伝えようとしていることだけは、わかった。
「私たちも過去へ飛べばいいの。ここから世界を、巻き戻すの。回ってしまった歯車を、動き始める前に戻すの」
「……何を言っているんですか。そんなこと、出来るわけがないでしょう」
皐月が心底呆れた顔で言う。彼でも取り乱すことこんな表情を見せるのかと、少し意外だった。
「……続けて。今は、しぐれの言う可能性に賭けてみよう。それで、どうやって「世界そのもの」を巻き戻すんだい?」 僕は促した。
「私の、私自身の身体を巻き戻す。……「物体そのものの時間」を巻き戻せることは、一度実験済みだよ。一度、アリスちゃんにかけられた手錠をそれで解いたことがあるもの」自らの身体を掻き抱くような仕草で、しぐれは言った。
そんな話は初耳だった。それじゃあ、彼女は、既に一度経験しているわけだ。時間を遡るという行為そのもの、因果を塗り替える過程そのものを。
思えば、朱鷺山しぐれの権能は、正しく、上手く運用しさえすれば破格の類いだ。幸か不幸か、前線に出たがらない彼女の気質が影響して目立ちはしなかったけれど、本気で撃ち合えばあの葉月とも肉薄していたのだから。時間流の加速と、巻き戻し。神にも等しい、因果の調律。ただ、それだけだっただろうか……。
「それで、あなたが過去に戻って何を出来ると言うんです? そんな死にかけの、今にも消え去りそうじゃないですか。無茶を言うのは止めてください」
しぐれのアイデアを笑い飛ばすように、皐月は力なく笑った。今や立場が逆転していた。弱かったはずのしぐれの方が、強い語気を持って、彼を引っ張っている。敵とはいえ、硬直していた関係が変化するのは喜ばしいことだった。そんなことを漠然と、俯瞰した視点で、考えていた。
「忘れたの? あなたの権能は、その場にいる全員での権能の強制的な共有化。
それだけで、もう、決まったようなものじゃない。
私たち三人で、過去に戻るの。まだこのゲームが開催されていない、される前の世界へ。八代みかげが、私が飛んだ一か月前の……この世界へ」
「発想が突飛過ぎませんか。そんなことで、過去の世界へ跳べるとでも? 童話の薬みたいに、僕たち全員の身体が赤ん坊のように小さくなって無くなって、それで一貫の終わりかもしれないんですよ」
「それだったら仕方ないわ。そのまま世界が終わるのを、何もせずに待つだけよ」
彼女は強くせき込んだ。喉から乾いた音が出た。
「昔読まされた本にね……自分の限界が世界の限界だ、みたいな格言があったの。
その通りだと思うわ。
私は世界。世界は私。
世界は、私が観ているもの、触れているもの、感じ取っているもの。
そんな感覚の、認識の束。概念の集合体。
じゃあ、この世界全部を、私そのものとして認識したら?
残骸とはいえ、八代みかげの身体を得ているからわかる。まだ「彼女」が入っていた時の意識の名残が、認識の残滓が、色濃くこの身体には残っている…………」
「それは単なる言葉遊びですよ。語り得ないことを騙っても、仕様がないでしょう。境界は歴然としてありますよ。ボクたちと「あの」朱鷺山しぐれでは、あまりにも差がありすぎる。もう、終わったんですよ。何もかもが……」
項垂れて、か細い声で僅かな言葉を繋ぐ皐月には、もう、運命に抗う気力は、残されてはいなさそうだった。
「終わらせたいだけでしょう。あんたが、勝手にさ。あんたはさ……私を利用してた。葉月を……自分の姉を倒すために、私を助けて、私と手を組んだ。自分の目的が果たし終わったからって、腑抜けてるんじゃないわよ」
「しぐれさん、あなた、そんな強気でしたっけ……。分かってるんですか? 無理ですよ、もう、無理なんです。諦めてくださいよ……諦めましょうよ」
「何回でも言うけど、諦めてるのはあなただけでしょう。こちとらね、諦めることにはもう、うんざりなのよ。それに、忘れたの? 私の方が、あんたより年上だから」
それから彼女は。
彼女は、眦を下げて、自分自身に言い聞かせるように、これから辿る運命を自分で確かめるように――続けた。
「八代みかげの身体は、この身体はもう永くは持たない。
私――もうすぐ死ぬの。
もう、これしかないよ
…………お願い」
朱鷺山しぐれは弱弱しく顔を上げて、どこか儚げに微笑んだ。
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