五十節 「未来」
Ep.50-1 命の対価
◇◆◇
結局、明け方近くまで手分けして街を捜索しても八代みかげは見つからなかった。
徹夜明けで朦朧とした意識を抱えながら、僕は重い身体を引き摺って皐月との集合場所である駅前へと戻ってきていた。ロータリーに設置してある鳩時計は僕らを嘲笑うかのように、間抜けな声で夜が明けたことを知らせていた。午前五時半過ぎ。街中を隈なく、半日近く探しても、手掛かりらしいものは何一つ見つけられなかった。宇宙センターのように時間が止まっているような場所を除いて、探せるところは粗方探した。自然公園も、神社も、病院も、学校も……。密かに期待していた朱鷺山ビルには、そもそも別の建物が立っていた。
「そんなに都合よく事が運ぶとは思っていませんでしたが……少しだけ疲れました」
皐月の横顔には隠しきれない憔悴が浮かんでいた。きっと僕も同じような顔をしているのだろう。出鼻を挫かれたという事実は、不可視の重石となって、こうしている間にも僕たちの上に圧し掛かっていた。
「一箇所……いや二箇所だけ、探してない場所があるよ」
僕は事実をありのままに告げた。
「……花のホール。それと、月のホール」
「ああ……」
納得がいったように、皐月は小さく呻きのような声をあげた。
「灯台下暗し……というか、世界元暗し、って感じですかね。出発点を、もっとよく検討してみるべきだった」
僕たちは再び、薄靄をかぶった湖畔に佇む市民ホールへと、戻った。
皐月は前の世界で僕たちを迎え撃つため侵入経路でも確保していたのか、勝手知ったる風に裏手口からホール内部へと入り、廊下を辿り始めた。僕もそれに続く。結露で曇った硝子戸や色彩の欠片が散りばめられた天窓は、外界とホール内を曖昧に隔て、何処かこの場を超然的な、神聖な場であるかのように、錯覚を抱かせた。そんな風に想わせる何かが、ここにはあった。
まずは花のホールから念入りに改めた。屋内に満ちた花弁の香りが鼻孔から侵入し、ぼやけてきた認識を現実へと引き戻す。紛れもなく、僕たちは以前いた世界とは別の、けれどよく似た世界へと降り立っているのだ。飾られている花の種類も、どことなく違うような気さえしてくる。僕たちは順路を辿って内部に何らの異変が見受けられないことだけを確かめると、ホールを出た。
自然光のみで薄ぼんやりと照らされた階段を踊り場の辺りまで登ったあたりで、
「もし、もしも、ですよ。月のホールに何もなかったら、次はどうしますか?」
皐月はか細い声で言った。
それは僕も検討したくはない問題だった。僕が沈黙を保っていると、
「ボクたちのしていることが、丸っきり無駄だったら? 「彼女」にとっては、ボクらの存在は無視できる程度の誤差やノイズに過ぎないのかもしれない」
「……そうかもしれないね。全てのことに意味なんかないのかもしれない。結局は全部、後からついた理由だし」
でも、だからこそ。
「後から振り返ったとき後悔しないように、今を頑張るしかないんじゃないかな」
無責任な台詞だった。そんな偉そうなことを言えるほど、僕だって立派な生き方をしてきたわけじゃない。
「……着きましたよ」
無人のエレベーターホールを横切り、月のホールの入り口と辿り着いた僕たちは、ほんの一瞬だけ扉を開けるのを躊躇ったが、暫くしてから不安を払拭するかのように開け放った。
黴臭い匂いと、埃が意志を持つ生物かのように中空を漂う、もう長年使用されていない、資材置き場か美術品の集積場か……。絨毯、硝子細工、甲冑、鎧、飾り棚、絵画、刀剣、衣装箪笥……。事によるとこんな辺鄙な場所で腐らせておくのも勿体ないような代物もあるのかもしれない。時が降り積もったかのような静謐の空間を、僕たちは深海を這うようにして最奥部へと向かった。
不意に—―数歩前を歩いていた皐月から、驚きの声が漏れた。微かな悲鳴にも聞こえたが、それは眼前の光景を見れば致し方ないことだった。
身体の真中に大きな穴の開いた不自然に干乾びた死体……
「これは……いったい……」
皐月は呆然と立ち竦んでいる。
僕はあえて口を噤んだ。彼に自分で気付いて欲しかったから。
「そうか。連城、恭助……。でも、何故、こちらの世界にまで……?」
真相は僕たちの預かり知らぬところだろうが、連城なら、このくらいの奇術はしてもおかしくないような気がするのだから不思議だ。僕はあの男に疑念を抱きこそすれ信頼はしていなかったのに。
皐月はそろそろと連城の死体へと歩み寄り、あることに気付いたようだった。
「何か……握っていますね」
コートの奥へと伸びた彼の手は、死後硬直かなにかは分からないが、小さな箱のようなものを強く握りしめているようだった。
皐月は暫し死者へと哀悼の意を示し、それから無造作に物言わぬ死体の指先から箱をもぎ取る。すっかり水分が飛んで萎れかけ、化石のように縮んだ煙草の箱だった。
「なにか書いてあるよ、ここ」
僕は静かにその事実を告げた。
箱の底には、消え入りそうなくらい小さな文字で、『
そしてもう一つ。
身に覚えのない座標が、書き込まれていた。
「どうやらボクたちを支えてくれていたのは、しぐれさんだけじゃなかったみたいですね」
皐月は確かめるように小さく頷く。
「……うん。僕たちはこれまでの全ての人たちに、あの世界の全てに、支えられてきたんだ」
僕たちはもう一度、今度は心からの崇敬の念を籠めて、黄泉とへ旅立った探偵へ一礼した。扉の締まる音を背後に聞きながら、終幕へと至るピースが一つずつ、着実に合わさり始めたのを、僕は意識の奥底で感じ取っていた……。
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