Ep.23‐3 綱紀粛正(前編)

       ◆


 私には、学校で友達と呼べる人が一人もいない。残念だけれど、仕方ない。自分のことすら好きになれない人間が、他人を好きになれる筈が無いのだから。でも、ひとりぼっちでいるのは堪らなく寂しい。他人から必要とされないなんて耐えられない。この広い世界の中で誰とも繋がらずにいるのは心の底から虚しい。だから、私は――。


       ◇

 

 美桜南みさくらみなみ高校、その屋上裏。これは何処にでもある、あまりにも普遍的な光景。華やかな学校生活の裏に潜む、残酷で理不尽な暗部こうけい

「朱鷺山ちゃんさあ、これどういうこと? 二万しか入ってないんだケド。アタシらは「五万持ってこい」って言ったワケ。なに、あんた嘗めてんの? なあ、お嬢様? アタシら平民を嘗めてんのか、って訊いてんだよッ!?」

 鋭い蹴りが幾度目か、しぐれの鳩尾みぞおちに深く食い込む。

「ふぐっ……! や、やめてっ、おなか、蹴らないでっ……! も、もう家にはお金なくて……! お願いだから、許して下さいっ……!」

 地べたを百足のように這いずりながら必死に許しを請う彼女を哄笑が包む。

「惨めなもんだよねえ。財閥の元ご令嬢もこうなっちゃお終いだわ」

「今月はいくら稼いだんですかあ~~? しぐれお嬢様?」

「そんなことよりさ、どうやって埋め合わせさせるか考えさせない? そっちの方が建設的でしょ」

 しぐれの頬をブーツで思い切り踏みつけながら、髪を派手に染めた少女が言う。 

 自身をなぶりつくす少女たちを涙でぼやけた視界で仰ぎ見、しぐれは思った。


 この子達は、不幸だ。市内で一番不出来なこの高校に集まる生徒は、皆がどこかしらに問題を抱えている。劣悪な家庭環境で家に居場所がなかったり、お金がなくてまともな教育を受けられなかったり。皆解っているはずだ。世間的に見て、自分たちが「不幸かわいそう」な子供なのだと。だからこそ、自分より不幸な人間を探して安心したいのだ。自分より下等な人間を虐げて逃避したいのだ。

 

 しぐれの思考を破ったのは、屋上の扉が急に開く音だった。誰か助けが来たのか、と思い顔を綻ばせた彼女は、より一層失意を深めることになった。

 現れたのはいじめっ子グループと懇意の不良男子生徒たちだった。口許に下卑た笑みを浮かべながら、品定めをするようにしぐれを眺める。

「ちょっとこの子、今すぐ三万必要らしくてさ。でも手持ちがないらしいのね。それでね、ちょっとここでしたいらしくて」

 いじめの主犯格のアカネという少女が、意地悪そうに言った。

「あー、そういうことね。じゃあ、協力したげないとな」

 男は笑みを浮かべ、しぐれに歩み寄ってくる。

「え……?」

 自分の手に届かないところで、想像もつかないような悪意が進行しているのを感じ取り、しぐれは頬を震わせた。

「一回一万ね〜〜。はい毎度あり」

 アカネにお金を手渡した男は、しぐれのブレザーの襟を乱暴に掴む。

 現状を見かねたのか、いじめっ子の少女の一人が口を挟む。

「ねえ、流石にこれはやりすぎじゃない?」

「なに、ビビってんの、マキ? じゃああんたが朱鷺山ちゃんの代わりに三万出しなよ」

 アカネの声音が低くなる。

 少女たちのやり取りを尻目に、男は呆然自失のしぐれの制服の前をはだけさせる。アカネはそれを見、男に向かって

「あ、生なら三万にしとくけど、どうする?」


 今になってしぐれは理解した。彼女達の悪意は、自分の想像を遥かに超えていたことを。そして今の自分には、その悪意に抗う術がないことを。

「やだ……、やだっ……!! 嘘ですよね……、こんなの冗談ですよね!?」

 耐えられずに叫ぶ。

「今更何言ってんの? 黙って股開いてろよ、このアバズレ」

 アカネがしぐれの頬を平手で張る。

「ほーら、暴れない暴れない。大人しくしとけばすぐ終わるからさ」

 醜い欲望を露にした男に、しぐれが人目も憚らずに救いの声を上げかけたそのとき、背後からその声は響いた。


「貴様ら、何をしてる」

 しぐれは顔を上げ、男の腕を振りほどき、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で泣き出す。

「なーに、生徒会長様? こんなところでもポイント稼ぎしようっての?」

 アカネが眼を飛ばす。

「猿以下の知能の貴様らには解らんだろうがな。これからこの学校は四泊五日の臨海学校で、今から体育館で集会だ。早く集まれ」

 男たちはそそくさと退散した。元々気乗りがしなかったせいもあるかもしれないが、一番はそんな彼らでも生徒会長の恐ろしさを弁えていたからでもあった。これまで彼に悪事が露見して、無事だった生徒は一人もいない。皆停学か留年、最悪は退学。この美桜南高校において品行方正を地で行き、多数の生徒から信頼も得ている会長に逆らうことは、学校生活における死を意味していた。

 捨て台詞を吐きつつ、女グループも退散する。

 蹲りながら嗚咽するしぐれに一瞥もくれずに、生徒会長は言った。

「お前も急げ。そろそろ集会が始まる」

 しどけない衣服を直すこともせず、しぐれは俯いたまま頷いた。

「安心しろ。あんな奴等は、すぐに……」

 去り際彼が漏らした科白を気に留めることもなく、しぐれはのろのろと立ち上がり、屋上を後にした。


       ◇


 トイレの鏡で乱れた服装を直していると、鏡の中に一人像が増えているのにしぐれは気付いた。

「随分と元気がないねえ。まあ、あんなことをされた後だ。そりゃそうなるか」

「用がないのなら、帰ってください」

 しぐれは冷たく言い放った。

「つれないなあ。悪魔憑きたちのメンタルケアもボクの役割だよ? 今回さ、皆やる気なさすぎるんだよね。やっぱり主催者からするとちゃんと殺し合ってもらわないと、張り合いがないっていうかさ」

 みかげはけらけらと笑う。

「ねえ、朱鷺山しぐれ。キミは誰が神になると思う?」

「そんなの、知りません。でも、どうせ私は勝てない。私には関係ない事ですから」

「どうしてキミはそんなに自分を卑下するかなあ。考えてもみてよ。どう考えても、キミが手にしている権能も、キミに憑いている悪魔も、文句なしの一級品だよ? キミがもっとやる気になれば、もっと面白い展開になると思うんだけどなあ」

「言いたいことはそれだけですか。……私は神にはなれませんよ。だって私は、死にたいから。もう生きていたくないから」

 しぐれは低く笑って、体育館へとひとり重い足を引き摺った。


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