Ep.37-4 開かれた扉

       ❀❀❀


 戦いは数瞬の後に終わった。否、それは戦いと呼ぶべきものではなかった。単なる掃除、処理だった。


「……しっかし。ここまで、こうも呆気ないとはな。張り合いがないっつーか。お兄さん、念のため訊くけど、まだ生きてるか?」

 

 ……満身創痍だった。五体満足なのが不思議なくらいだった。

 皮肉も厭味も言う気力さえも根こそぎ奪われてしまっていた。

 幸いなことに、主要器官は特に破壊されなかった。爪をはがされたり、四肢をもがれたりなんて惨い仕打ちも特には受けていない。関節があらぬ方向に捻じ曲がっているわけでもない。


 なまじ いたぶったり

 くるし めたりし

 ない分、より質が悪い。


 絶え間ない殴打が全身という全身に食い込み、僕から戦闘意思を剥奪していた。

 口の中はあちこちが切れていて、何度のみ込んでも血の塊が何度も何度も浮かび上がってくる。壊れたレコーダーかのように、頭蓋のなかでは延々と同じような打撃と暴力の音が、規則的に反響していた。

 全くの容赦のない、純粋な暴力の連撃だった。

 強い。ただ強い。力の差は歴然だった。敵を知るどころではなかった。

 そんなわけで、僕はシロツメクサの叢生のなかに身を横たえ、無残な敗北の姿を晒しているのだった。

 小指一つ動かすのでさえ億劫だった。

 ……とてもじゃないが四葉のクローバーなんて探す気力はない。


 ここに来て、このザマか。こんな重要な、最終局面の場で。

 ここまで来ると笑けてくる。僕はこんなに、無力だっただろうか。情けがなかっただろうか。決して何もしてこなかったわけじゃない。戦いをただ傍観していたわけもない。これまでの葉月たちとの共闘で、十分すぎるほどに修羅場は潜り抜けてきたんじゃなかったのか。何度も死線を越えてきたのではなかったのか。多少なりとも成長したのでは、なかったのか。


「力の出し惜しみなんてダセぇ理由で敗けたくないし、手加減とか調子がどうこうとか言い訳したくねぇから初めから飛ばしてたけどさ、お兄さん、いくらなんでも弱すぎないか? ちゃんと葉月ちゃんの『月下美刃』、模倣したんだろうな?」


「した、さ……」

 絞り出す声すらも枯れていた。


「まさか俺を、いつか鎧袖一触がいしゅういっしょくしたらしいアスモデウスの傲慢野郎と同列にでも捉えてたか? 流石にそれは勘弁してくれ。いくらルールを浸食する悪魔と言っても、あんな三下と十把一絡げにされるのは腹のおさまりが悪い。お兄さんだってそうだろ?」


 僕は答えない。答えられない。  


「なあ、お兄さん。俺はね、

 リリトのような趣味の悪さも持ち合わせていないし、

 アスタロトのような抜け目のなさがあるわけでもない。 

 ベリアルのような忠誠心も、

 サタナキアのような狡猾さも、

 フリアエたちのような連携も、 

 オリヴィエのような遊び心も、

 ……無い。これっぽっちも持ち合わせていない。

 ルサールカちゃん……あの子雑魚いけど可愛いよな……のような天真爛漫さも、

 そしてネヴィロス、かつてのお兄さんの役柄だね、の何にも染まらない無色透明さも、残念ながら俺にはない。ないんだよ。俺には何もないのさ、要するに。

 でも良いだろう、それで。

 結局のところさ、強さに理由なんてものは要らないんだよ。

 後付けの理屈さ。理屈と膏薬は何処にでもつく、ってこじゃれた表現があるらしいぜ、この国にはさ。

 。他に理由は要らないのさ。シンプル・イズ・ザ・ベスト。あっこの場合って「ザ」は要らないんだっけか。まあ、いい。理由探しなんて無粋でしょうがないことは俺の専門外だ。そういうのはお兄さんの領分だろうしな。

 俺はさ、「万能」なの。それが答えさ」


 僕は黙って聞いていることしか出来ない。


「まあ、お兄さんがここでリタイアだっつうんなら、そこまでだったってことだろうな。俺の過大評価だった。すまない。てなわけで俺は葉月姉ちゃんを殺しに行くよ。しぐれ嬢ちゃんとの挟み撃ちじゃ、あの姉御も一たまりもないだろうしな」


 足音が無情にも遠ざかっていく。

「うぅ。うぅぅぅ‼」

 言葉にならない呻きは、何らの反抗にもならなかった。

 伸ばした手は虚しく空を掻いた。舗装された白塗りの床に、情けなく激突しただけだった。


       ◇


 暫くしてから、彼が戻って来た。にたにたと、厭な笑いを浮かべて。

 何をする気だ。これ以上、何をするというんだ……。

 

 ああ。

 俺、面白いこと考えたんだ。  


 きっと次の瞬間、僕の瞳は、これまでのどんなものよりも深い恐怖に見開かれていただろう。僕は本心から、この男に恐怖していた。 


、もう、裏切りませんか? 終わりにしませんか?」

 懐かしさに顔を上げる。

「彼」は立っていた。

 三神麻里亜の口調で、三神麻里亜の姿で。

「もう十分、頑張りましたよ、あなたは」

 麻里亜の表情、声音で。優しく、包み込むように、彼は僕に話しかけていた。 

 無数の羽虫が全身をはいずっているかのように、自分の中で戦慄が駆け抜けていくのが分かった。

「君は一体、何ものなんだ……?」

 男は何でもないことのように、そう言ってのけた。

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