四十六節 「螺旋」
Ep.46-1 八代みかげの物語(前編)
【二十七回目】
また……失敗した。満足できなかった。一体何がいけないというのだろうか。
当たり前の暮らし……退屈でいて尊いはずの暮らしにもはや何の有難みも、一片の感慨さえも抱けなくなってしまっていた。恋人が出来た。だから何だというのか。結婚した。だから何だというのか。子供が出来た。だから何だというのか。
あれだけ戻りたかった「当たり前の日常」とやらに、戻れなくなってしまっていた。
過酷な生き残りゲームを経て、根本から人格が変容してしまったとでもいうのだろうか。
最後に皐月を間接的に殺し、最後の最後に七瀬あけびを殺めたことで、自分の中の決定的な何かが、変わってしまったとでも……いうのだろうか。
駄目だ。考えても仕方のないことは考えない。……「次」だ。
【百三十六回目】
百回近くも繰り返して漸く気付いた。私が欲しいのは、ずっと求めていたのは、達成困難な課題をクリアした時の圧倒的なまでのカタルシスだ。
第一、今までの私と、あのゲームを経ての私では、思考や価値観にあまりもの隔たりがありすぎる。平和で安穏な暮らしを送るもう一人の自分を見て心安らいでも、それは嘗ての私が求めていた月並みな幸せでしかない。大企業の令嬢としての責務を放擲し、放埓な生活を送ることを夢見ていた昔の自分が望むものでは決してない。
もっと大きな試練を。偉業を成し遂げさせてあげなければ。ちょうど私と皐月が、あのサバイバルゲームを最後まで勝ち残り、最後の数日間だけ穏やかな暮らしを送ったように。
優れた物語は必ず主人公が窮地に陥る。その山場をどう切り抜けるか、如何にして幸せを掴むのかに観客は一喜一憂するのであって、なんの見せ場もない平坦で平凡な道を我儘に突き進むだけの物語なんて、退屈で仕方がないに違いない。仮にそんなストレスの一切ない物語ばかりを摂取している人間がいるとしたら、極端に現実で満たされていないか、極端に人生に疲れているかのどちらかだろう。そんな無様な物語を私は紡がない。今の私は神だ。
【三百五十八階回目】
……退屈だ。これではとても駄目だ。
もっと絢爛で、それでいて剣呑で、見る者の心を震わせるような物語を、紡いで魅せる。波乱万丈な、見ている者たちまで、物語の紡ぎ手である私までをも巻き込んで展開する物語を、もう一人の自分に歩ませて見せる。他ならぬ私だってもう、物語の一部だ。
勿論、困難を乗り越えた最後はハッピーエンドだ。希望のない物語なんて誰が望むんだ。
そんな物語を経験させるにはどうすればいいか。簡単だ。何せ生き証人として私がいる。私が経験したあの驚異を、もう一度、もう一人の私に課してみよう。そうでなければ、条件が揃わない。逃げ回っていた私と違って、もう一人の私にはちゃんと戦ってもらおう。なに、私だって捨てたものではないはずだ。
もう一度、あのゲームを、今度は私がゲームマスターになって、開催する。自分だからと言って八百長も依怙贔屓もなし。他の参加者だって相応な人間を選ぶ。神選びを、もう一度。
【八千二百四十六回目】
数えきれないほどの屍が意識の端で積みあがった。
その場の雰囲気に流され参加を決意し、序盤にして呆気なく散るもの。
凝り固まった観念や信念に囚われて、自ら進んで尊い犠牲となるもの。
土壇場でずっと信頼していた仲間たちをなんの罪悪感もなく裏切るものもいれば、最後まで自分の信仰や信念を捻じ曲げず、それらに殉じて潔く散りゆくものもいた。
彼ら彼女らの生きざま、死に様を眺めているのはとても楽しかった。まるで自分事のように物語世界に没入し、我が事のように涙し、手に汗握った。今度はどんな戦いが見られるのか楽しみで、開くたびに内容が変わる物語を延々と見続けていた。もう一人の私と皐月も、毎回必ず参加させた。驚くべきことに、私たちのペアはたとえどんな相手でも、互角以上の戦いをした。慎重かつ大胆な皐月と、引っ込み思案だが強力な異能を持つ私。どこで上手く歯車が嚙み合ったのかは分からないが、きっと相性が良かったのだろう。偽りの神を選ぶ、偽りのゲーム。勝ち残った者にはなにかひとつ願いを叶えられるという設定にしてみたのだが、それでは参加する動機には弱いかと思い、順序を逆にしてみた。これでもう候補たちを釣る餌に困ることはない。
皐月や私は時に惨たらしく負けることもあったけれど、悲劇的な結末をも、楽しんで見られるようになる程度には、私はこの死と危険に満ちた生き残りゲームの興奮に慣れてきてしまっていた……。
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