Ep.42-2 あの日、あの場所で

       ◆


 最初に目に飛び込んできたのは、目映いばかりの照明。闇に慣れていた片目を貫くかのように射抜いて、網膜を痺れさせる。

 舞台のなかほど、薄闇に包まれた空間で、二人の人物が抱き合って話をしている。正確には、一方がもう一方に凭れ掛かって、辛うじて命を繋いでいる、と言った方が正しいか。如月皐月と如月葉月——僕を最初に人たち。


 舞台の上にはしぐれがいた。衣服はずたずたに破れ、ところどころは白い肌が露になっているのが遠目にも見えた。手足は折れ曲がり、糸の切れたマリオネットのように、銃火器を揺らしている。舞台の床や緞帳には赤黒い血がこびりついていた。まるで、長かった劇の一場面を切り抜いたかのような、不思議と印象的な光景だった。


 ……僕が向かうべきは。


「やっぱり、君だったんだね」

 僕は努めて平静な声で、闇に佇む金牛宮——如月皐月へと言葉を投げかけた。

「……はい。やっと気づいてくれましたね」

 彼は答える。姿は見えなくても、以前過ごした日々の姿は今も褪せていない。

「いくつか疑問……わからなかったことが、あるんだ。答えてくれるかい?」

 彼は僕を見据える。

「ボクに答えられる範囲であれば答えましょう」 

 僕は一歩ずつ慎重に、皐月へと近づいていった。八代みかげは先ほどから後ろでにやにやと嗤って、事の成り行きを見守っている。


……。君のものではないとすれば、一体誰のものだったんだ?」

 僕は尋ねる。

 少し待ってから、皐月は答える。

「……あれは、ですよ。宇宙センターから引き払うときに、山道で事切れていたところを捕捉しましてね。背格好もよく似ていますし、偽装工作には丁度良かった」

 何でもないことのように皐月は言う。悪戯がバレた子供のような純真さも、無意識に相手を貶める大人の狡猾さもない。何らの悪びれる調子もなく、そこにあったから当然のように利用した、というように。そこにはただ、一人の虚ろで空ろな少年の姿があった。

 

 御厨翼が早川慶太を代わり身に使ったように。

 如月皐月は御厨翼の遺体を身代わりに使った。

 そして自分という存在を僕たちの前から抹消した。

 ただ、それだけのこと。

 それだけのことなはずなのに、死体を弄んだということ以上に、全てを諦めてしまったかのような瞳に映るものが、今の僕にはまるで理解できなかった。


「君がそんな人だとは思わなかったな」

 僕は溜息をついた。彼にほんの少しでもの反撃として。

「あなたはもっと、その場の激情や一方的な先入観に支配されない、思慮深い人だと思っていたんですけどね。考えてください。そして気付いてください」

 彼は続ける。

「ゲーム開始直後、桜杜自然公園へと向かった姉さんを尾行するようにのは誰でした? ロキと名乗った青年を「友達」と称してのは誰でした? 宇宙センターでの一件の前、いなくなった姉さんを探すようにとのは誰でした?」


 全部、皐月だ。

 僕は、いや僕たちは、最初から今この瞬間に至るまで、狂わされ続けていたのだろうか。彼の掌の上で、踊り続けていただけだったのだろうか。


「推理小説は読みませんけど、犯人役には程遠い。貴方に、気付いて欲しかった」

 皐月は何処か物悲し気に顔を伏せた。


 ウォーゲーム・ゾディアックのメインルール。

 姿

「悪魔憑き」として。

 人間としての如月皐月は知っていても、悪魔憑きとしての金牛宮は知らなかった。姿。もう既に人間として現わしていたからだ。僕たちがずっと気付かなかっただけで、皐月はずっと近くで僕たちを観察し、監視していた。手が触れるほどすぐ側で、全ての動向を手に取るように把握していた。

 悪魔憑きたちのミーティングやイントロダクションで用いられる星の宮殿パンデモニウムでは、契約者の容姿は隠匿されるのが決まりだ。現実世界で「悪魔憑き」として会ったことのある人間同士のみ、姿が判る。

 星の宮殿で姿はごまかせても、声までは誤魔化せない。だからこそ金牛宮は、如月皐月は、


 あまりにも明らかな手掛かりは、大きすぎた死角となって、僕たちをずっと隔てていた。まさかだなんて、そして、そのことを僕はおろか葉月までもが把捉しきれていなかっただなんて。


 。一番近い存在だったはずのものが、一番遠い。

 作り物のような箱庭の家庭の中で、葉月と皐月は常に距離感をもって接していた。僕たちは同じ屋根の下にいながら、決定的にすれ違ってきたのだ。

 他でもない僕が、葉月と皐月との関係を修復しなければならなかった。その努力もせず、ずっと前だけを見据え過ぎて、後ろに全く注意を払っていなかった。

 僕が、気付かなければならなかった。もっと早くに気付いて、関係を正さなければならなかった。二人の架け橋と、なれるはずだった。長年繰り広げられてきた冷戦を、僕が止めなくてはならなかった。

 背負い過ぎ、思い上がりすぎと言われればそこまでだ。

 だけれど僕は、今回は。今回ばかりは……。  

 ……ああ。何も言葉が出てこない。僕は無力だ。

 

 重苦しい沈黙を破るように、皐月は口を開いた。

。桜杜自然公園。あの日が決定打でした。あの日、あの場所で、姉さんが、もう後戻りができないところまで来てしまったんだって、そう思ったんです」

 咳ばらいをし、今にも崩れ落ちそうな葉月へと、皐月は淡々と語る。

「あなたはもう、壊れているんですよ。気付いて、くださいよ。何が正義の味方だ。あなたはもう、来た道を戻れなくなっただけだ。父さんを殺したときに、自首すれば良かったんだよ。それなのに。それなのに……」

 皐月は何かを必死に耐えるように、ずっと腕の中の葉月を見ている。


「ごめんね。ずっと気付いてあげられなくて、ごめんね……?」

 掠れた声。もう以前のような美しさも、凛々しさもなく。葉月は項垂れて懺悔するように、観客席の一つに斜めに倒れ込んだ。 


「なに、それ」

 舞台の上で茫然と呟くのは、朱鷺山しぐれ。

「サツキも、私を利用していただけだったってコト? 私よりもその女の方が大事だったってコト? 大事ならなぜ殺すの? え? なにも分からないんだけど……」

 取り乱すのも無理はない。何一つ状況を把握できていない彼女は、完全に蚊帳の外になってしまっている。理解したばかりの僕だって本当は、叫び出したいくらいなんだから。 

「……というか、なにも聞いてないんだけど。一つも聞かされていないんだけど! 姉弟って、なに……? え、なに……? 私一人がバカみたいじゃん! ねえ、どういうことなのっ説明しなさいよっ」 

 半狂乱で叫ぶ。

「……信頼を裏切ってしまったようですね」

 神妙そうな顔つきで、皐月は懐から何かを取り出した。金色の鎖がついた、瀟洒な懐中時計だった。

 皐月は振りかぶると、舞台へと金時計を放った。

 弧のような鮮やかな軌跡を描いて、時計は舞台のしぐれへと届いた。

  

「これはお返しします。僕は何度も、貴方に命を救われた。短い間でしたけど、ありがとう、ございました」 

 何処までも他人行儀な口調。

「いらないわよこんなものっ」

 手に取ったものを忌々しげに眺めた後、しぐれは金時計を舞台の床へ思いきり叩きつけた。盤面は完膚なきまでに砕け散り、時計としての役割はもう果たし得ない。


 彼女は堰を切ったように泣き始める。困惑と絶望の涙だった。しぐれが「金牛宮=皐月=葉月の弟」をこれまでずっと知らずにいたのなら、彼女はずっと皐月に真相を伏せられたまま、利用され続けたことになる。


 かつて法条の事務所に赴き、『推定有罪』をかけられて昏倒したときに見た悪夢。あれはまさしく、の答えそのものだったわけだ。

 魔女になった少女と、少女を魔女にした悪魔と、魔女になった少女を殺めた少女の想い人。

 加害者に転じた被害者、如月葉月。

 被害者を加害者にした、葉月の父親。

 加害者を残酷な形で葬った、如月皐月。

  

 果てしない残酷物語。終りのない循環論理。

 誰もかれもが報われない。救われないし、救いようもない。

 あの悪魔が言った通り、正真正銘の大悲劇だ。


 。答えなんて、出ない。出るわけがない。


 一体誰が、こんな結末を望んだのだろう。


 

 一体、誰が……。




「あ……まね……くん?」


 瀕死の如月葉月が、ずっと一緒に戦ってきた女性が、僕を見ていた。

 

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