Ep.27‐2(黒) 炎の中の対面 

       

 外縁部の闇に紛れるようにして、金牛宮はセンター内部の状況を把捉していた。既に十分近く双児宮と処女宮の悪魔はその場から動かない。二人は無力化されたとみて間違いないだろう。残るは中枢部にいるはずの人馬宮と、東通用口に二人固まっている獅子宮と虚無宮。西通用口側には動きがない。魔羯宮と天秤宮は例の扉を作成する能力で移動でもしているのか動向がつかめないが、中枢部へと向かっていると見て概ね違ってはいないだろう。

 魔力感知で悪魔の居場所から契約者の動向を割り出すという金牛宮の目論見は、確かに一定の成果を上げてはいた。悪魔は契約者の命がない限り単独行動は不可能。よって悪魔に行動がないのなら契約者も行動していない、もしくは出来ないとみるのが道理。彼は既にどの契約者とどの悪魔が契約しているかの組み合わせを具に把握している。そう、悪魔の現在位置から契約者の現在位置を探り出すことなど、彼にとっては造作もないことだった。だから彼は気が付かない。

 中枢部での勝敗の結果は予測できないが、既に手駒の多くを失った人馬宮の陣営は瓦解したに等しい。で、あれば……。


 金牛宮は契約者の経歴を調べたときのことを克明に思い出す。そしてある人物の経歴を思い出し、身震いをした。

 彼女の人生けいれきには、数年前に不自然に司法の表舞台から去ったことを除いては、なんら一つの綻びがなかった。清廉潔白、温厚篤実。ひたすらに悪を糾弾し、善を為していた。彼女の弁護を受けた人々は一様に誰もが彼女に感謝し、彼女のことを讃えていた。彼女のことを正義の女神ユースティティアの化身だとさえ言い張る人間さえもいた。彼女は多くの人々を救っていた。敗訴確実と言われた裁判でさえ悠々と勝訴を勝ち取り、紡ぐ言葉には一切の乱れがない。多くの人々を救済した彼女は、紛れもない善人だった。

 しかし、だからこそ金牛宮は誰よりも彼女を警戒した。なればこそ法条暁という人間を許容できなかった。

 一切の歪みのない人生。一切の穢れのない人間。一体何が彼女をそこまで突き動かすのか? 彼女は一体、何者なのか? 


 金牛宮は悪寒が抑えきれなかった。



       ◇


 

 白い廊下を、二人は走り続ける。外から絶え間なく聞こえてきた炎の轟音は消え去り、辺りは静寂だけが支配していた。

「さて、もう炎の領域は抜けました。ここから中枢部の地下を迂回して、東通用口側の紗希さんと合流します」

「了解した。なあ、天城君と言ったか。君は連城さんと知り合って長いのか」

「いえ、まだ数年ばかりです。でも、先生のことはとても尊敬しています」

「そうか。あの人はね、私の憧れなんだよ」

 自身が師と仰ぐ人間を褒められ、天城はまるで自分のことのように嬉しさを覚える。

「あの人はね、善悪に頓着がない。清濁併せ呑む、なんて陳腐な表現じゃ、あの人は表せない。連城さんはね、意志が一貫しているんだ。ああ、私も、そうなれたら良かったのにな」

 そう言って法条は立ち止まる。

「どうしたんですか、具合でも悪いんですか」

「ああ、少しな」

 法条は弱弱しく微笑む。

「何処か痛みます? 僕が診ましょうか? これでも大学では医学を学んでいるので」

「いいや、大丈夫だ。どのみち私には、もう……」

「どうかしたんですか? 少し休みましょうか?」

 法条の様子に怪訝さを覚えながらも、天城は彼女に尋ねる。

「それより、中枢部は大体この上辺りかな」

 法条は頭上を仰ぎ、天城に尋ねる。

「ええ、三分ほど、距離にして一キロ弱は走りましたから、大体そのくらいですね。……急ぎましょう。この通路は一度扉を開閉してから五分の時間制限があるんです。残りは二分。せめてあと三百メートルほどは走らないと、人馬宮に捕捉されます」

「そうか、それは好都合だ。中枢部を素通り、ね……。悪いけど、それは出来ないんだ」

 法条は身を翻し、天城へと法を敷く。

『私の命令に逆らってはいけない』

 

「今すぐに扉を開けてくれるかい」

 天城はふらふらと通路の端に手をつき、扉を生成し始める。

「何を……するつもりですか、あなたは」

「決まっている。中枢部にいる人間と戦うんだよ」

「そんなことをすれば、あなたもただじゃ済まない。もうすぐ約束の時間の午後十時だ。先生はその前に全員を退避させるために……」

「ふふ、どこまでも変わらないな、あの人は。助けると決めたら助ける。助ける対象が助けられたいと望んでいると信じてやまない。ふふ、人を疑うと言うことを知らないから、あの人はいつまで経っても道化から抜け出せないのさ」

「撤回してください。あの人は、あなたたちを、助けるために……!」

「ああ、後で謝っておくよ」

 扉がゆっくりと開いていく。

 説得は不可能と見て、天城は最終手段に出る。護身用に紗希から渡されていた拳銃を法条へと向け、彼女へと問う。

「あなたは一体、何が目的なんですか」

「銃を下ろして私に渡せ」

 憤りを覚えながらも、天城は法条の命令に逆らえない。彼女の敷いたルールに逆らえば、即座に命が失われると本能で解っているから。

「答えてください」

 法条は振り返らず、扉を跨ぐ。 

「決まっているだろう? 

 表情は伺えなかったけれど。彼女の口元が微かに歪んでいるのを、背後から天城は確かに感じ取った。


       ◆    


 ふと、旧友の顔を思い出した。既に亡く、既に過去になってしまった男。誰よりも自信を振りかざしているようでいて、誰よりも臆病だった男。周囲の人間の多くは彼を陰から嘲笑ったけれど、何故だか自分は彼のことが嫌いにはなれなかった。もっとも彼の方は自分を嫌っていたようで、何かにつけて自分に反発してきていたから、会話も議論もいつだって平行線だったが。

 彼は彼なりに、「正しくあろう」としていた。暗闇の中で藻掻きながら、懸命に明るい未来を掴もうとしていた。そんな人間を、無碍にできるはずがなかった。

 彼がゲームに参加していると解ったときは、少なからず高揚感を覚えもした。立場上、結果としては敵対することになってしまったが、たとえ滅ぼすべき敵になろうとも、彼の辿った道は自分の中で一つの指標となった。 


 成瀬雅崇。


 自己のための願いは、結局はすべてが自己のための欲望へと収斂する。願望は転じて欲望と同義だ。浅ましき邪念、唾棄すべき妄言、恥ずべき欺瞞だ。いくら綺麗ごとを並べ立てたとしても、願望は全て自己のためのものに過ぎない。自分の欲望を覆い隠すための都合の良い隠れ蓑に過ぎない。

 そして、たとえ願いを叶えられたところで、人は救われない。願望は更なる願望を呼び、欲望は際限なく増大していく。だから、私は、せめて私だけは。


 


       ◇


 炎の弾ける音がした。空気が煮え立つ音がした。宇宙開発センターの中枢部、ロケット燃料のための熔鉱炉。そこに、一人の人間と一体の悪魔がいた。

「しっかし暑いわ~~。あたし一応水の精霊なんですけど、何でこんな干上がりそうなところで待機しなきゃならんわけ? ねえ聞いてる? 聞こえてないか」

 青年は沈黙を保ったまま、傍らの悪魔を無視し続けている。

 悪魔が再度口を開きかけたその時、その人物はやってきた。鉄製のタイルに、ブーツの音を高く響かせて。


「待っていたぞ、法条暁」

 沈黙を保っていた青年は口を開く。

「なるほど、君が今夜の騒動の首謀者か」

 暁はそうこともなげに口にした。そしてゆっくりと、青年の方へと歩を進める。

「……あんたの権能は既に把握している。それ以上近づくな」

 青年は懐からスイッチを取り出す。それが何であるかは暁の目には明々白々だった。彼女は足を止める。

「そうまでして、君は一体何を目指す? 割に合わないだろう? もし神の座を真に狙うのならば、先日の挑発などする必要もない。ロケットの示威で契約者を一点に集めることは、自らの危険を増すことと直結だ。何故そうまでして、君は契約者たちを集めた?」

「あんたなら、とっくに解っているんじゃないのか」

 ふ、と小さく笑って暁は呟く。

「ああ。君は試したかったんだろう? 自らを打倒してまで神を目指す者が、果たしているのかどうかを。ロケットは最大の交渉材料として働く。そのスイッチを手にした者は、他の契約者の生殺与奪を牛耳るに等しいからな」

「めっちゃ苦労してロケットの制御権手にしてたもんね~~。まさかあたしも自分の契約者がここまで優秀だとは夢にも思ってなかったわ」

 ルサールカは翼をはためかせながら、くるくると旋回した。


「ああ、最初はあんたの言った通り、ロケットを交渉材料として使うつもりだった。だがな、答えはもっと単純なんだ。俺はな、あんたと話がしたかった。あんたの話を聞きたかった」

「私の話を聞きたい? それこそ冗談だろう。私に語るべき自己などありはしないよ」

「そうか? 俺には解ってる。あんたさ、二回目のイントロダクションで、神になりたいものはいるのかとか挙手させただろ? あれはさ、神を目指している人間だからこその言動だと思ったけどな。本音を言えよ、法条。あんた、神になりたいんだろう?」


 暁はくすり、と笑った。

「ああ、だからこの場へと赴いた。だから君と益体のない問答をしている。そして、残念ながら問答はここまでだ。十分に時間は稼いだ」

 声を上げる暇もなく、青年の身体は突如彼の足元に開いた扉に吸い込まれる。 

「いい仕事だ、天城君。これからは私の助手として働いてもらおうかな」

 時を同じくして、暁も天城の作った空間へと降り立つ。

 暁は疾駆し、前後不覚の青年の腕を強かに蹴り上げた。スイッチが舞う。暁はそれを器用に掴み取り、彼へと宣告する。

「私の権能ばかりを警戒していたことが仇となったな。……騙し討ちは卑怯と思うかい? 私はこう思っている。、とね」

 

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