interlude:side「A」 暴かれた貌

 ――?

 次から次へと押し寄せてくる悔悟の念に、僕は深いため息をついた。

 解っている、きっと彼女は寂しかったのだ。だからあんなに嬉しそうに、楽しそうに――。大人げがなかったのは、僕も同じだった。ああいうのが苦手でも、少しくらいは付き合ってあげればよかった。 


 この場所に来るのは久しぶりだ。霧崎と麻里亜が戦って、そして麻里亜が敗けた場所。僕にとっては忘れられない、因縁の場所だ。

 二回目のイントロダクションで否応にも気付いてしまったことがある。天蝎宮、霧崎道流はもう死んでいる。彼女らしきシルエットは見当たらなかったし、恐らく麻里亜を屠った後、何らかの不慮の事態に巻き込まれて命を落としたのだろう。権能にも様々な種類がある。きっと相性の悪い相手とでも当たったのだろう。

 なんて、皮肉だ。僕が麻里亜の代わりに契約者になって一番初めに思いついた生きるための理由が、麻里亜を殺した霧崎を殺すことだったのに。それはもう、どう足掻いても叶わない夢になってしまった。所詮は偽物が抱く夢、泡沫に過ぎなかったというのだろうか。

 

 僕は廃ビルからぼんやりと下界を俯瞰する。豆粒ほどになった遠い人並みのなかに見知った顔を見つけて、僕は頭を上げた。なんとなく、そう、なんとなく。気の迷いだったのかもしれない。その人物が何処へと向かうのか、マリヤに空間転移を頼んで、僕は後を付けることにした。


 いくつもの灰色の路地を潜り抜けて、二十メートルほど後ろから標的を静かに尾行する。何度も何度も折れ曲がったり入り組んだりしている道の構造上、段々と僕の方向感覚は狂ってくる。一体、あいつはどこに向かっているんだ?


 程無くして、開けた空間に出た。広場のような空間の中に、二、三十人ほどのガラの悪そうな若い男女が集っていた。なんというか、アングラな雰囲気だ。ここへと至る道順も複雑だったし、はぐれ者たちの秘密の溜まり場なのかもしれない。壁に括られた電灯は妖し気にうねり、上空からは絡み合った配線の隙間から小さく切り取られた空が申し訳程度に顔を覗かせている。こんなところに、彼女は一体何の用があるというのだろう? 空間の入り口近くに積んであったドラム缶の陰に隠れるようして、僕は様子を覗った。どうやら彼女は、集団の男の一人と何やら言い争っているようだった。僕は耳をそばだてて、会話を拾う。


「火遊びが過ぎたな。薬事違反に婦女暴行、最近では売春の斡旋もだったか。残念だが、お前の命運もここまでだ」

「はあ? 何言ってんだババア。裁判はナシで、示談で済んだんじゃなかったのかよ」

 その人物はくすりと笑った。僕は何故か、震えが止まらなかった。彼女が笑ったところなんて、今まで一度も見たことがなかったからだ。

「ああ、司法の手はお前には及ばんよ。そう、表向きは、な」


 瞬きの合間に、世界が変わっていた。どこまでも真っ白な世界に、墨でも塗り付けたかのように真っ黒な影がゆらめく、単調でモノクロな空間。絵画の中に迷い込んだかのようだ。

 広場の中ほどに集まっていた若者たちは狼狽えて、必死に逃げ惑っている。でも、出られない。僕も試しに後ろの空間を押してみたが、押した感触すらなかった。この隔絶空間には「境界」という概念すら意味をなさないのかもしれない。彼女は一体、これから何を始めるつもりなんだ――。


 凛と澄ました声が、有無も言わさぬように空間に鳴り響いた。

「偽証の一切は不可能だ。ここでは、そういうルールになっているのでな。被告に問う……」

 それは異様な光景だった。彼女はただ若者に質問しているだけだ。なのに何故、こんなにもその先に待ち受ける光景がありありと予想できてしまうのだろう?

 裁判は粛々と続けられていく。容疑者には釈明の機も、懺悔の機も与えられていない。犯した罪状を一方的に暴き立てられ、糾弾されるだけの場だった。


 彼女は一人ずつ丁寧に、けれど迅速に捌いていった。言葉や所作に乱れはない。彼女にとってはただ、ごく自然に、当たり前のことをしているだけなのだろうから。全ての人間を判じ終えて、彼女は深いため息をついた。

「やれやれ、どいつもこいつも真っ黒か」

 そうこともなげに呟いて、彼女は自らの悪魔、いや、悪魔たちに告げた。


 それは地獄の顕現だった。人ならざる悪魔が人を貪り食らう、狂気と狂乱に満ち満ちた饗宴うたげ。アレークトー、ティーシポネー、メガイラ。本性を露にした三体の悪魔は逃げ惑う若者たちの身体を切り裂き、飲み込み、嬲りつくしていく。

 細切れにされた若者の肉片が結界内に散らばる。黒い血液に、白い躯。その光景さえも、彼女はまるで興味がないという風に眺めていた。目的のためには手段を択ばない――のではなく、用いる手段のために目的を択ぶ。彼女はそういう人種なのだろう。


 惨劇は終わった。結界の中でまだ生きているのは僕と彼女だけだ。持続時間を過ぎたのか、結界はゆっくりと綻び、消滅していく。

 元通りの広場。違うのはただ一点、先ほどまでこの手狭な空間に猥雑さをもたらしていた一団が、一人残らず悪魔たちの胎へと消えたことだけ。彼女が、ゆっくりと口を開いた。


「忘れもしない、小学生低学年の頃の道徳の時間だ。『世界が平和になるにはどうなればいいと思いますか』という作文が出たんだ」

 僕は固唾を飲んで聞いていた。彼女は、一体――。

「私はね、こう答えたよ。『』。そしてその考えは、今でも変わっていない。いや、変えていない」


「葉月がこのことを知ったら、あなたをどう思うでしょうね」

 僕は努めて平静に、そんなことを口に出した。

「それを一番気にかけているのは、私ではなく君自身だろう? 葉月君がどうかという問題ではなく、君がどうしたいかを考えるべきだと私は思うがね」

 彼女がこちらへ向き直る。

、私は君たちと同盟関係でありたいと思っているんだが……、不満か?」

「それは葉月やしぐれと話し合って決めることですよ。でもね、個人的なことを言わせてもらうなら、あなたは今まで見てきた悪魔憑きの中で一番の外道クズだ、法条暁」

「随分な言い草じゃないか。昨日までは仲良くやっていただろう?」

「……あなたは、もう信用できない。マリヤ!」


 瞬時に僕は如月家の前の通りへと転移される。今は早く、一刻も早く、葉月に伝えなければ――――。『法条暁は危険』だと。

 玄関の扉を素早く押し開けて、家に飛び込む。

「葉月! 葉月! いるか?」

「どうしたんですか、周さん。そんなに慌てて」

 暗いリビングから現れたのは皐月だった。探し物でもしていたのか、怪訝そうに僕を眺める。

「皐月……! 葉月は? 葉月は帰ってる?」

 皐月は肩まで伸びた長い髪を払いながら、

「姉さんなら、まだ帰っていませんよ。てっきり周さんと一緒なのかと思ってました」

 時計に目をやる。もう八時近く。彼女と解散してから三時間近い。人のことは言えないが、一体どこをほっつき歩いているんだろう?

 その時、俄かに雨が降り出した。道路に針を穿つように鋭い雨音。


「僕、葉月を探してくる」

「あ、待ってください」

 そう言って僕は傘を片手に、皐月の制止を振り切って驟雨しゅううが降り注ぐ灰色の街の中へと飛び出した。

 何故だか知らないけれど、葉月が遠い何処かへ行ったまま帰って来ないような気がして、堪らなく不安だった。彼女を探しに行かなければもう二度と会えなくなってしまうような気がして、堪らなく怖かった。街を走る。走り続ける。雨は降り止むどころか、より一層その激しさを増していた。


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