二十節 「掃討」
Ep.20‐1 果てしなき童話
わかっていたわ。夢は、長く続かないんだって。いつか終わりが来るんだって。
空想の世界は果てがなくて、何処までも飛んでいけると思っていた。それは誰もが夢見、そして諦めていく虚栄。だけど少女は壊れていた。何処かが決定的に、他の子供とは違っていた。
彼女の名はアリス。数ある童話の中でも頂点に君臨する物語の主人公と同じ名を冠するもの。だから彼女の遊戯は止まらない、否、止まってはならない。
あたしはアリス。そうよ、つまらない現実なんて捨ててしまえばいい。絵本の中こそが本当よ。ああそうだわ、ぜんぶ夢なんだわ。パパとママがあたしをびょういんに置き去りにしたのも、病気がもう治らないのも、パパとママをいけにえにしてオリヴィエと契約したのも、今こうしてお姉ちゃんたちと遊んでいるのも。
ああ、この夢はいつになればさめるの?
もしすべてが
ああ、そっか。もうとっくに、そんなものは――――。
◇
「やってくれたよ、これまでの二回の遊戯は私たちの注意を彼女が召喚する生物に集中させるための布石だったわけだ」
法条暁は深く嘆息し、アリスに化けていた悪魔オリヴィエに向かって言った。しぐれは息を切らし、目の前の現実が受け入れられないというように首を横に振っていた。手錠の残り時間は二分。だというのにアリスが捕まった気配は微塵もない。
「そう、全てはなんの疑いもなく爆弾付きの手錠を嵌めたあなたがたの落ち度ですよ、
少年悪魔は続ける。
「まずアリスと彼女に化けた僕が手錠で繋がれたあなたたちを分断する。どちらが本物を追いかけてもいい。本物を追いかけた方にアリスは
法条は苦虫を噛み潰したような顔で返答する。
「最後はまた随分な
「何が悪いのですか? 遊戯の面白さは言ってみれば
オリヴィエはこともなげにそう言い切り、飛翔した。
「さて、僕はもう片方のペアを視察でもしてきましょうかね、一体どんな顔をしているやら」
◇
「法条さん、法条さん! あと一分しかありませんよ、ど、どどどどどどうしましょう、このままじゃ私たち死んじゃいますよお……」
しぐれは泣きじゃくりながら縋るように法条を見た。彼女なら、なにか機転の利く解決策を思いつくのではないかと一縷の望みをかけて。
「ああ、そうだな。どうやら私たちの敗けなようだ。すまないな、朱鷺山くん。私と組んだばっかりに。葉月君ならこの手錠くらい片腕で引き千切るだろうに。ああ、でも千切ったら爆発するのか。これはどうやら本当に詰みだな」
しぐれには理解が追いつかなかった。なぜ、目の前の人物は死を目の前にしてもこれだけ落ち着いていられるのか? どうして、敗けても平気そうな顔をしていられるのか。
「悪いが私はあまり自分の命に価値を見いだせない人間なようでね。特に死に対して思うこともない。煙草が吸えなくなるのが少し惜しいくらいだ」
そう言って法条は人生最後になるやもしれぬ紫煙を吹かせ始めた。
「嘘……ですよね嘘、嘘嘘嘘。こんなの嘘、嫌ですよ私まだ死にたくないですなんで、どうしてそんなに」
動転するしぐれに法条は淡々と返した。
「落ち着いていられるかって? 簡単なことだよ、私は生まれてこの方、生をあまり実感したことがない。唯一法廷に立っている時だけが生きていた時だ。それ以外の私など、元から死んでいるようなものだからな」
しぐれは一人蹲り、点々と表示を減らす爆弾を眺めていた。涙で視界は曇り、数字は読み取れない。葡萄の房のように垂れたツインテールはまるで柳の木のように、彼女の視界を覆いつくしていた。
ああ……死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――――。
死を目の前にして
『死を乗り越えられぬものに、生は乗り越えられぬ』
ああ、私は、とうとう、最後まで、この言葉の意味を、解らなかった。
タイマーの数字が十を割った。永遠にも等しい死へのカウントダウン。しぐれは思考する。九。この数字は、どういう意味なんだろう? 時間を表す指標だ。八。そんなこと解り切っている。違う、きっと私はこの数字に別のモノを見る。七。時とは、数字によって可視化されることによって、私たちの認識下に置かれる。じゃあ、数字がなかったら。六。そうだ、外観に囚われてはいけない。時は、時間は、物体の中にある。五。だからこの手錠は爆発しない。バクハツなんてする訳ない。だって、元はただの――――。四。
最後の三秒。しぐれの脳内には、今まさに新しい形の時間認識が構築されつつあった。だから、後は実行に移すだけ。
「
彼女は祈りにも等しい気持ちで唱える。時間を減っていく数字として認識するんじゃない。ひとつの物質として、物質の中に流れる時間として認識するんだ! 時計仕掛けの少女。そう、全ての中には時計がある。その針を、弄ってやればいい――――!
手錠の時間が巻き戻る。タイマーに記された時間ではなく、手錠自体の時間が。しぐれが目を開けたとき、彼女と法条の自由を奪っていた手錠は消え去り、跡には幾ばくかの鉄粉とニトログリセリンの液体が残るばかりだった。しぐれは手錠自体の時間を巻き戻したのだ。
「生きてますよ。私たち、まだ生きてますよ法条さん……」
「ああ、そうだな」
「簡単に死ぬなんて言わないでください、私たち、仲間でしょう」
「ああ……すまなかった」
法条暁は申し訳なさそうに苦笑した。その笑顔を見て、しぐれは漸く幾ばくかの安堵を得られたのだった。
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