四十五節 「真実」

Ep.45-1 神の誕生

「生前、わたくしの有する権能は、人や物質の有する性質の転換及び再構成でした。

 毒を薬に、

 善人を悪人に、

 希望を怨嗟に。

 近しい故に反転しやすいものに変えてしまう。変えてしまえる。けれど、あなたのような方には、そもそも使う気にもなれません。治る気がない患者を治療する気も、起きません。どうかそのまま破綻したまま、勤めを終えてくださいまし」

 何もかもを諦めたかのような口調。既に七瀬あけびの瞳に私の顔は映っていなかった。

「だって、私は……私はもう、何もかもが嫌で……」

 思わず口が開く。紛れもない本音だった。ともすれば嗚咽したいほどの。

「口を開けば私、私。それが甘えだと言っているのです。

 あなたは自分の事ばかり。人に貢献しようとか誰かのために何かをしようとか、そういった姿勢が根本から抜け落ちている。

人は皆、自覚のあるなしを問わず業を負っています。

 他人のそれを無自覚だ、愚鈍だと非難する前に、もっとご自分自身に向き合ったらどうなのです?」

 私は黙って聞いていた。

「可哀そう」だと言われれば満足ですか?

 形だけの同情を得て、自分が何か特別な何者か、 

 たとえば童話の悲劇のヒロインのようにでもなったように感じておられるのですか?」

 私は黙って聞いていた。

 嘲笑も侮蔑もない。彼女の言は綺麗だった。

 手足を失っても、彼女は怯まない。

 どこまでも透徹とした、真っ直ぐで眩しい瞳。


「世界を絶望で、思う存分汚しなさい。

 あなた自身も、堕ちるところまで墜ちなさい。

 それがあなたの辿る運命です、朱鷺山しぐれ」

 私は、黙って、聞いていた。

「あなたはもう、何にも願いを託すことはない。

 あなたはもう、何も救いを求めることはない。

 あなたはもう、何にも希望を抱くことはない。

 これが呪いです。わたくしの置き土産です。

 貴方の世界はもう、終わってしまいました。

 良い旅路を。憐れな人の子よ」

 ワタシハ、ダマッテ、キイテイタ。

「……全く、何故このような人間が神にしまったのか……理解に苦しみますわ」

 私はそのとき、恐らく激昂したのだと思う。

 今度こそ堪忍袋の緒が切れた、というやつか。

 よくは覚えていないが、気付けば作り物のように美しかった七瀬あけびは神経や血管が引きちぎられ、丸まり、まるで四肢が丸ごともげた赤黒いモルモットかチンチラのような、グロテスクな塊に変わり果てていた。


 暫く待ってもその物体が再生する気配はなかった。

 もう、私の方が神として強い。

 絶え間ない勝者の喜悦が、私の心を満たしていった。漲るように全身に自信が満ち溢れ、きっとそれは自己破壊的で、歪なものではあったのだろうけれど、私は満ち足りた気持だった。

 七瀬あけび、だったものは蛞蝓のようにもぞもぞと動いて私の周りを這いまわっていた。這いずった後に残る銀色の光る粘液のようなものが視界の端でちらついて目障りだったので靴のかかとを使って思いきり踏みつぶした。膨らんだ風船が破裂するような音が響いて、同時に、呪いのような声が聞こえた。 


「朱鷺山しぐれ。あなたは神の影。決して許されない。救われないし報われない。あなたは最後まで、誰かの光を浴びることはないでしょう。誰かを光で照らすことはないでしょう。あなたは影。悲しきの幻。あなたの神名は、です」


       ◆

 

 八代みかげ。

 死せる古き神によって、彼女に与えられた新しい名前。

 それは楔。

 彼女を戒め、縛り付ける鎖。

 その名は八千世の時を越えて、彼女を責め苛むだろう。


 程なくして崩壊は終わった。それは同時に、ある種の落成でもあった。


 目の前には生命の死に絶えた黒い星。


「ああ……初めから、こうすればよかったのね」彼女は呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る