四十節 「懐郷」

Ep.40-1 探偵は盤上にいない


       ☽☽☽


 天鵞絨びろうどのカーテンが微かな夜風にそよぎ、月のホールを束の間、陰影で彩った。星明りは僅かで、月は天頂近くに高く吊り下げられるようにあった。


――」

 探偵は多くの先達せんだつがそうしてきたように、解決編の始まりにその言葉を選んだ。

「この事件……。事件、と呼ぶにはあまりにも因果関係が煩雑とし過ぎているかもしれないけれど、職業柄、一応は「事件」と呼称しておこう。本事件における最大の焦点は、? ここに尽きると僕は考えたんだ。他の問題は目的に付随するに過ぎない。だから僕は、ずっと成り行きを見守っていた。敢えてどの陣営にも与せず、静観を保っていた」

 連城恭助、彼が率いる魔羯宮が、この最終局面に至るまで、どの陣営とも積極的な

交流を極力持たずに中立を保っていたことに対する疑問は、昨日、探偵事務所において周が連城に呈していた通りだ。連城はその疑問に対しこう答えた。「関係を持ちたくはなかった」、と。それはある意味で、だったと言える。 

「これだけ勿体ぶったんだ。ここまで散っていった者たちのためにも、遅れ馳せながら解決編といこうじゃないか」

 神も悪魔も、口出しはしなかった。沈黙を保って、探偵の口上を聞いていた。 

「悪魔憑きたちの行動を一歩引いたところから観ていてね、どうも奇妙なことに気が付いたんだ。彼ら彼女らの中には、明らかにある地点から行動原理や信念を変えた者や、性格や気質が変貌したものが多くいる。他のゲーム参加者の預かり知らないところで、だ。彼ら彼女らに見えないところでちょっかいを掛けていたのは、みかげ、君だね」


 八代みかげは答えない。


「神と名乗ってはいるが、君の能力、それはつまるところ、、だろう。物語、というのは勿論ただの比喩だ。と言ってしまった方が良いか。君は世界の流れ……引いては世界の中で暮らす僕たちの行動に対して、ある程度まで干渉できる。この僕だって例外ではないだろうね。世界を海に譬えてみよう。全てを変えること――たとえば世界規模の赤潮によって海の色を青から赤に変えると言ったような芸当――は不可能だろうが、それでも海流の一本や二本くらい、向きや速度を変えることくらいは容易なはずだ。……そうだろう?」


 八代みかげは答えない。


「だから僕は、。自分がするべきことをせず、果たすべきことを果たさなかった。勿論、宇宙センターの一件のように、どうしようもない場合はその限りではなかったけれどもね。

 

 これなら行動や理念を多少なりとも君に弄られようと、僕は僕の意志で「誤った」選択肢を選んでいるといった齟齬を生み出せる。

 救うべき友人を見殺しにしてでも、

 休戦を望む者の招集を無視してでも、

 かつての仲間からの協力を拒んでも。 

 。何を犠牲にしてでも、この世界の謎、神の定義へ迫りたかった。探偵とは真理を究明し追い求める生き物だ。そのためなら何をも厭わないさ」

 みかげは「ふ」、と小さく笑った。

「その言い分だと、この最終局面まで生き残れなかった悪魔憑きは、随分と報われないことになるね。何もせず陰で推理ごっこに興じていた君を恨んで死んでいった者もいるかもしれないね」

 みかげは死者を引き合いに出し、意地悪く言った。

「なに、解決編まで生き延びられなかった方に非があるのさ。

 探偵とて万能じゃない。法条君のような偉大な功績を残す気は僕は毛頭ないからね。救える分だけ救えばいいのさ。そして誰を救うかは、。その時に残っていた分だけ救えばいいのさ。

 僕は最後の最後まで、自分の意志でゲームの盤上へは上がらなかった。結果として、生き残った。ただ、それだけのことだよ」

 みかげは笑う。

「ふふ、君はやはり非人間だよ。見殺しにしたようなものじゃないか」

「ああ、そうだね。僕は元々、人が当たり前に持っているものを持っていなかった。人間のふりをして生きているようなものだ」

 三神麻里亜を助けずに見捨てたのも、

 如月葉月の招集に応じなかったのも、

 法条暁からの同盟の打診をにべもなく拒絶したのも、

 全てはこの時が、この瞬間のため。

 解決編で、黒幕と対峙する最後の一瞬がため。

 犯す必要のない危険は初めから犯す必要がない。


「じゃあ聞こう。八代みかげ、君はは、自分にとって都合が悪いものを、盤上から意図的に排していたね?」

「……いつからだ? いつから気付いてた? 答えろ、連城」

 押し殺した声は、半ば咆哮に近い。

。疑問に思わない方がおかしい。まだゲームは始まってもいないのに、主催者自ら場に赴き制裁を下すなんて」

「……調子のいい奴。わかっていて見逃し、ボクの側に与したのか」

 みかげは吐き捨てた。 

「なに、獅子身中の虫、というヤツさ。僕まで消されるわけにはいかなかったからね。盤上から僕まで消えたら、誰がその事実を君に糾弾するというんだい?

 最初の命題に戻ろう。このゲームの開催目的についてだ。

 とあらば、君が目的とするところは大体見えてくる。

 つまり、最後まで生き残った者がより強く、より美しい。。それだけのことなんだろう、神様?」


 ただの操り人形が、と小さく毒づいてから、みかげは、

「ふむ。大筋では、間違っていないね。及第点だよ、連城」

「犯人はずっと目の前にいたわけだからね。倒叙的に思考すれば、自ずと結論は出てくる」

 溜息をついてから、改めて神と名乗る少女は探偵と向き直る。


「……時に連城恭助。君には、自分という存在を定義するに足る、確固たる記憶があるかい? 父や母と過ごした日々や、友人と心から打ち解けた思い出があるかい?」 

 唐突な質問だった。連城は口ごもり、暫し硬直した。

「どうした、応えられないのかい? ならば、君の人生はすべてボクのだ」

「何を馬鹿なことを言っている。相手にするな、連城」

 紗希はそう窘めたが、連城は微動だにせず、投げかけられた言葉の意味を思案していた。小娘の戯言、と一笑に付すことは簡単だ。だが、そんな軽挙さえも、今の彼には叶わなかった。

「お前は人の人生の全てが、自分のものだと言うのか? なら私はどうなる? 今の仕事は、人生は、私が勝ち得たキャリアだ。運や環境の援けこそあったにせよ、正真正銘、私自身の能力によるものだ」

「ああ、そうだとも。鷺宮紗希。君のキャリアは君だけのものであり、そこに他者が介入する余地などない。それは厳然たる事実だ」

 みかげは続けた。

「だけれどね、その男に限っては話が違ってくるのさ。連城、もう一度問おう。先ほどから自分の意志だ意志だとのたまっているが、君はこれまでの人生で、?」


 連城は無言だった。みかげは機先を制すように、彼へ言葉を投げかける。


「これまでの人生で、一度でも疑問に思ったことがなかったかい? 何故自分に、これほどまでに多くの人が寄ってくるのか。善人に悪人に、ずば抜けた天才に愚にもつかない凡人から、多種多様な人間が君に接触し、そして深く親しくなることもなく離別していく。宛ら人種の坩堝のように。独りぼっちでは可哀想だからね。連城、君には沢山のお友達を用意した。

 まさか天性の魅力が備わっていたとでも自惚れていたかな?

 それこそ有り得ない。

 本来なら感ずべくところを感ぜられない、人の形をした何かだ。意図的に感情を閉ざしていた三神麻里亜や願望のために良心を押し殺した法条暁とは似てもつかない。自分に人間らしい感情なんて備わっていないことくらい、君自身が誰よりも自覚しているだろう?」 

 連城は頷いた。みかげの挑発的な言葉に感情的に応じられるほど、彼は情緒的ではない。あくまで口許の笑みは崩さず、悠然と聞いていた。それが僅かにでも崩れたのは、次の言葉を聞いてからだった。


「……時に連城。

 このゲームにおいても、さぞかし君の有する人脈と情報網は生き残るのに有利に働いたことだろうね?」

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