三十二節 「逃亡」

Ep.32-1 鎖された街

 八月十七日の朝は、やけに人通りが多かった。街の封鎖が次第に解除され、外部との連絡手段が漸く確保され始めたからだろうか。僕は葉月を避難所へ残し、一人隣町へ買い出しに出ていた。殺人ゲームの最終局面といっても、生活にも……先立つものが必要だというわけだ。

 荒廃した幹線道路を辿り、食料品を担ぎながら街への道を辿っている途中、ふと、後ろから声を掛けられた。


「よ、めちゃくちゃ久しぶり。覚えてるか?」

 派手な金髪にピアス。既視感を覚える、やたらと黒を基調としたファッション。軽い見た目とノリなのに、豪奢が服を着て歩いているような、奇妙な取り合わせ。

 はて、こんな知り合いはいただろうか。

「君は……」

 思わず言葉に詰まる。

「ロキ、でいいぜ。

 いつぞやか、皐月が家に連れてきた男。確か友人と言っていたか。

 あの時はまだ、僕と葉月の側には、しぐれもいた。皐月もいた。法条もアリスも、敵ではあったかもしれないけれど、得難い存在だった。もう誰も、いない。 

 かつて僕たちが話し、夢を語ったあの家は何処にもない。僕たちの帰る場所は、既に灰と土に塗れ、崩れ去ってしまった。

 僕は少し迷ってから、

「皐月は、死んだよ」

 一度言葉を飲み込み、そう告げた。


 彼は暫し面食らったような顔をしていたが、

「そりゃあご愁傷様だな。まあ、街がこんなになっちまったんじゃあな。そういうこともあるだろう。ありふれた悲劇だよ」

 本当は殺されたのだけれど、事実をありのままに告げる勇気は僕にはなかった。

「あのお姉さんは元気かい」

「…………」

 沈黙を貫く僕を見かねたのか、彼は続きを話した。

「まあ、元気なわけないか」

 ロキは足元の小石を蹴り上げ、眼下の街を眺めた。

 連日の復旧作業の甲斐もなく、未だに怪我人や犠牲者は見つかっている。世界の崩壊……八代みかげの死を待たずして、世界は終わりかけているようなものだった。

「わかんないもんだよなあ……。人生って、いや、人の生き様ってよ」

 それには心底同意する。

「僕もね、まさかこうなるだなんて思わなかったよ。……いつもそうなんだ。悲観的なのは、自分で自分に予防線を張っているから。要するに、安心するためなんだよ」

「その癖して、自分の想定以上に大変なことが起こるとパニクってどうしようもなくなるんだよな。わかるわかる」 

 それも図星だった。

「君は……凄いね。こんな状況でですら、遊んでいるみたいだ」

「そうか? 短く儚い人生、挫折や苦難の一つや二つは付き物だろ。これを機にまた何か、新しく始めるのもいいかもだぜ」

 崩壊した街の中で、僕たち二人は立ち尽くしていた。

 不意に、傍らの男は口を開いた。

「俺とお前は似ているよ、予言するよ、きっとまた何処かで会う」

 心の奥底で何か決定的なモノが掠めたような気がしたが、その違和感が果たして何なのかまでは分からなかった。

「僕は全然そうは思わないな。君とはもう二度と会うことはない」

 僕はそう返答し、男に背を向け、街へと向けて歩き出した。


 つまらないとも面白いとも思えない、何の気のない、何処にでもある対話だった。


       ◇


 葉月は連日、残りの悪魔憑きを狩る算段を練っていた。

 夢遊病者のように夜な夜な街を練り歩いては、ベリアルの魔力感知の網を張り巡らし、獲物が網へかかるのを待っている。

 やはり先日の、三回目のイントロダクションが最後の引金だった。もう、葉月を

縛る枷は何もない、と言っていい。あの八代みかげでさえも、もう葉月を止めることは出来ないだろう。

 吹っ切れた、と言ってしまえばそれまでなのだろうが、箍が外れてしまった彼女には、僕でさえも、もう十分には見えていないのだろうか。やり場のない淋しさと、仄かな憤りが芽生えた。


「良い報せがあるの。居場所がね、分かったの」

 ……誰の? とは訊けなかった。 

「まるで待ち構えているみたいね。桜杜自然公園の、噴水広場。今度は立場が逆転しちゃった。って、あの時はアマネくんはいなかったね」

 彼女はまだ知らないのだ。僕が隠していることを。葉月が公園で大立ち回りを演じたあの夜、僕が彼女を陰から見張っていたことを。

 避難所の片隅で昼食を取りつつ、葉月は次なる標的ターゲットの名を告げた。

「次は処女宮を殺すわ」 


 

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