二十五節 「操作」

Ep.25‐1 通り雨にて

 どこをどう走ったのか、自分でも覚えていない。気が付くと僕は住宅街の中ほどにぽつりと佇む公園のベンチで体を濡らしていた。傘はいつのまにか風で吹き飛ばされたか、落としたか。それすらも記憶から抜け落ちていた。


 底冷えのする空気の中でひとり佇んでいると、世界という巨大な生命体から自分が一人だけ切り離されてしまったかのようで、堪らなく虚しくなってくる。僕は、これからどうしたら――。麻里亜は死んだ。しぐれはこの街にいない。葉月とは仲違いして、法条はもはや敵に等しい。僕は、一人きりだ――。


 どうしてこんなことになってしまったんだ、と悔いてみても自分の運命を呪ってみても現状は何一つ好転しない。頭ではそうはっきりと判っているのに、思考は積み重ねるほどに渦の大きさを増していく。一度足を踏み入れたら二度と戻ってこれない迷宮の深奥へと吸い込まれるように、悪い思考が抜けなかった。

 

 僕は一体、何処で間違えた――? 契約者である麻里亜を喪った時からか? 十三人目としてゲームに参加するのを表明した時からか? アリスを守れなかった時からか? もう何も解らない。ただ体を強く打ち付ける雨粒だけが、今の僕の存在意義だった。


「私は偽物ですから、憶測でしかものを語れませんけれど。きっとミカミマリアもキサラギハヅキも、貴方を気に入っていました。ただ、マリアはその好意に見返りを求めなかったのに対し、ハヅキは見返りを、貴方の側からの好意を求めた。そういうことなのではないですか」

 マリヤは僕に語り掛けるようにそう言った。別人とはいえ、あまりにも彼女の面影を宿した彼女の横顔を眺めているうちに、否応にも思い出してしまった。彼女が最後に僕に託した願いを。その重みを。

 そう、彼女は最後まで、自らの命が尽きるその最後の瞬間まで、自分の願いを口にしなかった。そう、もっと早く気付くべきだった。僕は、悪魔ネヴィロスは、

 

 契約者に付き従い、彼ら彼女らの望みを全うさせ、あわよくば自分自身も利益を得るのが本来の悪魔だ。そこに自らの確固たる意志は存在しない、あくまで悪魔は悪魔、ゲームを円滑に進めるための、契約者から願いを引き出すための駒に過ぎない。だけれど僕たちの関係性は周りと少し違った。麻里亜は契約者と言う立場にありながら、自分のねがいを叶えなかった。だから僕のために、悪魔なんかの願いのために――。


 命を託してくれた麻里亜のために。願いを叶えてくれた麻里亜のために。生き残って、戦って、望みを叶えて。その思考は前提から間違っていた。ただの責任転嫁、都合の良い逃げだ。僕は僕のために、他ならぬ僕自身のために戦わなくてはならなかった。現状と向き合わなくてはならなかった。麻里亜のために、なんていうのは良い訳でしかなかった。その逃避は何よりも、「僕の願いを叶える」という麻里亜の願いを踏み躙るものだ。彼女の願望をおとしめ、侮辱するものだ。


 ああ、だから僕は、昔から人のせいばかりに――。他者をおもんばかっているようでいて、その実自分のことしか考えていない。本当に人のことを考えるということは、「人の立場に立って考える」なんて単純なことじゃない。それは単なる思考の放棄に過ぎない。あくまで自分が、人のために為すべきことを成す――。他人の願いを汲んで存在を許されたアマネに出来るのは、きっとそれくらいだろうから……。


 ベンチから立ち上がり、転げるようにしてまた走り出す。いや、走り出そうとして、身体が驚くほど冷たくなっているのに気が付いた。思えばどのくらいこうしていたのだろうか? というより、此処は何処だ? そういえば、麻里亜や葉月たちと一緒の時以外、僕は一人で街を全然出歩かなかった。戦闘の舞台となる街の構造すらまともに把握していなかったんて、僕は本当に、一人では何も出来なかったんだな――。震えながらまた走り出そうとして、ぬかるんだ地面に足を絡めとられ、土砂降りの雨の只中に身体を投げ出された。口の中に入った生暖かい泥は、否応にも死を想起させる。マリヤに空間転移を頼もうにも、意識が掠れて発声すらままならない。僕の意識は、次第に仄昏ほのくらい闇へと吸い込まれていった――。


       ◇


 闇が辺りを覆いつくす中、少年は神と対峙たいじしていた。

「全く、随分と派手にやってくれたよねえ。まあでも、君のおかげでこれから面白い展開になりそうだし、お咎めなしってことで」

 物言わぬ少女の亡骸に腰掛けながら、八代みかげは笑った。そんな彼女に反発するように口を開いたのは、契約者ではなく悪魔の方だった。

「……何それ。あんた、どこまで自分に酔ってるワケ? いつまで王様気分なワケ? 解ってるの? このゲームが終わったら、あんたは……」

 ルサールカを嘲笑うように、みかげは口にする。

「どういう、ことよ……」


 御厨翼は黙って、ことの成り行きを見守っていた。ルサールカの口ぶりから察するに、神と名乗る少女、みかげと彼女は知り合いなのだろうか? 翼の脳裡を一抹の疑念が駆ける。……だとしたら。もし、……。


「まあともかく、主催者としては、ここまで派手に暴れられると事後処理的に色々と面倒なんで、今後は控えてね――、って、ただそれだけ。邪魔したね」

 みかげはそう言って、体育館の舞台に登る。そして辺りに散らばった死体の山々を見て、口を歪ませた。

「人間って生き物は、どこまでも悲しいねえ。限られた数十年の寿命の大半を、もがき苦しむように喘ぎながら生きても、九割九分九厘の人間は相応の見返りも、「自分は何のために生まれてきたのか」という手応えさえ得られないまま惨めに哀れに死んでいくんだ。実に欠陥だらけの生き物だと思わないかい、御厨翼?」

 翼は答えない。少女みかげと同じ視点に立ってしまえば、今度こそ人として終わってしまうことを、誰よりも弁えているから。……俺はこの化け物とは違う。俺は、何より俺の目的ねがいがために……。


 みかげは追い打ちをかけるようにけらけらと笑って、

「あれ、無視ですか~~? 嫌だなあ、ひょっとしてあれかな? 「こんなにも悪いことをしちゃった自分」、「こんなに人を殺せちゃった自分」に酔ってたりするのかな? それならボクなんて……」

 みかげの言葉を遮るように、ルサールカは凛とした口調で告げる。

「ねえ、それくらいにしといたら? あることないこと喋ってもボロが出るだけでしょ。あんたさ、神様になっても変わらないんだね。

 瞬間、翼とルサールカが立っていた真横の空間が捩じれ、引き裂けた。数秒前まで人間のカタチを保っていた死体は粉々に弾け飛び、血と肉汁が翼たちに降り掛かる。

「ああ、ああ。嫌だねえ。口の利き方を弁えない低級悪魔は。……ひとつ言っておこうか。。ほんの少し匙加減が狂えば、お前たちがいたという証拠さえ跡形もなく消すくらいのこと、造作もないんだよ?」

 ルサールカは懸命にみかげを睨み付ける。今の彼女に出来る抵抗は、それが精一杯だった。

「よく覚えておいてね。お前なんて、ボクはいつでも殺せるんだよ、使

 この上なく邪悪な笑みで、みかげはそう口にした。


       ◇


「こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまうよ、青年」

 その声は、凍え切った身体に温かく浸透する。穏やかで、それでいてよく通る、不思議な声音だった。

「全く、仕方ないな。行き倒れの男を拾うほど飢えているつもりはないんだが」

 苦笑しながら、女性は僕を負ぶる。細腕で僕を抱えているとは思えないほどしっかりとした足取りで、彼女は歩き始めた。雨はいつの間にか、小降りになっていた。


       






 

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