Ep.33‐2 仮面の奥、底のない黒
◆
「ねえ、君はさ、愛って何だと思う?」
唐突な質問だな、と思った。唐突な上に捉えどころがない。結局そんなものは個人の尺度によるんじゃないだろうか。
「さあ……。「欲望」とかじゃないですか?」
僕の投げやりな返答に、彼女は嫌な顔一つせず、
「これはまた随分とストレートに来たね。動物的なのは嫌いじゃないよ」
「何処かの哲学者は他者の欲望を欲望するから人間は社会的生活を営める、それが動物との最大の違いだ、みたいなことを言っていたような気がしますが」
他人が出した答えじゃなく、君自身の答えを聞きたいのだけどもね、と里桜さんは苦笑する。
「じゃあ、もっと簡単に言い直そう。愛に限らず、好きってなんだと思う?」
好き。好意。好感。
そう言った言葉を口にするときの彼女は、とても楽しそうでいて――それでいて、何処か抑えきれない寂しさのようなものを滲ませていたのだった。
◇
操さんは黒衣の人物へ肉薄し、頭部めがけて腕を振り払った。直撃する。襲撃者は「うぅ」と唸るような声を出したが、気だるげに腕を振り払う。思いのほか力が強かったのか、操さんはよろめいたが、即座にローキックを繰り出し、襲撃者を怯ませる。
時間が止まっているかのように、激しい攻防だった。
襲撃者は豹のように飛び起き、低姿勢からナイフを構え、操さんへと吶喊する。
操さんはその一閃を、確かに防いだように見えた。ナイフを持つ手を返し、反撃へと打って出る。事実、操さん自身もそう認識していたのだろう。だから襲撃者が何事もなかったかのように、元居た位置に立っていたときは、数瞬だけ、動きを止めた。
その数瞬が、あまりにも遅かった。葉月に切り裂かれていた腕が仇となったのだろうか。襲撃者は今度こそ容易に操さんの懐に潜り込むと、あっさりと腹部へ刃を貫き通した。肉を貫く、不快な音がした。
操さんは前のめりに倒れ込むように、黒衣の人物と向かい合う形となった。
「そういうこと……。ああ、そういうこと、でしたのね。酷いわ。私としたことが、すっかり騙されちゃった」
フードの中を覗き込み、襲撃者の姿を垣間見た操さんは、しかし、次なる言葉を紡ぐことは叶わなかった。
腹を裂いた。傷ついた腕を引きちぎった。容赦のない攻撃。血。悲鳴。躊躇いのない暴力のシークエンスに、僕は一瞬だけ目を逸らす。
伝えるはずの言葉は、泡となって零れていく。
ふふ、と恨みがましく操さんは笑った。その笑みは凄絶で、譬えようもなく壮絶で、永劫終わらない悪夢のワンシーンを見せつけられているようだった。
僕はきっと、死に瀕した操さんの笑みを、この先一生忘れられないだろう。
それは「誰でも好きなんだ」と言って憚らなかった彼女が、他人のどんな好意でも受け入れてしまえる彼女が、最後に抱いた一掴みの悪意……嫌悪のようなものだったのかもしれない。
襲撃者の腕が操さんの身体から抜かれる。臓腑が擦れる嫌な音がするのと同時に、操さんはくるくると木の葉のように舞い、倒れた。
地に伏した操さんと目が合う。
弱弱し気に微笑む操さんは、何かを口にした。
《生きろ》
或いは「逃げろ」だったのかもしれないが、僕は彼女ならそう言うように思えた。
「鷺宮! 天城君!」連城が叫ぶ。
音がねじ曲がって、僕の耳を
暗闇から二人の人物が踊り出て、それぞれ黒衣の襲撃者へと攻撃を加える。浴びせかけられる銃弾をものともせず、その人物は悠然と広場を渡り歩いた。まるで僕たちの出方を窺っているかのように。表情は伺い知れないが、黒いフードの中で、くしゃり、と何かを丸めたような音が鳴った。
……笑っている。
「ハチガツ、ニジュウ。ニニチ」
八月二十二日。
「ヨル、ミサクラシミンホール」
夜、美桜市民ホール。
そこで、何が。起きるというのだろうか。
いや、何をしようというのだろうか。
吹き飛ばされるような衝撃が不意に僕の身体を襲った。いつの間にか、葉月に腕を引かれていた。
僕は少し迷ってから、葉月の手を外す。そして連城たちに応戦している黒衣の視線の間隙を縫い、操さんの許へ辿り着く。葉月と彼女の母も寄ってくる。彼女らの手を取り、強く念じる。
背後でマリヤが羽搏く音。
空間が、捻じれた。
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