二十四節 「泥濘」
Ep.24‐1 約束と想い出
その日のことを、今でもよく覚えている。群青色の空を縦横無尽に駆け巡る色とりどりのネオン。暗闇の中、希望を照らし出すように金色に光り輝くソーサーや箱舟。そして何よりも、あたしの両手を握って時おり高く上げてくれる両親の手の温かさ。まるで夢の世界に迷い込んだようだった。絵本の中のお姫様になったかのようだった。
「パパ! ママ! あたし、次はあれ乗りたい!」
遊園地の真ん中のメリーゴーランドを指差して、幼いあたしは言う。
「あれはまだ早いよ。もっと大きくなったらだな」
そう言ってパパはあたしを肩車する。世界がさあっと開けていく。
「さあ、もうそろそろ帰りましょうか」
ママが時計を見て呟いた。幼いあたしは名残惜しくて、まだ全然遊び足りなくて、
「ええ、帰るの? もう帰っちゃうの? やだよ、あたしパパとママともっと一緒にいたい」
パパとママは困ったように顔を見合わせる。
「いつか好きな男の人が出来たら、その人とまた来なさい」
「ええ、そんなの出来るわけないよ。だってパパとママより好きな人なんていないもん。作らないもん」
幼いあたしはふくれっ面をして抗議する。両親に突き放されたようで悲しくなったのだろうか。あたしは目を伏せた。
「ダメよ、そんなんじゃあ。春にはお姉ちゃんになるんだから、もっとしっかりしなきゃ。お腹の子にもあなたの優しさを分けてあげてね、約束よ」
ママは大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でて言った。
「うん……わかったよ。約束する! あたし、優しいお姉ちゃんになる!」
「よし、良い子だ」
パパがあたしの頭を撫でる。あたしは嬉しそうにキャキャッと笑った。……ああ。あの頃は、あたしはパパをパパと呼んでいたんだった。
「名前はもう、決めてあるの?」
あたしは恐る恐る尋ねる。
「そうねえ、お姉ちゃんの名前とお揃いで、生まれた月の名前にしようかしら」
「ええ、何それ。いい加減」
「自分の名前は気に入っているんだから良いじゃないか」
パパが笑った。あたしもつられて笑う。
「早く生まれてきてね」
あたしはママのお腹へ向けて言った。
そして色彩鮮やかな遊園地を眺めながら、幼いあたしは思ったのだった。こんな時間が、ずっと続けばいいな――、と。
◆
目を醒ますと時計の針は十二を回っていた。半日近く寝てしまったなんて、余程疲れが溜まっていたらしい。向かいのソファーベットでも、葉月が微かな寝息を立てて眠っていた。
ふう、と溜息をつく。
「どうしたのですか、溜息なんてついて」
マリヤが抑揚のない声で尋ねてくる。
「いや……何か少し安心しちゃって」
今日は恐らく、ゲームに身を投じてから初めて落ち着けた日だ。
「無理もないな。ゲーム開始から十二日。ずっと戦い詰めだったからな」
葉月の悪魔、ベリアルはそう言ってマリヤと僕を交互に見る。
「しかし周よ、お前の悪魔は随分とまた風変りなんだな。この毒気のなさ、悪魔と言うよりかは天使の方がお似合いだぞ」
内心ぎくりとしたが、マリヤは相も変わらず僕の代わりに淡々と受け応える。
「問題がありますか? 私は悪魔として十全に機能しているつもりですが」
「いや、何というかな。人形っぽいんだお前は。作られたモノ独特の精巧さがある。そりゃあ俺たちは創られた存在だから、多少はそうなんだけどよ」
ベリアルの言葉は、思い出したくもない過去の記憶を僕から引きずり出そうとする。やめろ、やめてくれ。僕はもう、悪魔に戻りたくないんだ――。
僕がベリアルに静止を促そうとしたそのとき、葉月がのそのそと起き出した。
「ふわあ、おはよう……」
「やっと起きたか」
契約者に呆れるように悪魔は言う。どうも僕は葉月とベリアルの関係性が掴めないところがある。どちらも思ったことをずけずけと言うタイプに変わりはないが……。葉月は一体彼に何を願ったのだろう?
「あれ、法条さんは?」
辺りを見回し、思い出したように葉月は訊く。
「出掛けたみたいだ。妹さんのところじゃないかな」
法条結花――麻里亜の友達だった子だ。彼女は麻里亜の辿った運命を知ったら、どう思うのだろうか? きっと心配しているに違いない。でも、彼女に会って全てを話すのは得策ではない気がした。第一信じてくれはしないだろうし、僕の正体はまだ隠しておいた方が良い。
「そっか。何か気が抜けちゃったね」
葉月は不意に切り出す。
「ねえアマネくん、どこか行きたいところとかってない? ほら、記憶、少しは戻ったんでしょう? 何か手掛かりはあった?」
「……ううん、特には」
嘘だった。麻里亜の部屋に朱鷺山ビル、訪れたいところは沢山ある。けれど僕は気が進まなかった。僕と麻里亜の問題に、葉月を巻き込みたくなかった。
「それじゃあさ、ちょっと一緒に街に出てみようよ」
「え?」
その申し出は予想外だった。
「いい機会かな、と思って。今まであちこち引っ張りまわしちゃったけど、街の全容を把握する意味でもいいと思うんだ」
心なしか、マリヤとベリアルは顔を見合わせ、何か合図を送りあっている気がした。
「少し羽を伸ばそうよ。あたしさ、行きたいところがあるんだ」
……これは、デートにでも誘われているのだろうか?
「う、うん……。でも、他の悪魔憑きに見つかって戦闘にでもなったら……」
「それは問題ないと思うぞ」
「それは問題ないと思います」
ベリアルとマリヤが声を揃えて言う。
「魔力感知で半径二キロ内なら悪魔の居場所はすべて把握できるし」
「いざとなれば私の空間転移で離脱することも可能です」
息ピッタリじゃないか。何を相談していたんだお前たちは。というかマリヤの能力は僕、ネヴィロスのものを受け継いだ形になっていたのか。何故か少し感慨深いものがある。
「だからさ、大丈夫。空間転移って、触れているものにも効果が連動するんでしょう? 常に二人で手を繋いでいれば、どこから敵が来てもすぐにここに戻って来れる。法条さんにも怒られないよ」
葉月がウインクして僕に微笑む。外堀はすでに、埋められていたのか。
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