Ep.23‐4 綱紀粛正(後編)

 体育館への渡り廊下の中ほどでしぐれの前に立ちはだかっていたのは、先ほど彼女を取り囲んでいた不良少女のひとり、マキだった。疲弊しきったしぐれは何も感じることなく、

「まだ、何かするんですか……?」

 マキは人目も憚らず、しぐれに向かって頭を下げる。

「形だけそんなことされたって、許す気はないですから」

 そう言って去ろうとしたしぐれの背に向けて、マキは言う。

「許されるなんて、思ってないよ。でもね、あなたの気持ちは解るから……。さっきはごめんなさい、止められなくて」

「口だけなら、なんとでも言えますよね」

 しぐれは意地悪く返した。彼女にはもう、自分を虐げる者たちへの恐怖は消え失せていた。あるのは、ただ――。

「違う、違うよ。だって、私も元は、あいつらのいじめの標的だったから。あなたと同じことを私は最後までされたから……」

「え……?」

「ごめんね、ごめんね……。でも会長を呼んだのって私だから。こんなことじゃ何の罪滅ぼしにもならないかもしれないけど、許して……。自分が経験した苦しみを他人にも味合わせようだなんて、本当、最低だよね……」

 マキはしぐれに抱きつき、嘆願した。

「ねえ朱鷺山さん、私と友達になってくれない? 嫌だよ。私もう内心怯えながらあいつらに付き従うの、嫌だよ……。私はあんな噂なんて、信じてないからさ……」

 何を、言っているのだろうこの子は。こんなことを言えば許されるとでも思っているのだろうか。こんなことを言えば同情を引けるとでも考えているのだろうか。そう冷徹に思いかける一方で、しぐれは安堵を覚えてもいた。ずっと一人きりだった学校生活に、一筋の光明が射した、そんな気さえした。そんな彼女の脳裏に、今朝彼女を送り出した葉月や法条、周の姿が去来する。私は、もう――。

「……うん。いいよ。友達になろう」

 もう、人に助けられるばかりではいられない。私は、私と同じく困っている人を、助けるんだ。

「ありがとね、朱鷺山さん。私、桐生蒔奈きりゅうまきな。マキでいいよ。よろしくね」

 二人の少女は手を握って体育館へと歩き出す。傍らに彼女がいるだけで、安心できた。私はもう一人じゃない――。しぐれは意を決して、体育館の扉を開けた。


 集会は始まる直前だった。しぐれはマキの手を取り、列の最後に並ぶ。不良グループたちは彼女たちを不審げに眺めていたが、彼女はそれでも平気だった。しぐれの頭の中は、この隣の少女と、初めてできた友達とどんな学校生活を送るかの方に傾注していた。彼女と一緒なら、どんなことでも楽しめる気がした。

 

 生徒会長が登壇する。マイクのハウリングが体育館に反響する。会長の話が始まった。

「……今日は、皆さんに残念なお知らせがあります」

 ざわめきが起こる。何か異変を感じ取り、しぐれは目を細めて壇上を見、彼の話に聞き入る。

「端的に言って、この学校の風紀は荒れに荒れ、乱れに乱れています。薬物に援助交際、暴行や恐喝。まあ偏差値を見れば分相応あたりまえかもしれませんが、今日の活動を見るにつけ、私はこの学校の代表として遺憾の念を禁じ得ないものです」

 失笑が巻き起こり、野次が飛ぶ。それでも幾人かの生徒は不安げに壇上を見つめていた。教師陣からはため息が漏れていた。

「……で、あるからして。私は考えました。皆さんは、

 どよめきが大きくなる。しぐれは頭上を仰ぎ見る。宙に浮いた髪の長い少女の悪魔が、うんうんと頷きながら愉快そうに演説に聞き入っていた。

 ああ。どうして気付かなかったんだろう。しぐれはマキの手を引き、思わず立ち上がる。

「どうしたの、朱鷺山さん?」

 不審げに見返す彼女に、しぐれは叫ぶ。

「ダメ、あの人の話を聞いちゃダメ! 皆、目を醒ましてっ!」

 前方の生徒は胡乱な目つきで会長の話に聞き入っていた。

 体育館の真ん中でひとり叫ぶしぐれなど歯牙にもかけず、生徒会長は淀みなく言葉を紡ぐ。言葉の一つ一つには強力な暗示が掛けてある。

「……つまり、ここにAという人物とBという人物がいて、BがAに全ての点で劣るのならば、Bという存在には生存価値がなく……」

 動転するしぐれの様子を見、未だ催眠に罹っていない生徒が彼女をせせら笑う。

「このままじゃ皆、殺されちゃうよ! ねえ! しっかりしてよ!」


 既に種はばら蒔かれていた。日常的に刃物を所有している何人かの不良生徒に予め暗示をかけ、特定のワードを合図に発動する「命令」を仕掛けておく。日ごろから不良の取り締まりに精を出す「彼」だからこそ出来た、この上なく残酷で効率的な処刑方法。

「……だから、ここで皆さんとはお別れです。ご安心を。皆さんの犠牲は必ず活かします。さようなら。これが私の『綱紀粛正こうきしゅくせい』です。以上、生徒会長、御厨翼でした」

 それが、合図だった。しぐれは思わず両手で耳を塞ぐ。そして、神託でも下すように、厳かに少年は告げた。


『――


 地獄が始まった。現代では凡そ考え難い、無秩序で無感情な大量殺戮ジェノサイド。その最大の特徴は殺人者は他ならぬ被害者自身でもあるということだった。

 斬殺。殴殺。刺殺。絞殺。撲殺。扼殺。ありとあらゆる死のカタチが狭い体育館の中で次々に再現されていく。ラケットで交際相手の女子生徒の顔面を打ち砕いた男子生徒は、別の女子生徒にネクタイで首を絞められ。その彼女は別の男子生徒に左胸をナイフで滅多刺され。そしてその男子生徒も……。死。死。死。延々と繰り返される死の連鎖。催眠に罹らずに命令が行き届かなかった少数の生徒は地獄から逃れるべく、悲鳴をあげて出口に殺到する。彼らは一瞬にして灼熱の炎に飲み込まれ、焼死した。

 体育館の出口に立ち塞がる双児宮――片桐藍の瞳に光はない。完全に翼の傀儡と化した今の彼に出来るのは、翼の作った檻から逃亡を図る人間いけにえ達を全て焼却すること、それだけ。


 しぐれは襲い来る生徒たちの群れから必死に逃れながら、

「どうしよう? どうしたらいいの? ねえマキちゃん……」

 しっかりと繋いだはずのマキの手は、確かにそこにあった。。何者かに引き千切られ胴体と泣き別れたマキの手は、束の間の友情を嘲笑うように、だらしなく垂れたかと思うと、体育館の床にぼとりと落ちた。

 

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