Ep.37-2 八月二十二日・美桜市民ホール(後編)
◆
僕たち三人はホールの一階を一通り点検し終え、無人のエントランスホールへと戻って来ていた。どうやら一階には特に何も仕掛けられている様子はなかった。回廊構造の通路を一巡した後は、言葉数も少なく、ただ静かに人物が揃うのを待った。
永遠に感じられた数十分が過ぎたころ、中庭へと続く通路から、誰かが姿を現す。
意味が剥奪されたモニュメントの群れを掻き分けるようにやってきたのは、
「やあ。待たせてしまったかな」
連城恭助だった。
「……遅いですよ」
と、葉月。
「十一分の遅刻だ」
と、鷺宮さん。
「すまないね、次からは気を付けるよ」
果たして次があるのかは怪しいものだったが、この男の軽口は場の重苦しい空気を払うのに一役買ったと見え、僕としては嬉しかった。
「さて、準備は整ったのかな」
連城は腕組し、事件の解決編のように僕たちをぐるりと見まわして(どうやらこれが彼の癖らしい)、そう告げた。
「泣いても笑っても今夜がこれまでの総決算だ。悔いのない戦いにしようじゃないか、悪魔憑き諸君」
返答はなかった。誰もが俯き、彼の言葉を噛み締め、そして上階へと続く大階段の前に集った。階段の先は暗く、辺りは闇だけが支配している。廊下に点在する常夜灯の灯りが時折視界の隅で揺らめくのに、何処とない気持ち悪さを覚えた。
「……では、上がるぞ」
紗希さんは僕たちを先導し、音もなく階段を上がり始めた。僕たちも後へ続く。
「念のために確認しておくが」
紗希さんは一度区切って、
「ホールの構造は把握しているか?」
僕は念入りに改めた構造図を頭の中へ引き出し、
「二階に花のホール、四階に月のホール、そして、一階から三階までが雪のホール、ですよね」
と答えた。
「ああ」
市民ホールの内部は、幾つかの小さな多目的ホールと、三つの大きなイベントホールに分かれている。戦闘が行われるとすれば、雪月花の名前が冠されたイベントホールだろう。なかでも一際大きな雪のホールは吹き抜け構造になっており、一階から三階を占めている。
「事前の打ち合わせ通りに私と連城は最上階……月のホールに行くが、君たちはどうする。まだ、集団戦に拘るか?」
各個撃破か、集団戦闘か。問題はそこだった。敵の出方が分からない以上、僕は全員で掛かった方が良いと踏んだのだが、背後からの不意打ちや伏兵を警戒する紗希さんは各個撃破に拘り、結局僕の方が折れる形となった。戦力の分散は、確かに連城の言った通りの「全滅」の最悪を避けるためには有効なのだろうが、どうしても僕には不安があった。一人になることで、これまで抱えてきた一抹の不安が、最悪の形で溢れ出てしまうのではないかと……。
戦力の逐次投入なども考えたが、出せる力全てを出さなければ、到底敵う相手ではない。朱鷺山しぐれ。正体不明の金牛宮。そして……八代みかげ。本当に、それだけか……? まだ何か、重要な因子を忘れているような気がする。誰かを、忘れている、ような……。
二階へと辿り着く。雪のホールは三階分を占めるとはいえ、入り口自体は二階にあるから、連城と紗希さんとは、ここで別れることになった。
「では、短い間だったが、達者で」
紗希さんは最後に僕と葉月の方を振り向き、
「……生き残れよ」
「わかりました」「……はい」
短く、シンプルな応答。それだけに彼女の悲壮な覚悟と決意が見え、僕は少なからず尊敬の念を抱いた。まだ会ってから間もないというのに、彼女の信念は固いものなのだと分かった。
連城たちの姿が上階へ消え、次第に気配も遠ざかっていった。だが、広いホールの中に、この閉じられた空間の中に二人も味方がいるという事実は、僕たちを鼓舞するのに十分だった。
「あたしたちも……行こうか」
葉月と共に二階の探索を始める。探索と言っても、構造は単純だ。長い廊下の途中にT字路があり、そこで雪のホールと花のホールに分かれる。事前の下調べで、前者が巨大なコンサートホール、後者が屋内庭園というのも分かっている。
「……葉月。やっぱり、二人でどちらかのホールに行った方が良くないか?」
駄目もとで言ってみる。
葉月は少し悲しそうに微笑んで、「駄目だよ」と言った。予想通りの反応だった。
「二人で戦っている間、背後の敵に隙を見せるわけにはいかない。二人が一人ずつで、それぞれ戦わなきゃ」
以前の彼女ならどう答えただろうか。
「心配なら平気だよ。安心して。もう……大丈夫。あたしはもう、大丈夫だから」
空っぽの長い廊下を、二人で歩く。ただ、歩き続ける。
「……アマネくん。これまで本当に、色々なことがあったね。辛かったこと、悲しかったこと、沢山あったけど……。でも、」
一度言葉を飲み込んで、葉月は言った。
「こうやって、こういう形でアマネくんと、皆と出逢えた。それだけは良かったって、今は思うんだ」
T字路はもう目前だ。だから、交わす言葉は単純で良かった。
「葉月」
単純で、飾り気のない、いつも通りの言葉で良かった。
「頑張って」
「君もね!」
出逢った時のような劇的さはない。僕たちは道で通りすがるようにあっさりと、別々に道を行き始めた。
十歩ほど歩いたのちに、一度だけ、躊躇いがちに振り返った。彼女の方は、ただ、まっすぐに前を見つめて、わずかに音の漏れ出すコンサートホールへ足取りを向けていた。その動作に、もう躊躇いはなかった。
安心して、でも何故か涙が溢れそうになって、前に向き直った。
目の前の扉を見据えた。
……最後に確認しておこう。
連城と紗希さんは八代みかげに会いに行った。
葉月の相手は恐らく、しぐれだろう。リベンジマッチの場として、コンサートホールはお誂え向きだ。きっと彼女たちは、お互いがお互いを分かっているのだろう。
だから僕の相手は金牛宮だ。
僕にとっての最後の戦いが、始まる。
両手で扉を押し開けた。
鈍い音を立てて、扉が開いた。
噎せ返るような密と花弁の香りが鼻孔に飛び込んでくる。
何の変哲もない、花の群れ。
その中央に佇んでいる人物を見止めて、大きく目を見開いた。
内臓をじかに手で掴まれたかのように、胃がぎゅっと窄まるのが分かった。
……強い眩暈を、覚えた。
「俺の予想は当たるんだ。な、言っただろ……? きっとまた何処かで会うってさ」
いつの日かロキと名乗った青年は、我が意を射たりというように、にたにたと笑って、僕を見つめ返していた。
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