Ep.23‐2 願いと祈り

       ◇


 鷺宮紗希は街外れの教会を初めて訪れた。森閑たる空気の中、重々しく内側へと開かれる扉。そして礼拝堂の暗闇の中で待ち受けていた人物を見、紗希は眉をひそめた。

「お前のような稀代の毒婦がこのような神聖な場にいるとは、一体どんな了見だ? 自らの毒にでも当てられたか?」

 礼拝堂の中に佇んでいるのは、紗希の言とは裏腹に、楚々とした女だった。年齢は十代後半から二十代前半くらいか。慎まやかな礼服に身を包んだ姿からは、一切の穢れが感じられない。美女の類には入るのだろうが、彼女の容貌は印象が極端に「薄い」。目を見張るような美女でもなく、かといって地味なわけでもない。彼女の容姿は「美しい」という詞で形容されるのを頑なに拒んでいた。


 紗希の敵意が籠った眼差しにも女は柔和な微笑みを以て返す。

「随分と面白いご冗談を仰りますね。鷺宮さん、以前お会いした時と比べて幾分と諧謔かいぎゃくが身についておいでですよ?」

 皮肉めいた口調と裏腹に、女の表情には邪気のひとつも見受けられない。本当に可笑しそうに、笑みを漏らしている。

「それで、このような夜更けに教会を訪れるなんて、今回は一体どのようなご用件ですか?」

 女は紗希に尋ねる。

「全く。お前のような下の下に頼らざるを得ないとは、自分が本当に呪わしいよ」

 悪態をつきつつも、紗希は女へ写真を手渡した。

「人を探している。もう二週間近く行方知れずだ」

「可愛い女の子ですね。お名前は?」

 紗希は苦々し気に少女の名を告げた。

「聖母様の御名と同じ名前の女の子ですか。道理で可愛い訳ですね」

 女は微笑む。紗希は彼女の笑顔が堪らなく苦手だ。もうかれこれ彼女とは三度目だが、紗希は彼女の本名を知らない。会う度に異なる名前を名乗ることから、偽名なのは明らかだ。

「……また、以前とは口調が変わっているな。?」

ですか? 『瑠璃花るりか』とお呼びください」

 誰も彼女の本当の素性を知らない。確かなことは、彼女は一種の情報屋だということ。紗希が以前逢った時、彼女は場末の娼婦だった。言葉遣いは淫らでだらしなく、派手で華美な服装を好んでいた。その時の彼女は愛莉あいりと名乗ったはずだ。それが今では質素な礼服に身を包み、男の一人も知らぬ生娘きむすめかのような純朴たる振る舞いである。紗希には演技とは到底思えなかった。

「お前は、解離性同一性障害――多重人格者なのか?」

「そのような大層な病気ではありませんよ。状況に応じて使だけです」

 紗希は全身が総毛立つのをはっきりと感じ取った。彼女とて手練れの警察官、女だてらに相応の修羅場を潜り抜けてきている。それでも、この怪物ルリカは彼女にとって容認しがたい存在だった。

「少し時間をください。三日もあればこの子が今どこにいるか、生きているのか死んでいるのか、男性経験のあるかないかまで、全て明らかにして見せますよ」 

 自らの秘密へと踏み込んだ紗希に忠告を与えるかのように、瑠璃花は妖しく微笑んだ。

「そういえば鷺宮さん、私に依頼する前に連城さんには依頼しなかったんですか? あの方なら私よりも早く真相に辿り着くかもしれませんよ」

「どういう意味だ」

「別に深い意味はありませんよ。女の勘です」

「……ふん。男をたぶらかす手練手管は変わりなしというわけだ」

「あら、そう聞こえてしまいましたか? それはとても残念です」

 瑠璃花は残念そうに項垂れた。彼女の表情に嘘は微塵も宿らない。

「……ああ、連城さんといえば。最近なのかしら。彼女さんができたの、ご存知でした?」

「何?」

「綺麗な人でしたよ。今度ご挨拶に伺っては如何ですか?」

 瑠璃花は嬉しそうにそう告げた。

「用件は済んだ。私は帰る」

「そうですか。お気をつけて」

 礼拝堂の扉を押し開ける紗希に、瑠璃花は問いかける。

「鷺宮さん。あなたは神様を信じますか?」

 紗希は返答する。

「そんなもの、信じないよ。神がいたらもう少しましな世の中になっているだろうからな」


       ◇


 紗希が辞して間もなく、礼拝堂の暗闇の中、瑠璃花の傍らに影がひとつ増えた。

「彼女のこと、どう思う? サタナキア?」

「俺の好みだな。果断そうで度胸もある。頭も切れそうだ」

「じゃあ、?」

 瑠璃花――いや、既に彼女はルリカではないから、この呼び方は相応しくないだろう。

「いや、あいつに俺は視えないんだから、どうしようもないだろ。お前、前々から思ってたけど少し抜けてるな」

「あ、そっか。そうだよね。まあ、

 先ほどまでルリカだった女――処女宮ウィルゴは屈託なく微笑んだ。

「さあ、最後はシスターらしく主に祈りを捧げて去りましょうかね」

「お前、神を信じてるのか」

「え? 信じてるわよ? いや、信じたいって言った方が正しいかなあ。だって、いたら面白そうでしょ? だから私は、神になれるならなってみたい」

「そんな適当な理由で神を目指すやつ初めて見たぜ。大丈夫か、そんなんで」

 処女宮の悪魔――サタナキアは呆れるように言った。

「大丈夫だよ、私以外に神になりたいって言ってた人、男の子だったでしょ。なら私が負けるわけないよ」

 処女宮はそう言い切って、

「でも皆は一体どんな願いを持ってこのゲームに挑んでるんだろうねえ。ちょっと気にならない?」

 礼拝堂の暗闇の中、彼女の朗らかな声が残響する。それはまるで、さかしまの波のようだった。


       ◇


 今後の対応策に対する妙案は結局浮かばず、法条の言った通り暫くは様子見に徹することになった。

「性に合わないけど……仕方ないね」

 葉月は少し残念そうに呟いた。

「あの……少しいいですか? 実は私、これから十三日までこの街を離れるんです。……学校の、臨海学校で」

 しぐれがそう切り出した。

「そうか……。いい機会なのかもしれないな。朱鷺山くんは私たち同盟の生命線だ。暫くは全員、休養しよう。正直なところ、私も少し疲れた。結花の様子も見に行かなくてはならないしな」

 法条さえも気怠そうに呟く。

 ここ最近になって猛暑日が続く。本格的に夏を迎えたのだろうか。ふと、僕の中に形容しがたい一抹の不安が芽生えた。……。あれは……。その正体を掴みかねている内に、暑さによってその違和感は消し飛んでしまった。

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