Ep.30-2 鳩首その二 町外れの山小屋
「全く……やってくれましたね、しぐれさん」
彼は溜息をついて、ベッドに深く腰かけた。
「焚きつけろ、とは言いましたが。演技とはいえやりすぎですよ。あれでは、まるで本当にあなたが犯人みたいじゃないですか」
隙間風に身を震わせながら、私は彼の隣に座った。
「如月葉月の家族を奪ったのは、あなたではなく僕だというのに……」
彼らしくない自嘲するような笑いに、何処か違和感を感じ取る。私は何か、致命的な勘違いをしているのではないのだろうか……。
「とはいえ、ここまでは概ね予測通りです。家族さえいなくなれば、獅子宮……彼女を縛るものは何もない。彼女は一切の遠慮なく、殺戮を続けることでしょう。最終局面まで暫くは、高見の見物としゃれこみましょうか」
何を呑気な、と思いかけて、そういえばこいつはこういうヤツだったな、と改めて認識する。一昨日の宇宙センターでの大立ち回りは、出来すぎた偶然のようなものだったのかもしれない。今では気の抜けたように、私と二人で山小屋に閉じ籠っては、好きな時に好きなことをして、怠惰で頽廃的な一日を送っていると言った有様だ。
「ねえ、本当に大丈夫なの。このまま何もしなくて」
そう、如月葉月が私たちを標的にしない理由などないのだ。彼女の家を焼き、家族を殺した(と葉月は思っている)私などは、一番憎くて堪らない相手だろうに。
「あの女なら、今この瞬間にもここを襲撃しに来てもおかしくないでしょう」
「その点については大丈夫です。僕の悪魔に頼んで、結界を貼ってもらいましたから。向こう七日間、ここは外界から完全に隔離されています。最も、僕たちも出ることは適いませんが」
いやに自信ありげな回答に、私はかねてからの疑念を思い起こされた。
「ねえ、あなたさ、誰も信じないみたいな態度なのに、あの悪魔にはやけに心を許しているよね。何でなのかな? そんなにあいつ、特別なの?」
初めて遭遇した、あの体育館での惨劇を思い返す。確かにあの日、目の前の少年と悪魔は死体の山を横に軽口を叩き合い、異質な雰囲気を醸してはいなかったか。
「特別ですよ、彼は。何せ生死にも善悪にも頓着がない。彼は自分のことを至高者、と冗談交じりに呼んでいました。人はやる気にさえなれば、何にでもなれるし、何処へでも行けるのだと。その能力を開花させることこそが、自らの特質なのだと……。だから彼は、理論上ですが、どんな悪魔にもなれるのだそうです」
まるで訳が分からない。ただ、あの厭味ったらしい悪魔が、私のラプラスの悪魔と同様に、桁違いの能力を秘めた破格の存在だということは理解できた。仲間の死を目の当たりにした私に「何でも楽しむんだ」と告げ、笑ったあの悪魔。それだけ高名な悪魔なら、私でも知っているかもしれない。ルシファー、ベルゼブブ、アーリマン、レヴィアタン……。神話に名高い悪魔の名を脳で諳んじてみたが、特にこれといった解は見つからなかった。ラプラスを使っても良いが、あいつの正体を知るためだけにあの耐えがたい苦痛を味わうのは御免だった。
「じゃあ、如月葉月のことは、まだ放っておいて大丈夫なのね」
「彼女は最後の最後まで、必ず残ります。彼女はそういう人間です。一度動き始めたら止まらない、いや、止まれない。動き続けることでしか、行動することでしか、自分を保てないような人種でしょうから」
まるで自分が一番よく「如月葉月」を知っているような口ぶりだ。
「やけに肩入れするのね、敵なのに」
「敵だからこそ、です」
そう言って、まだ名前すらも知らない少年は、どさりと身を横たえ、微かな寝息を立て始めた。
そんな姿を見ているうちに、睡魔が脳の片隅から押し寄せてきた。
予感めいたものはなかった。
床に散らばった衣服を拾い集め、
そのままベッドへ戻ろうとすると、
不意に、身体の位置はそのままに、内臓を丸ごとひっくり返したかのような強い感触が私を襲った。身体の奥を深くえぐるような、感情の奔流。空間がそのまま弾けるような、強烈な感触。
視界が反転した。それはきっと、『鏡の向こう側を覗き込んだら自分がいる』と同様の、決して揺るぎのない感覚。予想をするまでもなく、初めから当たり前にそうあると確信を持てる現象。
最早見慣れた時計のモニュメントに、
ローマ数字を象った奇妙な座椅子。
私以外の五人の影。
そしてその中心に、
八代みかげが、いた。
「ようこそ、ボクの宮殿へ。悪魔憑きも半分になったことだし、三回目……最後のイントロダクションと行こうか」
八代みかげ。神。私を、自分と「似ている」と言った少女。私に、寿命を譲渡してくれた少女……。
「今回の議題はシンプルに、「神とは何か」、これで行こう」
彼女の声を聞いていて、私の中で、何かが、音を立てて弾けるのがわかった。それは、不安とも予感とも形容しがたい、ある種の暴力性を孕んだ冷たい悪寒だった。
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