Ep.37-3 三つの戦場


       ❀❀❀


 本来あり得る筈のなかった邂逅。予期せぬ出会い。

 何度も繰り返せば、それはもう陳腐とは呼べない。

 その時ばかりは、因果を越えた運命の存在を、何らかの存在が少しずつ僕の知らないところで蠢いていたのを、僕は認めざるを得なかった。

「何故、君がここにいるんだ」

 口火を切ったのは僕の方だった。

「なんだ。いちゃ悪いのか?」

 悪びれることもない様子で、彼は言い返す。

「……君が、?」

 僕は尋ねる。そんな問答が無意味だと知っていながら。

「おいおい。質問に質問で返すなよ。まあいいけどさ」

 ロキは小さく肩をすくめ、

「……大体のとこ、察しはついてんだろ、お兄さん」

 と、言った。

「……何が何やらだよ。いい加減、勘弁して欲しいくらいだ」

 これ以上役者が増えると、碌な結果にならないような気がしていたのに。

「まあ、実を言うとな。俺が金牛宮…」

 ごくり、と生唾を飲み込んだ。

「…というのは半分嘘で半分は本当だ」

 がくり、と肩を下げた。

 どうにも、やりにくい相手だった。いや、それは過去二回の対面からして分かっていることなのだが、以前にもまして、彼は苦手だった。捉えどころがないと言えばそうなのだろうが、意図するところが見えてこない。おちょくるのも大概にして欲しいものだ。

「まあそう尖がるなよ。異様で異常で歪なのは、お互い様だろう? 他ならぬあんただって、十三人目のイレギュラーとしてゲームに参加しているんだから……」

 彼が顔を上げる。爛々とした双眸が、僕を真正面から射抜く。

 知っている。この男は、僕について、何もかも知っている。背筋を冷たいナイフでなぞられたかのように、怖気が走った。

「あんたと同じで俺も大概に条理から外れた存在なのさ、要するに。今はそのことだけ分かればいいだろ。敵同士なことには変わりないんだからさ」

「……まあ、そうだね」

「んじゃまぁ、前話はこんくらいでいいか。あんたとは初対面じゃないし、前にも話してるしな……」

 これまでの僕との問答はどこ吹く風、彼は冷たい声で、「じゃあ、殺し合うか?」と言って、僕と対峙した。

 僕は少しだけ逡巡しゅんじゅんした後、彼へと頷いた。

 宣戦布告。戦闘開始の合図だった。


 一直線に、ただ一直線に、彼が駆けてくる。僕をめがけて。

 もう間もなく、ぶつかる。

 光が歪む。空間が音を立てて張り詰める。

 その刹那、ほんの少し、ほんの一瞬だけ、

〈他のホールへ向かった皆は、無事だろうか?〉

 と、他人の安否を考えた。 

 そんなことを一瞬でも気に掛けた愚かさを僕はこの後痛いほど味わうことになる。


       ☾☾☾


 美桜市民ホールの最上階に位置する「月のホール」は、元は礼拝堂チャペルとして設計されていた。等間隔に並んだ木製の長椅子は随分と古びていて、かつての信仰の敬虔さを明に暗に伝えている。美術館として保管された今現在も、当時の趣の残滓はしかと感じ取れた。

 彩色硝子ステンドグラスの飾り窓に、骨董マニアなら垂涎であろう古今東西のアンティーク。天蓋付きのベッドもあれば舶来の絵画もある。まるで何処か遠い国の御伽話のような光景は、ここが今戦場であることを忘れさせる。

「ああ、これはあれだ、あの、モコモコしていそうな……」

「ロココ調、だな」

 連城と鷺宮の両名は美術品の群れを掻き分けながらも、彼女の姿を探していた。下準備は既に、整えてある。

 程なくして最奥部に到達した。

 大きな柱時計の前に設えられたパイプオルガンの前に、少女が鎮座している。

 ……月をながめて。

 

「なんだい連城。懺悔でもしに来たのかい」

 八代みかげは振り返ることもなく、そう問いかけた。

「僕は荒事は苦手だからね。出来れば大人しく、平和的な解決を求めたいんだ」

「それは無理な相談だね。ボクはまだまだ、このゲームを楽しみたいんだよ」

 連城は残念そうに首を振り、  

「それならば、演技の時間はここまでだ。僕たち二人に、斃されてくれるかい」

 彼女はゆっくりと立ち上がる。

「……いいや? 残念ながらね。は誰よりも生き汚いのさ」


       ❆❆❆


 葉月はコンサートホールに足を踏み入れ、中の容積の膨大さに暫し呆気にとられた。広めの映画館の座席、十個分はあるだろうか。三階分を占めているだけあって、天井も恐ろしく高い。万が一照明が落ちてきたのなら、ひとたまりもないだろう。

 舞台の方からは、何処かで聞いたことのある荘厳な旋律メロディーが、ゆったりと広い空間を満たしていく。悲しそうでいて力強い、不思議な曲調だった。まるで遠い異国を独り旅しているかのような、寂寥感があった。

「これ、なんて曲だったかしらね」

 葉月は独り言のように呟いた。

 と、そのとき。

 管弦楽組曲第3番ニ長調――Airエアー

 舞台の方から、歌うような声がした。

「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作「G線上のアリア」よ、如月葉月さん。あら、そんなことも知らなかったかしら? あまり育ち、良くなさそうだものね、貴方」

 舞台の方から睥睨するように、敵の姿があった。

 くすんだ赤い髪を一括りにして、露出の多いパーティードレスに身を纏っていた。さながら、遥か昔の貴婦人のような。 

 露悪な変貌に葉月は少し顔を顰めながら、

「そう言えばしぐれちゃんはお嬢様育ちだったね。うん、そうだね、羨ましいよ」

 舞台上のしぐれへと、そう言った。

 音が良く響く。

「最後に確認させて。私の家族を……焼き殺したのは、あなた?」

「そうよ」

「……間違いないのね?」

 気圧されることもなく、葉月は再度尋ねる。

「もう、いいでしょう。……そういうのは」

 その投げやりな態度だけで、如月葉月は朱鷺山しぐれがもう二度と戻せないほどに変わってしまったことを知った。話し合いの余地など、最早この世の何処にも残されていないことを悟った。

「覚悟しなさい。あなたは必ずあたしが殺すから」

 舞台の向こうへと、吐き捨てるようにそう言った。


       ☆


 二階、花のホール。

 四階、月のホール。

 三階、雪のホール。 


 三つの戦場で同時に戦闘が開始されたのは、それこそ必然といって良かっただろう。鬨の声も奇妙な符牒も、今の彼らにはもはや不要だ。 

 こうして長きに亘る殺戮遊戯サバイバルゲームは、遂に最後の一夜を迎える。


 三つのホール。

 三つの戦場。

 三つの相対。

 三つの対立。

 

 おお、なんとも誂え向きな展開じゃないか。豪奢で贅沢で、身に余るほど絢爛だ。最後の総決算の舞台にはこの上なく相応しい。

 ……三つの殺し合い。

 ねえ、悪魔憑き諸君。本当に、かい?

  

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