Last interlude:『その正体』


 こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった

なんで、どうして

あのふたりがきょうだいなの

なんでわたしがさつきに 

うそをつかれていたの――


「いやあ、とんだ番狂わせだよ。まさかこの三人が残るとは。下馬評でも取らせたら面白かったかもしれないね。ボクも全然、予想できなかった」


 突如――ホールに響いた身勝手な声で、思考は破られた。


「なーんてね、全部最初から、分かっていたことだけどさ」


 八代みかげが、舞台を目指して、ホールを音もなく歩いていた。ゆっくりと、足元の何かを踏みしめるように。

 ……来るな。来るんじゃない。

 今は誰にも近寄って欲しくはなかった。誰からの言葉も受け取りたくはなかった。私の身体を細切れに切り刻んだ如月葉月の暴虐は、まだ色濃く身体に残っている。

 濃密な死の――記憶。

 すっかり再生した両腕で胴を掻き抱き、凍えるように身体を揺らした。


【ふふ……無様だねぇ……キミは】

 

 不意に、頭の中に声が響いた。それはあまりに唐突で、私は驚くのと同時に、仄かな安堵さえ覚えてもいた。聞きなれた……どこか憐憫を含んだ……声?


【勝負に勝って試合に負けた、というところかな。まあ、自分のことしか考えてない君には葉月が笑って逝った理由なんて、一生かけてもわからないだろうねぇ……】 


 ……おかしい。八代みかげは口を動かしていない。ただ黙って、腹話術師かのように、面白そうに此方を見つめ返しているだけだ。それなのに……私の頭の中に直接、語りかけてくる。何故……どうして……。

 気味が悪い。気色が悪い。気持ちが悪い。

 もうこれ以上……私に近付くなあぁ……。


【ここまで連れ添ったになんて言い草だい……キミは】


 最初は耳許で囁かれているような微かな声だったのが、いまや私の脳内を内側から揺らし……中で何度も執拗に反響し続け……責め苛んでいた……。


? ボクのことだよ。ボクがここまでキミを導いてきたんだ】


 …………。  

 

【大体さあ、何もかもがキミに都合がよかったじゃないか。キミみたいに自分を痛めつけることでしか自分に価値を付与できない正真正銘の××××が、こんな最終局面まで生き残れたこと自体が奇跡だろ?】 


 ………………?

 

【全部ボクが調整して、配置してあげたんだよ。厄介な能力を持つ三神麻里亜や霧崎道流を序盤にして排除したのも、大願を掲げた法条暁や、恋人のために奔走した御厨翼が勝手に自滅したのも、全部ボクが介入したからなんだ。他人のために抱く願望というやつは、つくづく碌な結果を産まないね。その点キミは評価できる。なにせ仲間が大事だとかなんとか言いつつ最初から最後まで徹頭徹尾、のだからねえ……】


 ……………………!


【結局ね、君は最後まで抜け出せなかったんだよ。自己愛という名の柵からね。陳腐な言い方にはなるだろうけど、キミはさ、葉月と皐月という二人の姉弟の互いを想い合う気持ちに、ただのとやらに敗けたんだ。認められないんだろう、等身大の自分が。常に誇大的な妄想に取りつかれ、何処か他人と違うと思っている。だから他者とまともに関わり合えない……。自分のことを否定し卑下し続けながら、そんな駄目な自分が愛おしくて堪らない……。自分の事だけに囚われた自己愛と自己否定の牢獄。それがキミの正体ほんしつだ。……まあ、安心しなよ。


「やめろ……もう聞きたくない! あんたなんて大嫌いだ! あんたなんかに、私の何がわかるんだ! 私は普通じゃないんだ! 普通じゃなくて、可笑しくて、犯しくて、だってお嬢様なのに、お金にも困ってないのに援交してて、性欲塗れのバカな男どもに簡単に股を開く●●●で、そんなんじゃなきゃ自分の価値を確認できなくて、とにかく普通じゃなくて……! いや普通なんてこの世の何処にもなくて、お前なんかに、お前なんかに私が分かるわけがないんだっ……! 分かってたまるかっ……」


 もう自分が何を考えているのか……何を口走っているのかさえもよく分からない。声の限り叫ぶ。あるいは声になっていなかったのかもしれないけど……喉が千切れるほどに抗った……。目の前の……少女に。

 

 けれど八代みかげは嫌な表情一つも見せずに、憐れむように、慈しむように、続く言葉を口にする。

。……断言してもいい。この世界の何処を探したって、ボク以上に君のことを理解している者なんていない」


 カチ、カチ、カチ、カチ。


 不意に、どこかで時計の音がした。


 カチ、カチ、カチ、カチ……。

 

 時計の音が……やけに耳障りだ。私の近く……どこか……すぐ近くで今、まさに鳴っている。幻聴かもしれないけれど……私には聴こえる。音は段々と舞台の上へと……私へと……近づいてくる。


 カッチ、カッチ、カッチ、カッチ……。 


 等間隔に、一秒一秒正確な時を告げるはずの針は、心なしか、早まっているような気もする……。そんなことは有り得ないから、私の勝手な勘違いだろうけれど……。いや……。音はまるで私の身体と繋がっているかのように、私の心臓の鼓動を段々と強くクレシェンド、していく……。聞きたくない……もうこれ以上聞きたくない。


 カッチカッチ、カッチカッチ、カッチカッチ、カッチカッチ……。  


。これは返すよ」八代みかげはそう言い、空へ何かを放った。それは舞台の上を滑るように転がって、私のすぐ近くへと届いた。


 そろそろと近づいて、近くから観る。


 それは金の懐中時計だった。私が持っていたものと寸分違わぬ……。いや……問題はそこではない。真上から覗き込んで、「事実」をこの目で確認して、蒸発したかのように、口の中の水分が、からからと乾いていくのが分かった。全身から血の気が引いていく……。そんな……まさか。


 


 針も、ちゃんと動いている。動いているからこそ……私は今……この煩わしい音を聴いている、のだ……。 


 がちがちがちがちがち。カチカチカチ、がちが、ちがちが、ち。


 不規則な音が、目の前の時計から発せられるものなのか、小刻みに震える自分の歯から生まれているものなのかさえも……わからない。


 分からない、判らない、解らない……。


 降り積もった違和感が雪崩のように胸の奥へと堆積していった。胸に熱した金属でも支えているような、薄気味悪い感覚が直に伝わってくる。吐き出そうと、乳首の下を強く押した。


 薄い脂肪の奥に当たる骨の感触……。視界の端で葡萄の房のように揺れるのは、白く、どこまでも真っ白な……髪。私の髪は……赤ではなかっただろうか……。それとも、一度死ぬような経験をすると、瞬く間に髪の色は変わってしまうのだろうか……? 丁度、あの高名な怪奇小説家の作品のように……。地の底の牢獄に閉じ込められたかのような……自分が其処にない、在るべき場所にいない……恐怖……。

 

 ふと、観客席の方を眺めると、二人の男が同列に座っているのが見えた。

 ひょっとすると、座席の方からは、舞台の上で何かしらの演劇でも繰り広げられているかのように映るのかもしれない……。そうだとするならば、演目は何なのだろう……。


 現実と幻想の境界が融解するような、実在と不在が混じり合うような、どこまでも安定感のない光景……。私は、私という人間は、本当にこの場にいるのだろうか……………………。


 カチ、カチ、カチ、カチ。

 暗い舞台に木霊するのは時を刻む二つの針。

 でも、今はそれだけが……嫌いでしかなかったはずの時計の音だけが……今現在の私をこの場に繋ぎ止めてくれる楔だった……。 


 ……美桜宇宙センターで皐月にあげた金時計は、御厨翼に一度盤面を壊されて、先ほど私の手許に還った。癇癪を起こした私の手によって、舞台の床へ叩きつけられたそれは、当然の帰結として、粉々に破壊されてしまった。……現に、破片はまだ回収されずに、そこら中に散らばっている。


 では何故、完全な状態でここにある?

  

 どうして、


 ? 


 震える手で、

      金時計をひっくり返して、

                  裏を眺めた。


 裏面には古めかしい訓令式で、呪わしき名前が彫られている。


 TOKIYAMA SIGURE


 秩序だった並びは、頭蓋に情報として取り込まれるや否や、自然と定まった別の形を象り始めた。そしてその並びは、私にとって最悪の結果を感じさせるものだった。


 YATUSIRO MIKAGE 


 

 ときやましぐれ。

 私は……私の名前が嫌いだ。

 私は……が嫌いだ。


 ああ、そうか。答えは、いつも、自分の中にあったというのに。


 

   

 TOKIYAMA①②③④⑤⑥⑦⑧ SIGURE⑨⑩⑪⑫⑬⑭

    ↓

 YATUSIRO⑤⑥①⑫⑨④⑬② MIKAGE⑦⑩③⑧⑪⑭




「おめでとう、朱鷺山しぐれ。このサバイバルゲーム、」私にそっくりな少女が、もう一人の自分が勝ち誇ったように宣言するのを、どこか遠くで、私は他人事のように聴いていた――――




         /第六章 「死がふたりを別離つまで」――了



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