Ep.26‐4 報いと救い

       ◆


 何度も何度も繰り返し、夢に見る光景がある。

 ……そうだ、思い出した。これは自分がまだ、××だったころの記憶。


 少女の矮躯は血に染まり、今にも崩れ落ちそうに、生と死の間を揺蕩っている。それでも、彼女の双眸は迷いなく一点だけを見つめていた。そして彼女の唇はゆっくりと、懸命に言葉を紡ごうとする。


「お兄さんは、どうして、アタシを殺すんすか?」

 懺悔の言葉とともに、彼はその理由を口にした。

「そっか……。それなら、うん。仕方ないすね。アタシはもう特に未練とかありませんし。はい、お兄さんと同じようにも特には思いませんし。ここでお兄さんに殺されてあげますよ」

 少女は瞑目し、納得したように呟く。その言葉からは、生への未練も死への恐怖も感じ取れなかった。ただ納得して、自らが死することを受け入れていた。そんな少女を、ナイフを握った青年は震えながら見つめていた。

「どうして。どうして、君は、怒らないんだ。嘆かないんだ。もう、君は助からない。目を瞑ってしまったら、そのままもう永遠に目覚めは来ない。君は、君を殺した僕が憎くないのか!?」

「いやに詩的なこと呟くんすね、お兄さん。作家でも目指してるんすか? ……さあ、何ででしょうねえ。ええ、でも、きっと……」

 ゆっくりと間を置いて、少女は吐き出すように呟いた。

「お兄さんが、可哀そうだったからじゃないすかね……。ここでアタシまでお兄さんを責めちゃったら、なんか非道ひどいかなって」

 少女は力なく笑い、天へと弱弱しく手を伸ばす。

「うん、アタシは、蓬莱ほうらいかなえは。アタシを殺したお兄さんを許しますよ」

 そう言い残して、少女は青年の前から永遠に消え去った。

 少女――蓬莱かなえは結局最後まで、自らを殺めた相手を憎悪することも、あるいは自らの不幸を嘆くこともなく。ただ、自らが辿る運命ひげきに殉じた。


 詰って欲しかった。許さないでいて欲しかった。死ぬ間際の最後の数瞬まで、怨嗟の言葉を叫び続けていて欲しかった。それだけの覚悟と意志を持って、青年は少女の命を摘み取ったのだ。

 けれど少女は、どこまでも優しくて、穏やかだった。自らを殺めた相手にさえ。

 誰にも罰されなかった罪はやがて呪いとなり、彼の身体を隅々まで蝕み尽くすだろう。彼の心中に巣食い、幾夜を超えて彼の心を責め苛むだろう。

 

 人をひとり、殺した。けれど、誰からも責められなかった。。だから、彼はもう、決して人を殺すことなどできない。


       ◆


 葉月は最後に力なく笑って、終わりの時を待った。

 けれど、いつまで待ってもその時は訪れなかった。

 彼女の胸に深々と突き刺さる筈だった刃は、行き場を失ったように、中空で静止していた。

「できない。僕はどうしても、この人を殺すことが、できません」

 青年はそう言って、徐に立ち上がり、虚ろな双眸で主人を仰ぎ見る。

「私の言うことなら何でも聞くのではなかったの? 調教の時に、何度もそう教え込んだはずよね?」

 操は問い詰める。

「ごめんなさい、操さん。いくら愛するあなたの命令でも、こればかりは聞けません。ごめんなさい」

 彼は項垂れ、懺悔するようにその場に崩れ落ちた。青年の手から刃が滑り落ち、床に当たって残響する。それは、ついぞ一度も願いを叶えられなかった人間の、静かな崩壊の音だった。

「そう、私、フラれてしまったのね」

 操は彼を見、そして今度こそ残念そうに呟く。

「うん、でも、これでよかったのよね。さよなら、お二人さん。あなたたちは臆病者同士、きっと相性いいわよ。末永くお幸せにね」

 そう寿ことほぎの言葉を口にして、操は中枢部への通路へと歩を向ける。

「待って。待ってください、操さん! 僕はあなたに死ぬまで奉仕するって誓いました! 僕を見捨てないでください。お願い、です」

 存在定義を根こそぎ奪われた青年は、息も絶え絶えに叫ぶ。嗚咽を含んだそれは、半ば哀願に近かった。

「だーめよ、周くん。演技してもバレバレ。自分でも気づいてるでしょ? もう、私の権能の魅了効果、終わっているから。もう逢うことはないでしょうけど、最後に教えてあげるわ。『処女には向かない職業』の唯一の解除条件はね。私自身が「恋は終わった」と認識することなの」

「操さん……。僕は。これから、どうすれば」

 縋りつくように自身を仰ぎ見る周に、操は言った。いつの間にか彼女の顔には眼鏡が乗っていた。

「情けないな、青年。そんなの君自身の頭で考えなよ。自分一人で無理そうなら、横の彼女を頼ってもいい。君の人生だ。他ならぬ君自身で切り拓くんだよ」

 そう言い終えて、後ろを振り返らず。操は中枢部の通路へと向かう。

「しかし、良かったのか? これじゃあ、お前がただの悪役で終わっちまうじゃねえか。俺には解ってたぜ。さっきのあれ、全部演技だろ。あの煮え切らない嬢ちゃんを焚きつけるための」

 悪魔サタナキアは不服そうにそう呟いた。

「いいのよ、これで。恋は終わった。前世の因縁か、はたまた彼の彼女に対する想いの深さか。どちらにしろ、私は負けたのよ。けれど、これでいいの。私が愛した人が幸せになってくれるのなら、私にとってこれ以上の幸せはないわ」

 通路に反響するはずだったその声は、後方から投げかけられた言葉によって唐突に遮られた。

「ふん、お前に愛された人間の不幸も考えず、あくまで自分だけの快楽に耽るとはな、流石だよ。……一体何処へ行く、お前の相手は私だ、この毒婦めが」

 操は振り向くと同時に、人格を切替スイッチする。背後で銃口を構えている人物が誰だかを、彼女は知っているから。

「あら、そんなの決まっているじゃありませんか。もう一人の、愛しい人のところですよ。私は皆を好きなのです。皆を愛しているのです。そう、勿論。鷺宮紗希さん、あなたのこともですよ?」

 曇りない笑顔で、瑠璃花はそう言い切った。


       ◇ 


 法条暁にとって、それは単純な誤算だった。そう、通常なら、命がかかっている状況でさえなかったのなら、取るに足らない失敗だった。

「権能、『推定有罪』! 攻撃行為の一切を禁じる!」

 そう、確かに唱えきったはずだった。奇襲のタイミングは完璧、詠唱の速度とてこれまでとは比較にならない。最短かつ最適に、暁は片桐の加害手段を封じた、その筈だった。

 誤算、いや、過信と呼ぶべきなのかもしれない。「片桐に如何に推定有罪を掛けるか」に意識を持っていかれていた暁は、ついぞ結果を知るまで「片桐藍が推定有罪と同じく他者の行動を操る能力を既にかけられている可能性」を丸っきり無視していたのだから。『推定有罪』による法の強制遵守は、既に自分以外の能力の指揮下に置かれている対象には効果がないことは、先日の摩天楼での戦いではっきりと認識していたはずなのに。

 片桐の背後で一際大きく燃え盛った炎は、川面をうねる蛇のように、暁へと襲い掛かった。迸る炎の切っ先がコートの裾先へと届いたその刹那、彼女の足元から、聞き覚えのある声が響く。

「君ともあろうものが情けないね、法条くん。文字通り足を掬われた、というわけだ。いや、この場合は、救われたのか?」


 暁の意識は一瞬、掻き消える。そして再び視界を取り戻したとき、彼女の前には二人の男性が佇んでいた。

「やあ、遅れてすまない。少し麓のあたりで子競り合っていてね。魔羯宮カプリコーン、連城恭助以下三名、事務所総出で救出に来てあげたよ。今いないもう一人は東側のお嬢さんの助太刀に向かったはずだ。彼女は強いよ、安心してもらっていい」

 暁は周囲を見回す。色素が欠け落ちたように真っ白な小部屋。広さは六畳ほどだろうか。

「戸惑うのも無理はないです。先生はいつだって、破天荒なお方ですから。紹介が遅れました。僕は天城真琴。宮は魔羯宮。権能は『密室の行人パーフェクト・インサイダー』、このように任意に出入りが可能な小部屋や通路を作る能力です」

 暁は目を疑う。彼女の前にいる二人の男性。

「あ、ああ……、宜しく頼む。一体、どういうことなんだ? 一体の悪魔に、二人、いや、三人の契約者?」

 絶句する法条を見、ふふ、と連城と天城の背後に浮遊する妖艶な女悪魔は笑みを漏らした。

「これは異なことを。汝とて三体もの悪魔を従えているではないか、女。宜しい、妾は愚者にも寛容じゃ。暫し猶予を与えるゆえ、己が頭で解へと辿り着いてみよ」

 法条は暫し思考を巡らした後、凡そ認めがたい結論へと辿り着く。

「まさか……。連城さん、?」


 魔羯宮、連城恭助の契約した悪魔、リリト。その能力は最高位の悪魔セラフィムの名に恥じぬ、このゲームの前提を根底から覆しかねないほどに強力無比な代物だった。

 『多重契約たじゅうけいやく』。即ち、自らの契約者の数を増やすことができる。主契約者である連城からは二人の従契約者を、その二人からは四人の従契約者を生み出すことが可能であり、その後は鼠算的に最大三十一名まで契約者の数を増やすことが可能。従契約者たちは主契約者と同様にそれぞれ各自の権能を使用可能だが、参加賞の願い事を行使することはできない。主契約者が死亡した場合、従契約者の生命には何の影響もない(主契約者の脱落と共に従契約者はその任を解かれ、権能も使えなくなる)が、従契約者が死亡した場合、主契約者及びその従契約者を生み出した系統の従契約者は全員が死亡する。スーパーハイリスク、スーパーハイリターン。それでも、連城は助手の天城と知己の鷺宮、最も信頼できる二人に躊躇いなく自らの命を預けたのである。      


「さて、法条くんは天城くんと共に先行し、中枢部を飛ばして東通用口側へと急いでくれ。鷺宮と合流次第、ここを離脱だ。ロケットを落とされてはたまらないからな」

「……? ロケットが落ちるのは街だろう? 何を言っているんだ、連城さん?」

 法条は今度こそ理解が及ばない。

「ああ、君ともあろうものが……。というのは野暮だろうね。うん、この場合、解らないのが正しい。世の中には「理解できない方が賢い」モノなんていくらでもある。いいかい、この仕掛人……。いや、雰囲気も出るし犯人と呼ぼうか。犯人の狙いは二つある。。つまり、ロケットという兵器を以て契約者たちを威嚇し、一点に集中させる。虚仮脅しでも、本気でも、どちらと解釈されても構わなかったのだろうね。契約者が集まるのなら、それは街でも宇宙センターでも、どちらでもよかった」

 連城は言葉を切り、そして法条の表情を見てから続けた。

「つまり、。全く、この上なく悪趣味な二重拘束ダブルバインドさ。僕たちには最初から、選択肢なんてなかったんだからね。人は選択の自由を与えられると、「選択をするという選択」から逃れられない、という言説も強ち間違いでないのかもしれないな。恐らくは、いや十中八九、犯人自身か犯人の悪魔は、僕たちの居場所を正確に把握できるだけの精度を持った、感知か遠見の能力を持っているはずだよ。そうでなければ動向がつかめないからね。それにしても、この犯人は無粋だよ。一か所に集めてまとめて吹き飛ばすなんて、ミステリの風上にも置けない劣悪な犯罪だ。僕はこの犯人のセンスを到底看過できないね」

 憤る箇所に疑問を感じながらも、法条は苦笑する。

「いや、流石だよ連城さん。私にはできない発想だ。重い腰を上げたのは、そういうわけだったのか」

「まあ、ね。それに、知人と知人の娘が死地に赴いているんだ。僕もせめて、何か格好つけたいじゃないか。さて、雑談も終わりだ。僕にはもう一つだけ、ここで解かなければならない謎があるのでね」

 連城恭助は暫し間を置いて、挑戦するように法条へと問いかけた。

「即ち、?」

「私も、疑問に思っていた。連城さんには、解るのか?」

「いいや、生憎とさっぱりだ。手掛かりが少なすぎてね、これから考えるところだよ。時に法条くん、片桐藍の権能の効用を知っていたら教えてもらえないかね?」

 法条は先日、葉月や周とともに朱鷺山しぐれから聞いたままに、その効果を伝えた。

「ふんふん、なるほどね。『不合理な真実』、限定的な事象改変能力か。答えは案外、簡単かもしれないな」

 連城はそう言って、法条と天城に促す。

「さて、君たち。


 天城と法条が東通用口へと続く扉へ消えたころ、連城は満足げに呟く。

「いやあ、一度は言ってみたかったんだよなあ、この台詞」

  

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