Ep.32-2 二人で歩く
夜の街を二人で歩く。
向かう先は、深夜の桜杜自然公園。
街路樹と街灯が交互に現れる歩道を辿っているうちに、僕は次第に感覚が麻痺していくの感じていた。
操さんを殺す。
その行為の重みは、不可避の重力のように、僕を上から押さえつけていた。当然、足取りは遅い。注意していないと、二三歩前を歩いている葉月に置いて行かれてしまいそうだった。
次だ。……次の街頭で言おう。
僕は意を決し、口を開く。
「昨日、八代みかげのあの有様を見ただろう? あんなになってまで、君は本当に、神になりたいのか?」
葉月は答えなかった。黙って歩を進めるだけだ。
間髪を入れずに、次の街路樹が迫ってくる。ひび割れた幹は、否が応でもこの先待ち構える運命を連想させた。
「罠かもしれない。また、みすみす敵地に飛び込まなくても良いじゃないか。少し落ち着いてから、ゆっくり考え直そう」
葉月は答えなかった。早まりもせず遅くなりもせず、規則的に足を動かすだけだ。僕も慌てて追いかける。
僕は。
今の僕に言える言葉は。
坂の上に、公園の入り口が見えてくる。
「僕たちに残された時間は……あと僅かだ。本当に、これで良いのか?」
君は本当に。
このままでいいのか?
葉月は答えなかった。ただ前に歩くだけだった。
見えない鎖で引きずられ続けるように、僕も歩き続けた。
「……着いたよ」
葉月はそう呟き、門をくぐる。
森閑とした園内は、根城にしているホームレスや人目を忍び愛し合う若いカップルなども存在せず、ただ、中央広場の噴水が立てる人工的な水音と、虫の集く音だけが、ぎこちのないリズムで流れている。
考えたくもないが、何もかもが、今宵、この場所で決してしまうこともあり得る。その可能性は十分すぎるほどに考えられた。法条を殺し、しぐれと決別し、皐月を喪った彼女を決定的に崩壊させる何かが、あの暗い林の向こうに待ち構えているような気がしてならなかった。
葉月は止まらなかった。
遊歩道の向こうに、広場の明かりが見えてくる。
「こんばんは」噴水広場の縁石に腰かけていた女性は立ち上がり、僕たちを見てそう言った。「……静かな夜ですわね、本当に」
操さんだった。夜の闇に融けてしまいそうな黒いドレス(まるで喪服のようだ)を纏い、心配そうに此方を見る。
「気分は良くなったの? あなた、この前は随分、取り乱していらっしゃったから」
葉月は答えない。ただ、彼女へと近づいていく。人形のように何処までも無表情なまま。
操さんはその場に立ったまま、動かない。何か罠があるわけでもなさそうだ。ただその場に立って、葉月が近づいてくるのを待っている。
あと四メートル、三メートル……。二メートル程まで近付き、葉月は足を止めた。そして懐に腕を伸ばし刀で操さんを切り払おうとしたところで、時間が止まってしまったかのように、硬直した。いつかの時と同じく、石化してしまったかのように。
驚愕に見開かれた葉月の瞳は、操さんに向けられたものではない。
僕のところからは暗くてよく見えないが、木立の中に、誰かが立っていた。
「はっちゃん……何をしているの?」
声がした。聞き覚えのない、殺し合いの場には凡そ似つかわしくない、柔らかな声音。敵意はない。ただ純然と、葉月のとった行動の意味を問うていた。
葉月はわなわなと唇を震わせながら、今度こそ操さんを見る。
「今度は。今度は何をするつもりなの、あなたは……」
操さんは答えない。葉月は業を煮やすかと思ったが、自身の悪魔を見、何かを悟り、背後を振り向いた。背後――僕のいる方だ。
「いいや。この再会は僕が取り計らったものだ。彼女は関係ないよ。如月葉月さん」
そうしてもう一人。僕の後ろから語り掛けるように、男が現れた。……魔羯宮。
彼は僕の横をするりと抜け、葉月へと歩み寄る。
止める間はなかった。ここに来て、僕は蚊帳の外になってしまっていた。
「感動の再会とは……いかなかったようだね」彼は酷くもの悲しそうに呟く。「僕としては少し、残念だね」
葉月は振り向き男を見止めると、
「あなたまで……。ふふ、何? これは何? 皆で寄って集って、あたしに何をしようって言うの?」
誰も答えない。
「こんな、こんなものまで見せて、あたしに何をしようって言うのよぉ!」
葉月は叫び、今度こそ力任せに操さんへと斬りかかる。僕は何もできない。僕は。
刃は途中で止まった。二の腕の辺りを深々と切り裂いて、赤く染まった刃は、それ以上に進まなかった。
「はっちゃん……。そんなことしちゃダメだよ。どんな理由があっても、身体でも、心でも……人を傷つけるのはいけないことなんだよ」
女性は葉月へ歩み寄っていく。
「ママは……。ママは死んだわ。あなたは幻、幻影よ! ……そうだ、あなたたちの誰かの、権能なんでしょう? そうなんでしょう? 出なければひどい冗談だわ」
慌てふためきながら、しかし彼女には逃げ場がない。
「はっちゃん。目を、覚ましなさい」
女性は葉月の頬を強く張った。
葉月の母親……。
彼女の、家族。
仄かな希望が、僕の心の中に芽生えた。ひょっとして彼女なら、葉月を正しく導けるのかもしれない、と。
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