interlude:side「S」 悪夢の果て、災厄の始まり

 廃屋に差し込む月明りが、ぼんやりと私と少年を照らし出していた。


「……皆、死んじゃいましたね」

 何とか気力を振り絞って、そんな言葉を紡ぐ。

「皆、ではないですよ。ボクとあなたは生き残りました」

 そんなことを、言っているんじゃない。焦点のぶれた会話に、私は少し苛立ちを覚える。

「私に……、用があるって言っていましたね。どんな、用なんですか?」

「簡単なことです。朱鷺山しぐれさん、ボクと手を組みませんか?」

「私と……? でも、私は……」

「あなたが獅子宮と天秤宮、そして虚無宮と同盟関係にあることはボクも知っています。その上で、あなたにひとつ忠告しましょう。

 金牛宮は敵意の籠った語調でそう告げた。

「そんな……私の大切な仲間を、悪く言うのは止めてください。あの人たちは、私を庇ってくれました。必要としてくれました。悪い人なわけ、ないです」

「あなたには彼女たちの上辺しか見えていない。

 一呼吸おいて、金牛宮は続けた。

「これまでの戦い、ボクは前線には敢えて出ずに、ずっと戦いを遠目から観察していました。そして何から何まで調べ上げました。契約者たちの素性・経歴、思想・信条、その細部に至るまでをね」

「私は……それでも……」

「結論を急かすつもりはありません。ただ、一つだけお願いがあります。あなたには暫くの間、この廃屋で生活して貰いたいのです」

「それは……、どうしてですか?」

 少年は少し呆れたように、私を見る。これは、この視線は――。

「解らないのですか? ボクたちは目下、人馬宮にとって最大の敵とみなされていると言っても過言ではない。彼は生徒会長、全校生徒の名簿くらい把握済でしょう。つまり、ボクたちに今できることは「出来る限り彼から隠れる」、これに尽きるのです」

「そっか……、そうですよね」


 私は思い出す。人馬宮は金牛宮が姿を現したとき、いくらか動揺を見せたものの、迅速な判断で私たちに命令を下した。『その場から一歩も動くな』、と。

 しかし、何か誤算でもあったのか彼は大きく目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、私たちに一向に手出しをする気配がなかった。それを好機と見たのか金牛宮は私のすぐ傍に突然ワープでもしたかのように姿を現した。

 彼が私の手を握ると、私たちはたちまち山奥の廃屋へと転移してきたというわけだ。

「さっきのは……、一体何だったんですか? 急に消えたり現れたりするやつ」

 試しに尋ねてみると、金牛宮はあっさり答えてくれた。

「ああ……、。正直なところ、人馬宮から逃れられたのはかなりの僥倖でした。二度目はないでしょう」

「私、怖いです。あの人にだけは殺されたくないです」

「ご安心を。仲間になってくれるのであれば、命を賭してでもあなただけは守ります。ボクを、信じて下さい」


 少年の言は相変わらず機械のようだった。でも、嘘ではない気がした。私は、この人に、

 そのとき、一抹の安堵を得たのか、または人馬宮への恐怖が再燃したのか、封じ込めていたはずの記憶が一斉に溢れ出した。


 皆、死んだ。


 どうしてだろう。私は、皆が死んだのに、あまり悲しめない。涙を流せない。乾いた達観と奇妙な解放感だけが、私の心に澱のように堆積していく。……駄目だ。この感情に気付いたら、口に出してしまったら、お終いな気がする。私は一人の人間として、終わりを迎える気がする。


 皆が死んでもあまり悲しくない理由。それは、それは。。私を苛める人間も、私を虐げる人間も、それを見て見ぬふりをする人間も、私に無関係な人間も、私に好意を示してくれた数少ない人間でさえ、私は憎かった。、と常日頃から思っていた。


 。私はラプラスの悪魔を起動し、そして追体験かんそくする。数時間前にあの体育館で死んだ、三百人近い生徒たちの死に様を。ひとりひとり丁寧に、舐めるように観続ける。堪えきれず口の端からおかしな笑い声が零れる。金牛宮とその悪魔は、不審げに私を見つめている。


「いやだあ、こんなところで死にたくないい……。死にたくない、死にたくない、死にたくないよお……。パパ、ママ、助けて……」

 死んだ。


「嘘だろ、来週は付き合ったばかりの彼女と初めてのデートだってのに、俺、こんなとこで死ぬのか? 童貞のまま死ぬのか?」

 死んだ。 


「まだやりたいこと、沢山あったのにな……。私の人生って、こんな終わり方するんだ。ふざけんなよ、ふざけんじゃねぇよ!」

 死んだ。


 死んだ、死んだ、死んだ、死んだ! 皆死んだ! 私を苦しめてきた人間は、皆もうこの世にはいないんだ! そして、


 ああ、もういい。もう、うんざりなんです。もういい加減、我慢の限界だったんですよね。蓋をしていたどす黒い感情が、一気に外へと噴出する。


「誰が、誰が、誰が誰が誰が誰が誰が悲しんでなんかやるもんか! お前らなんて死んで当然なんだよ! あんたらの命なんて無価値カスも同然だったんだよ! あははははははは! ざまーみろ、ざまーみろ、ざまーみろ、ざまーみろ! あははははははは、いひひひひひひひ!」


 私は笑い続けた、壊し続けた、侮辱し続けた、彼らの死を、これまでの人生を。


 ……今までの私が完全に崩落する寸前、悲しそうな顔をした一人の女の子が脳裏を掠めた。

(ねえ朱鷺山さん、私と××になってくれない?)

 ああ、彼女は、誰だったっけ。記憶を辿る間もなく、私の精神こころは真っ黒に塗り潰された。


「う~~っわ。完全にいかれてやがんぞ、このお嬢ちゃん。大丈夫かお前、とんでもない拾い物しちまったんじゃないのか?」

「……別に構いませんよ。彼女の人格がいかにじれていようが、ボクには関係ないことです。

 金牛宮は冷め切った目で悪びれることもなく言い切った。……あっそ。あんたもそうやって私のことを見るんだ。利用すべき対象として。自分より下位の存在として。馬鹿にしないでよ。私はもう、さっきまでとは完全に別人なんだから。だったら、私もあんたを利用してやる。


「さて、ボクは資材の調達で一度街に戻りますが、その前に何か要望はありますか? 大抵のことなら叶えますが」

「じゃあ、抱いてください」

「……はい?」

 少年は初めて、不審そうな表情を見せた。……いい気味だ。

 私は制服のボタンを慣れた手つきで次々外し、ブラウスを脱ぎ捨てる。シャツも下着もスカートも靴下も纏めて全部、部屋の隅に投げ捨てる。そして全裸のまま、少年の首に手を回した。

「怖いんです。怖くて寂しくて、堪らないんです……! 私を守ってくれるんですよね? じゃあ、まずは私を慰めて下さいよ……! 束の間だっていい、辛いことも、苦しいことも、全部忘れさせてくださいよ……!」

 潤んだ瞳で懇願する演技をする。正直、本心も少しは混ざっていた。でも、今の私は。純粋に快楽を貪って、それがもう二度と出来ない死者に対して、圧倒的な優越を感じたい。

「……仕方ないですね。でもまずは、服を着直して下さい」

「え……?」

 今度は私が困惑する番だった。

「いや、折角なら制服を着たままの方がいいかな、と思いまして」

 あー、はいはい、そういう趣味ね。


       ◇


 天井から差し込む月明りはまるで斑模様のように、私たちの裸体の上に紋様を描いていた。

 彼が私の中に入ってくるのを感じて、私はわざとらしく吐息を漏らした。下半身が熱く火照って、頬が紅潮していく様子が手に取るように解る。久し振りだけれど、我ながら結構堂に入っていると思う。私は彼の顔を正面からまっすぐ見る。

「ふふ、結構かわいい顔してる」

「それはどうも。よく言われますよ、女の子っぽいって」

 彼がゆっくりと動き始める。ありふれたありきたりの、単調で緩慢なセックス。でも、それすらも今の私には愛おしい。私は。私はやっと手に入れたんだ。自分の、居場所を。自分を、見てくれている人を。自分が、手にしたいものを。

「名前は何ていうの?」

 少年は名を告げる。その滑らかな響きは私の中に心地よく浸透する。


 ああ。ずっとこうしていたい。身も心も全て爛れて溶けて、彼と合わさって消えてなくなってしまえばいいのに。彼に抱かれながら、ふと葉月さんや法条さんのことを考えた。……彼女たちが今の私を見たら、憐れむだろうか? 軽蔑するだろうか? そんな一抹の疑問は絶え間ない悦楽よろこびによって押し流されてしまった。私は身を焦がす快楽をもっと味わうべく、ゆったりと彼に全身を委ねた。

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