第四章 「恒久平和のために」
二十二節 「報復」
Ep.22‐1 崩壊への階(前編)
階下には不快感が
「お前が早川慶太か」
不意に声を掛けられ、不快そうに振り向く男。
「あん? 誰だ、お前」
「法條結花という女の子を知っているか」
「知らねーよ、つうかいきなり何だよ、邪魔するなお前」
翼は苛立ちを抑えきれず、語気を荒げて聞いた。
「質問を変えよう。お前とその仲間は、女子高生に乱暴を働かなかったか」
男の顔がみるみる歪んでいくのが、はっきりと見て取れた。
「ねえちょっと、それってどういうことなの」
先刻まで早川の益体のない話を聞いていた女が、怪訝そうに彼を見た。
「お前は黙れ。あーそうか、そうゆうこと。お前、あのJKの知り合い? 兄貴か? それとも恋人だったりして! なに、訴えんのか? 無駄だって、俺の親父が揉み消すからさ。それに少年法ってのもあるしさ、残念だったねお兄さん」
臆面もなく罪を認める男に殴り掛かろうとする自分を押し殺し、翼は低い声で命じた。
『ベラベラと余計なことを話すな。聞かれた質問にだけ手短に答えろ』
途端に、早川青年の身体が弛緩し、
「はい、僕は、三人の友達と、女子高生を輪姦しました」
翼は続ける。
「他の三人の名前は?」
ぶつぶつと名前を読み上げる青年。その顔は強張り、瞳孔に光はない。死にかけの金魚みたいに、パクパクと口を開閉している。言葉には意思も感情も籠っていない。翼がする質問に、どこまでも無機質に答えていくだけ。早川の横にいた女は豹変したように従順になった早川の様子を見、不審がっている。
「……お前は彼女にしたことに対して、悪いと思っているか、少しでも反省しているか」
御厨翼は、人間が嫌いだった。でも、それでも、それだからこそ、きっと何処かで人間の善性を信じていた。信じていたかった。そう、次の言葉を聞くまでは。
「思って、ないです。少しも、反省して、ないです」
翼は目を伏せ、少し悲しそうな笑みを浮かべた後、
「そうか……。じゃあ、お前は生きる価値のない
胡乱な目で空を見つめる早川に右手を翳し、そしてあまりにも冷たい声でこう告げた。
『出来るだけ苦しんだ後に、自殺しろ』
さあて、どうなるか見物だな。彼はカウンター席へ移動し、遠くから様子を覗った。早川はびくっと大きく身体を震わせたあと、右手をゆっくりと先ほどまでステーキを刻んでいたナイフに這わせた。
翼は片時も見逃さないよう遠くのテーブルを凝視する。先ほどの女が不安そうに早川を揺さぶっている。
「ねえどうしちゃったのよ、しっかりしてよ」
何だよお前は。そんな害虫に気を掛けるな。触れるな。取り乱すな。それじゃあまるでそいつが被害者みたいじゃないか。違う。そいつは絶対的な加害者だ。頼むからそんな奴に関わらないでくれ。そうでないと、お前も、お前にも能力を使って――。翼の思考が過激さを増す中、遂に早川はナイフを大きく振り上げ、そして深々と突き刺した。早川は力任せにナイフを引き抜く。再び刺す。胸を、腹を、首を、顔を、額を。滅多刺しにされた全身から止め処なく噴出する赤黒い液体。女は悲鳴すら上げない。いや、あまりの予想外の出来事に上げられない。惨憺たる様に翼は思わず目を逸らした。
「何で、だよ」
驚きの声は他ならぬ翼自身の口から洩れたものだった。
ああ……助からない。もう、あの女は助からない。
女が呆気に取られた顔のままテーブルに崩れ落ちるのを待たずして、早川は次の
「くそっ、おいっ、ルサールカ! 見ているんだろ、出てこい!」
「はいほーい、こりゃまた何か面白いことになってるねえ。一体どんなご用件かにゃ?」
「
「あ~~、そんなこと? そうだね、何でだろうねえ?」
ルサールカは真剣な顔で少し思案した後、
「こうは考えられないかな? つまり、人間にとって最大の苦しみとは「他者を殺すこと」だと」
「どういう……ことだ」
翼は錯綜する思考を必死に押しとどめながら、そう自らの悪魔に問うた。
「だからあ、キミが「出来るだけ苦しめ」とか変な命令するからだよ。キミか慶太くんのどちらかが、そう認識してたからじゃないの?」
翼は黙りこくった。彼女の言は彼の理解を遥かに超えていた。
「まあ百聞は一見に如かずっていうかあ、ちょっと慶太くんの顔よく見てみ?」
翼は早川の顔を遠目から見た。その顔は何故か、酷く悲しそうに、苦しそうに見えた。意思を剥奪され、殺戮を行うだけの機械と化した手足。絶望と諦観とで塗り潰されながらも、早川は翼の下した命令に必死に逆らっているように見えた。
「辛いんだろうねえ、悲しいんだろうねえ。本当は人なんて殺したくないのに。彼女も自分で殺しちゃってさあ。可哀想にね~~。まあ、悪魔のあたし的には? ニンゲンの不幸とか苦しみとか大好物だし? 万事オッケーって感じなんですけどねっ!」
邪気のない笑顔でこの上なく邪悪なことを
ああ、俺は。悪魔に魂を売り渡してしまったのだ――。
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