Ep.25‐2 華園、あるいは地獄
◇
「それは本当に勿体ないことをしたな、青年。そこまで好意を示されておきながら、前の女に未練たらたらでフラれたのか。いやあ、なかなかに傑作だよ。礼だ、宿泊代はタダでいい」
笑い転げる彼女に悪気がないと分かっていても、僕は愚痴らずにはいられなかった。
「こっちは今後の身の振りを考えて落ち込んでいるんですから、揶揄わないでくださいよ」
不貞腐れてそう言うと、里桜さんは
「悪い悪い。なに、そこまで好かれているなら案ずることはない。話は早いよ、青年。強引にでも操を奪って、早いとこ君の色に染め上げてしまえばいいんだ」
冗談のようなことを真顔で言ってのける里桜さんにたじろいで、僕は思わず口を噤む。
「君も罪深いね、青年」
僕の肩を二三叩いて、彼女はウイスキーを
「里桜さんにはそういう人はいないんですか」
お酒が入って少々大胆になったのか、僕は彼女に普段なら絶対訊かないであろうことを尋ねた。
「……私かい? うん、特定の相手と親密な関係に……っていうのはあんまりないな。私はね、誰でも好きなんだ。青年、勿論君のこともだよ? だから助けたんだ。熱しやすく冷めやすいってわけでもなく、そもそも熱することも冷めることもない、といった感じかな」
「それは……」
「そう、常に全員のことを好いているならば、それは恋とも愛とも言えないだろう? 私はまだ、誰も好きになったことがないのかもしれないな」
里桜さんの物憂げな横顔に、ほんの少し見惚れる。こんな繊細な表情も出来る人なのか。里桜さんは徐に立ち上がってベットに腰掛けると、艶めかしい視線で僕を見定めた。
「さて青年、今ここで元彼女を二度と思い出さなくても済むようにしてあげるのも
ほんの少しだけ、逡巡する。でも、答えはもう決まっていた。
「僕は、彼女に会って謝らなくちゃならない。だから厚意には添えません」
里桜さんはふっと寂し気に笑って、
「ああ、それがいい。まあ、今日は遅いから泊っていきなよ」
◇
御厨翼とルサールカが辞した後、死が立ち込める体育館の暗闇の中で、八代みかげはひとり佇んでいた。
彼女は女子生徒の死体の一体に近付くと、亡骸の胸の深い傷をそっと労わるように撫でた。すると、見る見るうちに傷口が塞がり、少女の顔に生気が戻っていく。
「全く、手間を掛けさせるよね。ボクの駒ごときがさ」
みかげは次の死体に歩み寄り、同じように傷を修復する。
ものの数分で、体育館の中から死体はなくなった。意思亡き人形には変わりはないが、彼ら彼女らは生前の姿のままで、歩き、話し、思考し始めていた。まるで先ほどまで自分たちが死んでいたことなど、意にかけないように。
「ああ、さっき砕いちゃった死体は何と言ったかな。識別番号でもつけておけば良かったかなあ。人形は人形らしく、名前なんていらないと思うしさ」
体育館からわらわらと出て、三々五々帰っていく元死体たちをみかげは静かに笑って眺めていた。その笑いは、所有欲に取り憑かれた女が自分の思い通りに動く愛玩動物を見止めた時に浮かべるような、
◇
ふと、里桜さんが後ろから声を掛けてきた。
「なあ、青年。君はさ、何で私が君を助けたんだと思う?」
柄にもなく真剣そうな面持ちで、里桜さんは僕に尋ねた。
「それは……。さっき里桜さんが言っていた通りに、その、僕のことが好きだから?」
「ああ、それで半分は正解だ。私は困っている人を見たら、助けを必要としている人を見掛けたら、必ず助ける。青年をあと数時間放置していたら、凍死していただろうしね。真夏に凍え死ぬなんて、それこそ笑えない話だろう?」
ふふ、と小さく笑って、彼女は続けた。
「人助けに理由はいらない。いつもの私なら、そう思っているんだがね。青年の場合には、もうちょっと込み入った事情があるんだよ」
何を。何を言っているのだろう。逃れるように、僕は目を背けようとした。だが、金縛りにでもあったかのように、僕は彼女の顔を見続けていた。彼女の話を聞き続けていた。もっと、彼女のことを知りたい。彼女の言葉に耳を傾けていたい。
「さっきの問いのもう半分の答えはね。青年、君が私と同類だったからだよ。貴重なお仲間を、放っておくのは忍びないよな?」
僕は彼女の後ろに釘付けになった。窓の向こうに、翼をはためかせた、大柄な悪魔が。そこまで分かっていても僕は逃げられなかった。だって、僕は。僕はもう。
里桜さんはくすりと笑って僕の頬を撫で、唇に指を這わせる。
「改めて自己紹介をしようか。私の本名は
熱に浮かされたような不安定な脳に、彼女の言葉が残響する。
「権能名は『
そんなの、勝てるわけないじゃないか。でも、構わない。彼女になら負けてもいい。僕は彼女を誰よりも愛しているし、彼女も僕を誰よりも愛しているのだから……。
「さあ、青年。最後の仕上げだ。君の名前を教えてくれるかい。『
僕は本名を告げる。アマネではなく、本当の名前を。ああ、周という名前は、誰が付けてくれたのだっけ。彼女の顔と名前は靄が掛かって、次第に僕の心からカタチを失くしていった。
「さっきは悔しかったよ。少しばかり誘いを掛ければ、我も彼女のことも忘れて私の許に飛び込んでくると思ったのに、そっぽを向かれてしまうのだもの。こういう無理やりなのは心が痛むね。流石に罪悪感が残るから、最後に言っておくね。君はもう金輪際、私のこと以外考えられなくなる。人を好きになるとはそういうことだ。盲愛以外の愛は愛ではない、ってのが私の信条でね」
あなたの愛は、歪んでいる。僕は絶対、あなたの思い通りには――。その最後の反感さえ掻き消えて、僕の意識は次第に一つの結論へと収束していった。
……ああ、僕は、早乙女操のことが好きだ。
◇
「えげつない能力だよなあ。男である限り絶対にお前には勝てないんだろ。これでこいつもお前の憐れな性奴隷ってわけか」
処女宮の悪魔、サタナキアは意識を塗り替えられた周青年を見、深く嘆息する。
「人聞きが悪いわね。せめて
「大して意味変わらないだろう、それ」
「そうかしら。愛があるってのは大切よ」
「可哀想にな。こいつにも好いた女の一人や二人いただろうに。お前の毒牙にかかったおかげでこの様だよ」
「ただ一言、好きな相手に『好き』と口にしなかったこの子が悪いのよ。想いは言葉にしなければ何もないのと同じ。形を伴わない感情なんて、抱かない方がマシなのよ。私はいつも言っているわ。好きな人には『好き』とね」
操は彼女の新しい愛玩を愛おしそうに撫で、抱きしめた。
「好きよ。私がずっと、可愛がってあげるからね」
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