Ep.22‐2 崩壊への階(後編)

 生命いのちが次々と消えていく。彼の眼前で。

「でもさあ、良かったんじゃないの。翼くんさ、言ってたじゃん。世の中は下らない奴ばっかりだって。馬鹿ばっかりだって。生きていても害にしかならない人間は死んだ方が良い、だっけ? 世界の人口は千分の一で良い、だっけ? 確かそんなことも言ってたよね。多分ここで死んでる人たち皆、翼くん的には「要らない」人種だよ。自分の嫌いな人間がたくさん死んで、満足っしょ?」

 翼は応えない。

 必死で逃げ惑う女の背を、早川の刃が刺し貫いた。血飛沫が翼の頬にまで飛散する。彼はそれでも、眼前で繰り広げられる惨劇から目を逸らすことが出来ないでいた。

「止める方法は、ないのか」

 憔悴しきった顔のまま、彼はそう呟いた。

「さあ~~? でも駄目元で何か「命令」してみたら? あと一回残ってるっしょ?」

 御厨翼の権能、『高貴粛清』は、彼が交わした二度の契約強化により、格段に強力な能力へと進歩を遂げていた。


 一、以前は対象がしそうにないことは命令できなかったのに対し、現在は「物理的に可能な範囲で」命令が可能になった。場合によっては対象の自由意志を剥奪し、捻じ曲げ、人格を破壊しかねない程の強引な命令も可能になった一方で、術者である翼にも命令の結果が予測できない場合もある。

 二、一度きりだった命令が、「三度」まで可能になった。原則として後にした命令の方が強く働く。命令の重ね掛けにより複雑な支持も出せるが、会話の中で徐々に掛けなければならないため、催眠の側面が強い。片桐藍を支配下に置いたのも、命令の重ね掛けに因る賜物である。


 能力の効用が複雑化したことで運用には細心の注意を払わなければならなくなったが、その分を差し引いても翼の権能の効果上昇の恩恵は甚だ大きい。だが、今回ばかりはそれが仇となった。強力過ぎる命令は「暴走」という形をもって、彼に現状を知らしめたのだった。


 惨劇は程無くして終わった。バーの床に折り重なるように倒れ伏す亡骸は死屍累々として見るに堪えず、翼は思わず床に蹲った。

「まあそんなに落ち込まないでって。ちょっと能力が暴走しちゃっただけじゃん。あたしもこんな強い能力が欲しかったなあ、なーんて」

 ルサールカの剽軽な語りに翼は我慢の限界を感じて、

「俺は、関係ない人間まで巻き込みたくなかったんだ! 俺の復讐は、あいつらだけを殺して終わるはずだったんだよ!」

「なに、キミそんな甘い覚悟でこの戦いに臨んでたワケ?」

 ルサールカの相貌から笑みが剥落していく。

「あのね、現実はそんなに甘くないんだよ。舐めてんのか、お前。負けたら死ぬ。勝っても負けても、過去も未来も、地獄なんだ。それなら、お前にあるのは「今」だけだろう?」

「こんな、こんな理不尽を受け入れろっていうのか。これを繰り返せと、そう言うのか?」

 翼は口の端を噛んで押し殺すように呟く。

「うん、そうだよ? 元からキミに戻る道なんてないんだ。もう進むしかないんだ。優しい人間だけの世界を創るんだろう? 賢い人間だけしか存在しなくていいんだろう? わかってた? それはね、?」


 『神になって、賢く優しい人間だけの世界を創りたい』

 そうだ。解ってはいた。頭では理解していた。下らない人間に、人に害をなす人間に、自分の欲望を満たすことしか頭にない人間に、生きる価値などない。。それでも、彼の目の前で今まさに繰り広げられた惨劇は、彼の願いが意味する真実をあまりにも鮮烈に、限りなく残酷に、彼の前に突き出したのだった。

「キミが採れる道は二つ。自分の理想を遂げて他人を殺し尽くすか、道半ばで挫折し他人に殺されるか」

 ルサールカはこの上なく意地悪い相貌で、続けた。

「でもねえ、ちゃんと認識してる? キミがもしここで理想を諦めるなら、これまでキミが信じてきたモノの価値は、すべて無くなるんだよ? あれほど憎んだ不良大学生たちの蛮行も、ユカちゃんの流した涙も、キミが決意と共にあたしに捧げてくれた魂も、ぜーんぶ無為に帰すんだ。そこんとこ、よーく考えといてね? で、どうすんの、止めちゃうの?」

 ……そうだ。今更立ち止まって、来た道を戻って何になる。一度心に抱いてしまったどす黒い染みは、簡単には消せはしない。願いを失くしてしまったら、これまで何のために動いて生きたのかさえも解らなくなる。もう、進むしかないんだ。その道がどんなに険しくても、残酷でも、果てが見えていても。

 翼は乾いた声で返答する。

「ああ、解ってるよ」

「やった! じゃあ続行だね。良かったあ。ここで止めるとか言われてたら確実にあたしキミを殺してたし。ねえ、死体食べちゃっていい? これ生贄としてあたしにくれるんだよねっ?」

「好きにしろ」


 欣喜雀躍きんきじゃくやくとして死体を貪るルサールカを尻目に、翼は意を決して早川の許へ歩を進める。最後に目が合った。泣いていた。そっか、結花にあれだけのことをしておいて、あんなに酷いことをしておいて。そんなオマエでも涙を流すんだな。そんなことを考え、御厨は瞑目した。そして、最後に命じる。自身が考え得る限り一番最悪なカタチでのを、与えんがために。


       ◆


 ……そして数瞬の後、早川慶太の意識は完全に塗り潰された。


       ◇


 

 バーから出ると、空が白み始めていた。

「いやあ、今夜はなかなか面白いものが見れて良かったよお。手駒も増えたことだし、やっと本格的に動き出しちゃう感じ?」

 翼は重い足を引き摺りながら、

「そうだな。くっ、はは。ははははは」

 突如として含み笑いを漏らす翼を不審げに見つめるルサールカ。

「ああ、そうだ。俺は当然のことをしたんだ。死ぬべき人間を、生きるに値しない人間を淘汰しただけ、ただそれだけなんだよな」

「うんうん。その調子その調子」

 彼女は満足げに頷く。

「決めたよルサールカ。俺は絶対に神になる。神になって、選ばれた少数の人間が恒久的に幸福を享受できる楽園せかいを創るんだ。はは、ははははは」

 夜明けの街に、彼の哄笑が残響する。自分の願いが大いなる矛盾を孕んでいることに、彼はまだ気がついていなかった。

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