Ep.39-2 人間の選択
悪魔アイオーンは真正面から僕を見据えた。
「もうこれ以上出し惜しみは無しだ。能力の方も明かしておこう。『魔力覚醒』。対象の能力を100%、いや120%……。まあ、数値に置き換えることに意味はないか。本気の本気、全身全霊の全力を強制的に引き出す能力、とでも言っておこう」
なるほど。人間の本来的自己を覚醒させる悪魔、とだけあって、シンプルに強力だ。反宇宙的二元論。グノーシス主義。断片的な知識しか有していないが、
人を強制的に〈神的なるもの〉へ押し上げる至高者。聞こえはいいが、人間自体にとってそれが果たして良いことなのかは想像の域を出ない。本来の能力を超え、頭角を現したがばっかりに、
先日の朱鷺山しぐれを思い出す。
あの熱に浮かされたように鞭を振るい続けた、悪鬼のような姿を。
きっと、能力の解除後は壮絶な苦痛に襲われたことだろう。本来の実力以上のものを出した時、人は暫し前後不覚の状態に陥る。彼女だって、例外ではないはずだ。
「それって、不公平なんじゃないのか」
僕は言った。
彼は呆気に取られていた。そんな表情を確認してから、僕は続ける。
「君は、あらゆるものの要素を網羅的に内包している。だから、僕が使えるものは君も全て使えるというんだろう。
僕が悪魔から人間になったからこそ、君も人間のような恰好をして、イレギュラーの立ち位置を享受している。
ただ口を開けて餌を待つヒナドリのように、自分は何の犠牲も支払うことなく、
ただ、それが当然のように振舞っている」
言葉を一度切って、結論付ける。
「僕には、虫が良すぎるようにしか思えないな」
彼にとって、内省や反省なんて態度は凡そ無縁だ。顧みる自己などない。
ただ、そうあるから、ある。それゆえに、彼はそもそも初めから欠落している。容器のなかを全部、ありとあらゆるところから掻き集めてきた人格や概念で埋めて、それだけで、ただ、超然としている。
「なるほどな……。まあ、そういう考え方も、できるか」
彼は暫く押し黙った後、
「なあ、ここは一つ、賭けをしないか?」
不意に、そんなことを口にした。
「真相を知った彼女が、どんな反応をするか」
彼女、とは誰を指すのか。二パターンほど考えられたが、そんなことは言われなくても分かっていた。あるいは、彼と僕とでは認識の範囲に多少の違いがあるのかもしれないけれど。
「……君はどう思うんだ」
僕は先手を譲る。
「そりゃまあ、取り乱すだろうなあ。悲劇も悲劇、大悲劇さ。人間の気持ちのすれ違い。なんだかんだ、〈わかりあえない〉ことより悲劇はねえよ。〈
今回のケースはもっと酷い。自分自身や、自分に近しい人間となんだからな。
軋轢どころか、対立さえもさせてもらえない。
端から相手にもされていない。無視、シカト。相手の意志の完全否定。
まあ、原因は純然たるコミュニケーション不足だな」
彼は一息に言った。
「君はわかってない」僕は言った。「全然、彼女のことをわかってないよ」
思いのほか鋭い語調になってしまったが、僕は彼の発言がどうしても気に障った。
「なんだ? 〈僕だけが彼女をわかっている〉とでも言うつもりか?」
僕は首を横に振る。
「そんなことは言わないよ」
そんなものは青臭いガキの戯言だ。相手のことを勝手に自分一人で分かった気になって、一方的に感情や理想を押し付ける身勝手な存在。「あなたのためを思って言っているのよ」とか「彼女に限ってそんなことは言わない」とか「彼は優しい人だ」なんて言って勝手に他人を定義づける人間。自分の願望と他人の存在を紐づけたがる阿保が。
こういうのも、よくあるよな。
『この夏、127度目の恋をする』とか『59番目のきみ』とか『997回死んでも会いに行く』みたいなタイトルとかキャッチコピーがついた、青春時代の肥大した自意識をいつまでもみっともなく引き摺っていそうな、〈一番良かった〉思い出の中に埋没してそうな、他者に自分の理想を投影していそうな人間がよく書いてよく好む創作物。
それはな、他人が好きなんじゃない。他人が好きな自分、ひいては自分の中の他人の理想像を愛しているだけなんだ。いい年した大人でもこういうのは雑多にいる。
自分にもできないことを他人に平気で求めるような、
自分の代わりに他人に清廉潔白を証明して欲しいと願うような、
途方もなくどうしようもない愚か者がな。
そんなことをしても、虚しさが、募るだけ。
そんなの、あんたが一番嫌いな人種だろう? なあ、どうしてだ? どうしてそんなに、たかが他人の思考を、言い切れるんだ?
お前に何が、分かるんだ?
彼の思考の断片が激流のように、頭に次々と流れ込んでくる。
「……ずっと、見てきたからだ」
傷ついて、傷ついて、何度も泣いて、
歪さを抱えたまま、
それでも立ち上がる姿を、
そんな彼女を、僕はずっと近くで見てきた。
だからこれは、信頼でも信仰でもない。そんな身勝手な感情では決してない。
ただ、そこにあるだけの、
経験から帰納的に、合理的に導き出された一つの結論だ。
だから、彼女の願いが、想いが、どんなに酷い形で踏み躙られたとしても。
どんなに惨く、彼女の在り方が否定されたとしても。
彼女はずっと最後まで、最後のその瞬間まで、強く、生きていくはずだ。
美しく、在るはずだ。
その強さを、僕は知っている。
ただ、経験から導き出された一つの知識として、
……知っている。
あらゆる知識を収集し蒐集し、自分の中を概念で敷き詰め、自分で碌に検証も検討もしないで、ただそれで全てを知った気になっている。集めただけで満足している。
それはただの機能でしかない。検索エンジンや百科事典を所有して、全能感に浸っているだけの愚鈍で孤独なガキだ。ディスプレイの前で何もせずただ座って、世界を何処か高みから見渡した気になっている、憐れなだけの傍観者だ。
僕はもう、違う。
鏡面の向こうの自分を見つめる。今度こそ、真っ直ぐに見つめる。
あれだけ特別で、至高で、超然として見えた彼が。
触れれば一息に崩れそうな、砂上の楼閣のような。
叶わなかった夢を継ぎ接ぎにした壊れた残骸のような。
そんなものにしか、見えなかった。
何もかもが。今は、ただの虚勢にしか見えなかった。
先ほどまでの緊迫や緊張は、その悉くが何処か遠くへと押し流されていた。
何の、差し迫った危機も迫ってはいない。
僕はただ、目の前にいるかつての僕自身を倒すだけ。
だから絶対に負けられない。
「決着を、着けよう」
僕は言った。
彼の中の僕も、頷いた。
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