Ep.26‐3 その刃の向かう先 

       ◇


 美桜宇宙開発センターの外縁部に一際高く聳える尖塔。塔の中に覆われるようにして格納されているのは、巨大宇宙ロケット、アーベントレーテ。その弾頭は静かに発射の時を待つ。御厨翼は瞑目し、発射台の近くで待機していた。

「やっほい、ルカちゃん、暇だからちょっと来ちゃった」

「馬鹿何してる、早く持ち場に戻れ」

「いいじゃん、時間までまだ大分あるし」

「お前は、な……」 

 呆れるように言う翼の口調には、かつてほどの嫌悪感は滲み出ていない。お気楽少女悪魔と過ごすうち、感化されてきてしまったのだろうか。

「翼くんもさ、疲れてるでしょ? 今のうちに軽く仮眠でもしといたら?」

「……ったく、お前な、俺がどれだけ寝不足だと思ってるんだ? 今寝たらこれまでの準備の何もかもが水泡に帰すだろうが。はあ、全部が片付いたその暁には、心行くまで惰眠を貪りたいもんだ」

 翼は低く笑って、そう呟いた。


       ◇


 如月葉月が周青年を発見した時感じたのは、紛れもなく安堵だった。ずっと行方知れずで安否さえも解らなかったのだから、彼の生存をその目で確かめられただけでも、嬉しさで涙が溢れそうだった。

 だが、それでも彼女にもひとりの女性としての矜持というものがある。ここで周の許へと駆け寄り、泣いて縋り付くことなど今の彼女に許される筈もない。

「アマネくん、聞いてるの? ここ三日間、一体どこに行ってたの?」

 再三の質問にも反応することなくただ虚ろな目でぼうと立ちつくしている彼の様子に不信感を覚え、葉月が一歩を踏み出そうとした丁度そのとき、だった。

「どこへ行っていたかですって? 決まっているでしょう? 新しい女の子のところ、つまり、私のところよ」

「なに、誰よ、あなた。一体、アマネくんに何をしたのよ……?」

「何もしてないわ。ええ、私からは何もね。彼はね、あくまで彼のほうから私のことを求めたの。あくまで自分の欲望に従って私を求めたの。ええ、それはもう、激しく、大胆に、淫らに」

 周の後方の通路から現れたのは、肩や太腿を露にし、大胆な衣装に衣替えた早乙女操その人だった。彼女は自身の人格を調整するとき、服装や恰好から弄ることが多い。なぜなら、外見とは、他者に働きかけ得る最も強力な要因ファクターだから。裸と見紛う程に肌を露出させ、紡ぐ言葉の一つ一つはしどけない薔薇の花弁のよう。香り立つ艶美さに、女性である葉月でさえも立ち眩みを覚える。

 つう、と唇に手をやり、女は周青年へと腕を絡ませ、彼の手を自身への深部へと導く。

「やめて……、ちょっと、何してんのよ。そんな、汚い」

 そして彼女は葉月の見ている前で、周青年と深く深く口づけを交わす。滴った唾液が床に落ちていく様さえ、葉月の瞳孔には映っていない。

 泣き叫ぶ直前の葉月を見やることもなく、彼女は更なる快楽を求め周と身体を寄せ合う。薄い衣服の生地の上で絡み合った手足は注連縄しめなわのように、外部からの干渉を頑なに拒んでいた。そして二人の男女は身を寄せ合い、赴くままに互いの身体を貪り始める。


「やめて、もう、やめてよ! お願いだから……」

 なんで、こんなモノを見せつけられなくちゃいけないの。なんで、どうして。いや。見たくない。見たく、ないのに……。

 葉月の思考は緩やかに停止へと向かっていく。

 彼女は何もできない。彼女は、もう其処に立ち尽くすだけの無力で無感情な人形と大差がない。周に対する失望や怒りも、早乙女操に対する憎悪や怨嗟も、ゆっくりと心の中から消えていく。

 葉月の心が静かになったのと時を同じくして、静かな湖面に石でも投げこむかのように、早乙女操は葉月へと言葉を投げかける。

「ねえ、あなた。今、どんな気持ちなのかしら」 

 その言葉が、合図だった。

「黙れ」

 葉月は焦点の定まらない視線で、一言そう呟いた。竹刀を握りしめる皮膚が引裂けていることにさえ、今の彼女は気づかない。

「悔しい? 悲しい? それとも私が憎らしい? あなたが彼としたくてしたくて堪らなかった、あなたが彼にしてほしくてしてほしくて堪らなかったこと、全部知っている私のことが、羨ましくて堪らない?」

「黙れって、言ってるでしょう……!」

「うん、告白するとね。私って本当の変態なの。だって、今あなたに向けられている感情ですら、心地いいのだもの。ねえ、もっと、私を見て? 私を憎んで。あなたの一番大切なモノを穢し尽くした私を、もっと恨んで、もっと羨んで頂戴!」

 嘗め回すように、操は葉月を見る。その反応の全てを嘗め尽くすような、淫靡で艶美な視線で。

「もう、決めた。お前だけは、何があっても許さないから」

 地が爆ぜる。その刹那、確かに葉月はその声を聴いた。

(水を差すようで悪いな、嬢ちゃん。でも、これは始める前から勝負が決まっているタイプの勝負なんだ。それでも、やるのかい)

 頭に響いたその音さえも切り伏せ、葉月は操へと肉薄した。

『権能、月下美刃』

 二つの声は同時。

 渾身の力で振り下ろされた刃を真正面から受け止めたのは、周青年の握る一振りの真剣。その物言わぬ気迫に葉月は感じ取る。彼もまた、真剣なのだと。

「さあ、見せてもらいましょうか。不器用な男女同士の、愉快で滑稽な戦闘タンゴを」

 操は不敵に笑って、吹き抜けへと続く階段の踊り場へと腰を下ろす。階下でこれから繰り広げられる鍔迫り合いを、特等席で観覧せんがために。


       ◇

 

 周囲には炎。見渡す限り、炎、炎、炎。戦況は圧倒的なまでに不利だった。

 既に幾重もの通路を駆け、ひたすらに逃げの一手をとっている法条暁の顔から、余裕というものの一切は消えていた。

 対話を試みようとしたのが間違いだった。そも、アレに人の言葉に耳を傾ける余裕など残されてはいなかった。暁は彼に気づかれるのも覚悟で、小さく舌打つ。

 ――――。

 センター突入からほんの数秒間で大勢は決した。暁が『推定有罪』を発動するよりも早く、片桐少年の両の手から炎が迸ったのが、ほんの数分前。かつての宇宙開発研究所は、見る見る間に崩れ行く。炎の立てる轟音のせいか、うまく発声もままならず、何らかのルールを強いたとしても彼の手から逃れられるかどうか。チャンスは一度。それ以上はどうやっても焼死以外の結末は避けられないだろう。

 法条暁は冷えた思考で、可能性の網をめぐらしていく。

『権能を使ってはいけない』……ノン。双児宮の操る炎が彼本人の権能によるものとは断じがたい。自分とてアリスちゃんとの小競り合いで、そのロジックの裏を突いたではないか。

『その場を一歩も動いてはいけない』……ノン。そもそもヤツが能力の効果範囲内にいるのかさえも解らない。かといって姿を発見する間合いまで詰めることも難しい。

『攻撃行為の一切を禁ずる』……無難なのはこの辺りだろうか。だが権能の発動には権能の効果範囲となる半径五十メートルまで距離を詰めなければならない。攻勢に出るにしろ逃亡を優先するにしろ、今のままでは分が悪すぎる。

 焦熱が暁の頬を焦がす。彼女の体力は熱により刻一刻と擦り減る一方だった。

「さて、どうしたものかな」

 暁はコートの胸ポケットから煙草を取り出して、吸い始める。

「ちょっと何やってんのよアキラ、絶体絶命の大ピンチじゃないの」

「これは流石に……お茶会どころではありませんね」

「いいから、出し惜しみせずに僕たちの結界を使いなよ」 

 三相一体。確かにあの特殊な結界ならば、「火」という概念が存在しない空間さえも際限が可能だろう。しかし、三相一体の使用には長時間のインターバルが必要となり、連続使用はできない。この奥に待ち構える首魁を打倒するには、『推定有罪』だけでは心もとない。


 暁は暫し黙考し、結論を出す。

「一か八か、だな。一度くらいなら不意を突けるだろう。その一度にかけてみることにするよ」

 彼女は立ち上がり、絶え間なく迸る炎の先へ、片桐藍の許へと、物陰に隠れながら歩みを進めた。その視界の端で、奇妙な人形が一体、蠢いていたことにすら気付かず。


       ◇


 片桐藍は決して、自分が「特別な人間」であるとは思っていなかった。いくら結合双生児として生まれたとしても、彼は親や双子の姉を怨むことも、周囲の人間を羨むこともなかった。彼はあくまで、「普通の人間」として、周囲と接することに喜びを見出していた。

 けれど、周りはそれを許さない。

 醜い、と誰かが言った。

 生まなければよかった、と親は言った。

 気持ちが悪い、あんたさえいなければ、と姉は言った。

 誰も、誰も、誰も、彼を「普通」とは認めてくれなかった。誰も。

 愛したかったにも関わらず、得られたのは嫌悪と恐怖だけ。

 愛されたかったにも関わらず、与えられたのは侮蔑と憐憫だけ。


 だから彼は、周りが自分をそう定議したように、化け物になりきると決めた。


「何処だ、何処にいる、出てこい、! 殺してやる、何度でも殺してやる! 僕はお前を、絶対に許さない!」

 ただのひとりからも愛されなかった獣は吠え続ける。何もかもが憎くて、何もかもから愛されなかった化け物は叫び続ける。

「誰か……、僕を、ゆるしてくれ」


       ◇


 攻防は紫電一閃のうちに終わった。実力差は明白。同能力といえど、その精度・練度は比べ物にならない。偽物は本物に敗れるがゆえに紛い物としての烙印を押されるのだ。模倣エピゴーネンである周に劣るほど、原典オリジナルである葉月は。

「これで、終わりなんだね」

 勝敗は始める前から決まっていた。そう、

「あら、随分な啖呵を切った割には、呆気なかったのねえ」

 かつて最も信頼していた仲間に地に組み伏せられ、憎むべき敵からは嘲られる。惨めさと悔しさのなかでも、彼女は顔を上げて、そして、精いっぱいの強がりで。


「この前のデート、途中で帰っちゃって、ごめんね。出来ればもう一回だけ、抱きしめて欲し……」

 彼女が最後まで言葉を紡ぎ終わらないうちに、彼の握る刃はまっすぐに、迷いなく振り下ろされた。


 ――――暗転。


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