五十三節 「希望」

Ep.53-1 能事畢れり

 僕は長いことそうやって誰もいない屋上で佇んでいた。

 

 いつの間にか夕陽はすっかりと地平線に飲み込まれ、空はその端々から群青色に染まり始めていた。幾度も繰り返し見た光景。だが、それも今日で最後だ。


 ……何処に行けばいいのかもわからなかった。


 それを示してくれる誰かはもうこの世界にはいなかった。轟々と風が強くなり、避雷針が幾度も揺れた。心なしか、霧雨も降ってきているようだ……。

 僕は屋上からひとまず退散することにした。


 繁華街を歩いても、自然公園を辿っても、学校を何度か過ぎ去っても、僕の心は凍てついたままだった。小説を書き始めの人間が書きがちな陳腐な表現だと思った。僕は当てもなく街をさまよい歩いていた。この世界でかつての知り合いに遭遇したとしても、向こうは僕のことを覚えていない。不審者扱いされるのがオチだ。

 

 僕は街を歩き続ける。


 ……死に場所を探すために。


 麻里亜の権能を模倣して使う切り札に気付いたときから、自分の辿る運命には何となく察しがついていた。

 僕が麻里亜に願いを託されて生きながらえたように、僕もまた誰かに願いを託して死ぬのだ。願いのやり取り。希望の循環。そうやって世界は成り立っているのだと信じたかった。あの悪魔の忠告は、間違ってはいなかったようだ……。僕は虚構のような世界を、歩き続ける……。


 模倣とはいえ、麻里亜の権能を用いた僕には、死の運命が降りかかる。麻里亜のように、誰かを生きながらえさせるのも、あれが一度きりの願いだったのだとすれば、叶わない相談だ。二度も起これば奇跡は奇跡ではない。


 どうせなら最後に、何か綺麗なものを見て死にたい。空は暗く翳り、辺りは闇に覆われ始めている。なかなか願いは叶わないものだ。


 ふと、町外れの闇の中に、大きな輪っかが浮かんでいるのが見えた。闇夜は巨大な円の輪郭を浮き彫りにし、程なくしてそれが観覧車であることに気付いた。その割には人の声が聞こえてこない。どうやらこの世界の遊園地は閉園してしまったようだ。


 吸い寄せられるように、僕は葉月との思い出の場所を訪れた。


 古びた観覧車は、何か巨大な城か神殿の遺構のように思えた。ここは既に終わった場所だ。僕に出来ることはもう何もない……。


 園内の外れに一際高い展望台を見つけ、思わず葉月との記憶を思い返した。あれも全て、終わったこと。変えようのない思い出。あの世界で経験したことも、全て……。螺旋階段をのぼりながら、僕は上へ、一番上を目指して進む。なるべく、空に近い場所で死にたい。何故だか、そう思ったのだ。


「終わってみれば呆気なかったよなぁ……」

 僕らしくない、脱力した台詞だった。


 まだ物語が、世界が続くのが、堪らなく鬱陶しく感じた。

 展望台に寝そべり、暗い雲に覆われた夜空を眺める。


「まあでも、よくやった方なんじゃないかな」


 少しだけ自分の事を褒めてみた。

 あまりにも長い旅路だったから。

 だからきっと、これからのほんのわずかな間にも、きっと何かが……。


 僕は目を閉じた。

 




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