Ep.49-2 遺された時間


      ◆◇◆

 

 夜、机に向かって明日の課題を解いているとき、ふと気まぐれで計算してみた。

 

 日本人女性の平均寿命は、だいたい87歳くらい。

 私は一月ひとつき前の誕生日で、ちょうど17歳。

 大過なければ、大雑把に言って70年は生きられるわけだ。


 70年……それが、


 ……25,550日。

 …………613,200時間。

 ………………36,792,000分。

 ……………………2,207,520,000秒。


 呆れるほど冷めた計算だった。ノートの片隅に書いた細かな計算を乱暴に千切り、小さく丸めてゴミ箱へシュートした。……外れた。


 とにかく、泣いても笑っても、だいたいあと70年。まあ、十分すぎるほどに多いと言って差し支えない数字だ。何だか変な表現だけど、そう表すのがふさわしい気がした。世間では大抵の大人が私たちくらいの年齢の子を指差して羨ましがったり、「貴重な時期なんだから」とか諭したりしてくる。正直よく分からない。大人になれば私もそう感じるのだろうか。多分、感じない気がするけれど。


 平凡に、平穏に、平坦に続いていく毎日。

 ともすれば永遠に感ぜられるかのような。

 けれど絶対に永遠でないし不変でもない、

 不可視のところで変化があるはずの日々。


 その限られた時間の中で私たちは生きるしかない。別々の世界で、別々の人生を。

 進学し、就職し、結婚は……ちょっと私の性格的にできるかどうか分からないのでなるべく考えないようにしているけれど(もししても子どもはあまりほしくない)、まあそんなところだろう。

 

 既に両親と兄は事故で亡くなり、命の儚さなんて、ありきたりな言葉で表しきれるものでもない通過儀礼イニシエーションを経ているからか、私は同年代の子たちと比べて幾分か冷め過ぎているようだった。そんなわけで死への生々しい恐怖も生への狂おしい関心もなく、当たり前の毎日を過ごしている。特段楽しいとも思わないけれど、辛くはない、そんな日々を送っている。充実していると言えば充実しているし、満足していると言えば満足している。そう考えると恵まれてる方、なんだろう。

 

 それはけして思春期の少年少女にありがちな特別な意識の発露とかそういうのではなく(そう思いたい)、きっと私という人間の根幹に関する問題なのだろう。


 あと70年の人生で取り立ててしたいことなんて殆どない。前向きな意味でも後ろ向きな意味でもなく、本当にそんなことを考えている余裕なんてないのだ。現実逃避の時間は切り上げて、私の注意は目下、先ほど携帯に届いた一通のメールにどう返信するかに向けられていた。


 とにもかくにも、今はメールだ。受けるにしろ断るにしろ、文面を考えないと。


 今年度から生徒会に属することとなった私の歓迎会も兼ねて、会長が生徒会の面々を招いて明日の夜から自宅でパーティーをするのだと言う。

 平たく言えば身内同士の懇親会だ。私も小さいころ……小学生低学年くらいか……お菓子パーティーだかパジャマパーティーだかをクラスの女の子たちと微笑ましくしたような記憶もあるが、十年以上前の昔の自分と今の自分なんてもう、別人みたいなものだ。あまり当てにはならない。私はこの誘いに、きっと緊張していた。


 副会長の小野寺おのでら先輩は先月から行方知れずだから、必然的に不参加だろう。

 会計の沢渡さわたりちゃんと庶務の雪城ゆきしろさんは会長にぞっこんだから恐らく、というか確実に来るはずだ。

 ……穴埋め的に書記の私。どうしたものだろうか。今後、生徒会員として共に働くからには。


 小型犬みたいに明るすぎ、ハスキーボイスな沢渡ちゃんはともかくとして同じ中学から女学院に来た元同級生の雪城さんとは少し話してみたかった。私は人付き合いの良い方ではないけれど、偶には久闊きゅうかつじょするのも悪くはないだろう。


 懸念はもう一つあった。よりにもよってこんな時期に、わざわざ夜遅くに、懇親会を開かなくてもいいのでは、ということだ。


 二か月ほど前から、私の住むこの街では、物騒なことに突然行方不明になる女生徒が幾人かいた。

 本当に、突然止んだ雨風みたいに、ある日いなくなってしまうのだ。私の通う学院でも何人か、消えてしまった子がいる。寮生が二人、実家通いが一人。

 地方での寂寞とした暮らしに飽いての家出や許されざる恋人との駆け落ちなんて可愛らしい理由ならまだしも、家族や友人にさえ連絡の一つも寄越さないのは奇妙だ。


 小野寺先輩のように素行に何の問題もないどころか生徒の鑑のような人までいなくなっているのだから、これは何かあるに違いないと、私は行方不明事件の記事を切り抜いて集めていた。


 探偵ごっこに興じるほど酔狂ではないが、そんな手掛かりの断片を眺めていると、この事件の裏には何か、私たちの想像も及ばないような思惑が絡んでいるんじゃないかと、不謹慎なことに高揚を覚えてしまう私がいた。現場に特殊な刃物は残されてはいないけれど、年頃の少女だけをつけ狙う犯人なんて、まるで某推理小説みたいだ。ひょっとして犯人もそのくらいの年頃な女の子なのかもしれない。あるわけないか。


 私はベッドに寝転がって、行儀が悪いのを承知で携帯を見ながらお菓子を夜食に運び、寝転がってもう一度メールを開いた。文面には変わりはない。私は溜息をつく。端から見たら、これじゃ恋する乙女みたいだ。


 そう思った矢先に、通知が画面の端できらめいた。どうしてこうも最近の通知は色遣いが派手なのだろう、見るたびにドキリとする。指でスクロールすると、是非参加して欲しいとの事。……生徒会長、霧崎きりさき道流みちる先輩から。


 私はそれから暫く迷って、送信ボタンを押した。

 

 

 



 

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