Ep.24‐2 籠の中の少女

       ◇


 昼間の遊園地は親子連れやカップルで大層な賑わいを見せていた。殺人ゲームの渦中にある僕たちとは違い、世間の人々は「夏休み」とやらを全力で謳歌しているようだ。ふと、一組の親子の姿にアリスを重ねてしまった。彼女も、本当はこうして遊びたかっただろうに。

「はい、これアマネくんの分ね」

 物思いに耽りながらベンチで座って待っていると、葉月が屋台で買ってきたらしいクレープを差し出してきた。

「あっ……ありがとう」

 二人で並んでクレープを頬張る。なんというか……平和だ。こんなことをしていて本当に良いのだろうか。

「ね、次はどこ行こうか。アマネくんはどこ行きたい?」

 葉月が地図を広げて僕に見せてくる。

「え、えっと。ごめん、僕こういうの馴れてなくて。葉月に任せるよ」

「そっか。わかった」

 はあ。僕は何をしているのだろう。心の底からずっと焦がれていた女の子とのデートだというのに、あまり集中できない。やはり麻里亜との日々の記憶を取り戻したせいだろうか。今の僕は、不安定だ。いつか法条に詰問された時のように、記憶さえ取り戻せれば自分の存在理由が明確になると思っていた。でもそれは間違いだった。取り戻した記憶は、このゲームにおける僕という存在をより一層曖昧にした気さえするのだ。

「あたし遊園地なんて十数年振りだよ。どう、アマネくん、楽しい?」

「うん、楽しいよ」

 ぎこちない笑顔で僕は返答する。

「ゲームに参加してからずっと大変だったし、たまにはこうやって息抜きするのもいいよね」

 葉月は両手を組んで、大きく伸びをする。その姿が何故だかとても艶っぽく見えてしまい、僕は気恥しくなって思わず目を逸らす。

「しぐれちゃんも今頃は海辺かなあ。あたしたちと同じで、楽しんでるといいね」


       ◇


 ああ。私はここで死ぬ。

 朱鷺山しぐれの脳裡を掠めたのは、彼女が初めて死のうとしたときのことだった。


       ◆


 その日は朝から晩までヴァイオリンの稽古だった。何度教えられても楽譜通りの旋律を奏でられないしぐれに業を煮やしたのか、彼女の母親は言った。

「長年多くの生徒に教えてきて、あなたみたいに出来の悪い生徒は初めてよ。どうしてなのかしら……。何であなたはそうなの? 時間もお金も掛けてあげたのに、どうして人並みのことすら出来ないの!? あなた、本当に私とあの人の子供なの!? それでも朱鷺山の嫡流ちゃくりゅうなの?」

 バシッ、と強くしぐれの頬を叩いて、母親は押し殺すように言った。

 そっか。私は、産まれてきちゃいけなかったんだ――。

 しぐれはその夜、生まれて初めてリストカットをした。何も本気で死のうとしたわけではない。それでも、自分という存在を自分の手で削り取るような得も言えぬ快感に彼女が酔い痴れていたのは間違いなかった。

「あは、あは、あははははは。私、産まれてきちゃいけなかったんだって……あははははは」

 雪のような柔肌に次々と血のわだちが刻まれていくのを、しぐれは恍惚とした表情で眺めていた。

 ああ……。自分をのは、堪らなく気持ちいい。もっと、もっと深く強く切り裂けば、私はもっと死に近付ける。

 壊れた機械のように笑いながら、しぐれは自ら自分に刻んだ傷を愛おしそうに撫でた。これは……癖になる。もっと、もっと死に近付こう。私は生きていてはいけない、いや生まれてきてはいけなかった存在なのだから。


 数週間自分に相応しい死に様を模索した後、しぐれは大通りに面した建設途中の高層ビルの上から飛び降りることに決めた。そのビルは奇しくも、朱鷺山グループの所有するものだった。私がここから落ちて死ねば、朱鷺山の信用は失墜する。私という存在を完全に抹消した上で、復讐できる――。

 しぐれはフェンスを乗り越え、豆粒ほどに小さくなった人の往来を眺めた。ふふっ、上から私がいきなり落ちてきたら、きっと吃驚するだろうなあ。

 しぐれはゆっくりとフェンスから両手を離す。いや、離そうとして、視界が急にぼやけて色を喪ったのに動転した。

 頭がぐるぐるする。何、何なんだろう、これ。しぐれの脳内に昨日口にした給食が浮かんでくる。彼女の好きなクリームシチューのほんのりとした甘みが口内で再現される。じわ、と顔に汗が滲んだ。そして涙が次から次へと溢れてくる。どうして、何でこんなことで私は泣いているんだろう。もう全てに絶望したはずだったんじゃないのか。

 ふと、彼女の脳裡に妹の顔が宿る。両親から見放されている私にも、無邪気に接してくれる幼い妹。しぐれにとって唯一の、心の拠り所。ごめんね、ひさめちゃん――。しぐれは妹の名を心の中で呟く。そしてゆっくりと、今度こそ空中に身を投げ出そうとする。出来なかった。どんなに強く力を込めても、フェンスから手は離れなかった。

「どうして……。どうして死ねないの……」


 こうして彼女は、生きる目的はおろか、死ぬ目的までも失ったのだった。


       ◆


 目の前で少女が死にかけていた。傍の私に救いを求めようとでもしているのか、目だけはこちらを見据えていた。私は体育座りをしながら淡々と光景を眺める。ナイフを持った不良生徒が彼女の上にのしかかり、胸を何度も何度も刺突している。さっきまで私を犯そうとした男と、犯させようとした女だった。いい気味だ……とすらも思えなかった。今の私には、他人の生死なども埒外らちがいに置かれていた。

 少女はびくん、と一際大きく痙攣したかと思うと、血を吐いてこと切れた。

 気付けば周囲は血の海だった。折り重なるように築かれた死体の山々。既に生命として役目を終え、ただの物体と化してしまった人間たち。私も、もうすぐこうなるのか。

 つかつかと生徒会長が私に歩み寄ってくる。

「どうして……こんな酷いことが出来るんですか?」

「必要なことだったからだ」

 会長は私を見下ろし、尋ねる。

「どうする? 仲間になるなら見逃してやってもいい」

 じわじわと私の周りを取り囲むのは、ナイフを手にした不良たちだった。

「いいですよ、そんなの。もう、殺してください」

 自嘲的に笑う。可笑しくて仕方ない。こんな惨めな最期を迎えるのなら、私は今日の今日までどうして生き延びてきたのだろう。

 私はそっと目を閉じた。

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