第六章 「死がふたりを別離つまで」

三十六節 「前夜」

Ep.36-1 終わりの始まり(前編)

 

 八月二十一日の夜、僕と葉月は連城の事務所へ向かった。


 二晩悩み、二人で意見を寄せ合い、よく話し合った末の結論だった。結論を出すのに慎重すぎるということはなかった。……残る陣営は五組。イレギュラーな存在の僕を除いたとしても、僅か四組だ。長かったゲームもとうとう終盤戦へ入ってきたことは間違いない。今まで以上に、気を張っていかなければいけない。

 今僕たちが置かれている生存戦バトルロイヤルに限らず、世の多くの事柄には何にでも、ある一地点を超えると、いや超えた途端に、これまでの穏やかさ、緩慢さが怒涛のように押し流され、一気に変わってしまうような地点がある。動物の生態系や勝負の趨勢、人生における進学や結婚、就職に至るまで、それらはいたるところに存在し、僕たちを待ち構えている。

 有体に言うのなら、というやつだろうか。その地点を越えてしまってはもう二度と元の場所には戻れない、そういった不可逆なポイント。残酷でもあるが、もう戻らなくても良い、という点では優しくもあり、ある種の「仕方なさ」を感じられはする。いつだって僕たちは、現時点を生きるしかないのだ。


 だから、今更こんな問題を持ち出すのもお門違いだとは思うが、敢えて言及しておきたい。

 僕は、

 それは葉月も同じだとは思うし、実際に彼女に確認もしたが、僕たちの共通の見解としては、「それでも手を組むしかない」というものだった。今の僕たちには、以前と比較し圧倒的に戦力が枯渇している。法条の裏切り、しぐれの造反。新たな協力者からの申し出は願ってもなく、有難いものではあった。

 だが、だからこそ、心の奥底に根付いた仄かな疑念がここに来て再燃しようとしていた。連城と僕との間をつなぐ接点が、どうしようもなく心を蝕んだ。


 ……三神麻里亜。

 命を懸け僕に願いを託した少女。

 悪魔としての僕の本来の契約者。

 立場が逆転した現在となっても、彼女の死に対する責任の一端は僕にある。


 その麻里亜が霧崎に襲われ命を落とす顛末を、彼女と親しかったというこの人物は、連城恭助は看過しているというのだろうか。奇妙さ、というと穿ちすぎる気もするが、麻里亜の話題を意図的に避けようとしているのには何処とない不自然さを感じ取らずにはいられない。


 ……連城恭助。

 彼の言動には不可解な点が残るばかりだ。

 彼の主目的が「六道やよいの蘇生」にあり、既にその目的は果たしたと言うことは彼の口から直接聞いた。嘘は言っていないと思うし、列記とした事実だろう。八代みかげの挙動に不審を感じ取り、僕とは異なる独自の動きでその核心に辿り着きつつあるということも何となく感じ取れる。

 だが、彼の思想の核—―彼を突き動かす熱意、インセンティブのようなもの――が一向に見えてこない。それはこうして膝を突き合わせて、面と向かって話していても同じだ。

 人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべているわけでもない。底の見えない独特な価値観を掲げているわけでもなさそうだ。「ここにある」彼の言葉や感情は、紛れもなく本心から発せられているものだと分かる。けれど……。どうしてなのだろうか。連城と相対していても、彼の人となりというようなものが、一向に見えてこないのだ。核心に触れるようなことには頑なに触れない、というように。何か肝心なことをはぐらかされている感じがする。

 遊園地で天城真琴と出くわしたのも、

 鷺宮紗希が麻里亜の叔母であるのも、

 連城自身が麻里亜と知人だったことも、

 何かが、僕たちの預かり知らぬところで調かのような……。

 ……まただ。

 また何かが僕の中で揺らぎ始めている。

 時として「分からない」ことは、分からないままでいいのだ。何か重要なことを知ってしまったが最後、結果として悪影響を及ぼすなんて事例は枚挙にいとまがない。

 強固な意志や確固たる目的、必要以上の拘りも、戦場においては時として命取りだ。それ自体が致命傷ともなり得る。

 むしろ不安定なところは不安定なままの方がバランスが良い。薄氷を踏むようなバランスでこれまでを切り抜けてきたからこそ、最後までこのスタンスを崩すべきではない。一方的な決めつけは危険だ。

 先入観や第一印象は捨てて、まっすぐに向き合うべきなのだ……。

 

「心配しなくても、毒なんて入っていないよ」

 テーブルに置かれたコーヒーカップになかなか手を付けないでいたところを、連城にそう声を掛けられた。

「すみません、お気を遣わせて」

 僕は短く謝罪し、カップに口を付けた。前評判と違わぬ、芳醇な香りが口の中に広がった。神経質になりすぎているのかもしれない。僕は努めて緊張を解き、彼らと向かい合った。

「一通りの状況確認は済んだからね。次は情報の交換と行こうじゃないか」

 向こうから切り出してきたか。僕は隣に座る葉月と顔を見合わせ、小さく頷いた。

「招待者側から質問するのもなんだからね。最初はそちらからどうぞ」

 手の内の探り合いか。こういうのは領分ではなかったが、僕は覚悟を決めることにした。決定打となる質問は掴みかねているが、予てから蟠っていた疑問に終止符を打つ好機でもある。

「僕たちがまだ法条暁や朱鷺山しぐれと同盟を組んでいたとき……。一度、法条の協力を拒んだことがありましたね。あれは、どうしてなんですか?」

 

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