Ep.52-3 ずっと一緒に

 しぐれの中では、きっと何かが崩壊していた。それは、壊れるべき時をずっと待っていたかのように、僕には思えた。


「こんな世界、壊れてしまえばいいって思ってた。毎日が辛くて、何処にも居場所がなくて、最後の最期も裏切られて、私の十七年間は……全くの無駄だった。もう……どうやっても取り戻せない。時の彼方に置き忘れたものなの……」

 しぐれは滔々と言葉を紡ぎ続ける。

 何かの懺悔のようにも、ただ事実を確認しているだけのようにも思えた。

「私は過去の自分が許せなかった。大勢の人を不幸に追いやって、のうのうと暮らしている自分が嫌だった。世界のなかで独りだけで足掻いている気がして嫌だった。この世界の中で……自分だけが不幸な気がして、永遠に報われない気がして……人と離れた場所に、世界に置き去りにされて、さみしかった……」


 麻里亜はそれを否定することはしなかった。肯定することもしなかった。ただ黙って聞き続けているようだった。形だけの同情や憐憫は、彼女が最も嫌いなものの一つだからだ。

 優しく労るように、もう一度だけ、訊ねる。


「本当の、願いは?」


 目から大粒の涙を宝石のように零しながら。

 朱鷺山しぐれは本当に苦しみながら、藻掻きながら。

 嘘がバレた子供のように、恥ずかしそうに願いを口にする。


「サツキと……如月皐月と、一緒に居たい。もう……離れたくない。もう独りは嫌だよ……」

 嗚咽と共に、言葉は吐きだされる。涙が伝う。頬が腫れる。彼女は号泣していた。きっと何千年分も、何万年分も泣いていた。泣き続けていた。


「如月皐月と一緒にいたい」。


「それが、あなたの本当の願い?」


 しぐれは一度だけ、けれど黙って深く頷いた。


 一緒に居たい。離れたくない。独りは嫌だ。それが何を意味するのかを、僕は暫しの間、思案した。覚悟を背負う、と彼は言っていた。それは、つまり……

 彼はとうとう口にする。最後の最後まで使わなかった願いを。

「僕もそれで構いません。観ているんでしょう、? 僕の願いは「朱鷺山しぐれと一緒にいたい」です。そう、ずっと一緒に……」

 皐月は目を瞑り、もう一度強くしぐれを抱きしめた。そして顔を上げ、僕の方を見た。

「これで終わり、お別れですね、周さん。短い間でしたが、ありがとう、ございました」

 彼は照れ臭そうに笑って、彼女のなかへと消えていく。

「ボクは結構、楽しかったですよ」

 精神的に、肉体的に、繋がって、溶け込んでいく。彼女のなかに。お互いの中に。


 それは、僕にとっては幾度も観てきた死よりもおぞましい光景だった。二人の人間が、存在が、概念が互いに溶け合い、一つになっていく……。

 友情や恋愛や家族を忌避してきた僕のような人種にとっては、目を覆いたくなるような、けれど、それゆえに愛おしいのだろう。本人たちにとっては。


 肉体的にも精神的にも溶け合い、一つになり、永遠となる。僕には理解しがたい行為でも、きっとその行為を羨ましがる人間も少なからずいることだろう。繰り返して言うが、僕には理解できない。こんな願いを叶えるために、僕は。


 けれど。

 虚空へと消えていく八代みかげと如月皐月の姿は、僕と麻里亜に対する心からの感謝と、永遠の安寧に満ちていた。


 きっとそれだけで、価値があるのだと思えた。

 彼=彼女が消えた途端に、僕の中にあった麻里亜の仄かな面影も消えた。

 ビルの屋上には、願いを使い果たした僕だけが残された。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る