Ep.20‐4 はじめての友達

       ◇


 空中を自由落下する葉月の脳裡のうりに宿ったのは、「このままでは自分は確実に死ぬ」という認識だけだった。いくら『月下美刃』による身体強化が発動していても、地上70階越えの摩天楼から真っ逆さまに落ちたとなれば、無事では済まない。『月下美刃』は自らの強さを「自分は強い」「自分なら出来る」と思い込むことで変化させるものだが、「高い所から落ちたら死ぬ」というあまりにも普遍的な事実を上書きできるほど彼女の認識は強くなかった。いわば、。「摩天楼から落ちて死ぬ認識」と「落ちても死なない認識」は前者の方が遥かに強い。これは不可避の問題だった。


 落下の最中、葉月は手にした竹刀を残った右手でビル壁へと思い切り突き刺す。重力と摩擦力の負荷が一気に彼女の身体を蝕む。それでもなお、彼女は落ち続ける。飛散した窓ガラスやビル壁が、容赦なく彼女の身体を打ち据える。


 ここであたしが死んだら……アマネくんはどうなるの?

 法条さんもしぐれちゃんも、アマネくんを完全に信用していない。

 過去も記憶もなくした彼に寄り添ってあげられるのは、あたしだけ。

 ずっと欲しかった。いつも傍に居て、優しく見守ってくれる人が。やっと見つけた細やかなあたしの安寧いばしょ

 アマネくんのために、皐月のために、法条さんやしぐれちゃんのために、何よりあたしの未来のために――――!

 あたしは、絶対、生きて帰るんだ――――!


       ◇


 葉月の安否を気にして狼狽うろたえる僕と違って、アリスの判断は早かった。即座に絵本を開き、竜を召喚する。竜の顎から迸る火炎は、煉獄れんごくの炎のように影の巨人を焼き払った。だが、それだけだった。影の巨人は焼かれ消え去った部位を瞬く間に再生していく。アリスは再度竜に命じたが、これではキリがない。傍らのアリスは悔しそうに顔をゆがめている。そうだ、葉月が簡単に死ぬはずがない。彼女を信じよう。だから今、僕がすべきことは。

「アリス、竜の背に乗って空から逃げよう」

「それは駄目なの。あの子は人見知りだから二人乗りは出来ないし、お馬鹿だから同時に攻撃と防御は出来ないの」

 アリスはしょげかえるように言った。

 その時、巨人が僕たちを圧し潰さんと巨大な拳を振り下ろしてきた。動きは速いが、軌道は読みやすい。僕はアリスを抱えて咄嗟に躱す。そのまま屋上の給水塔の梯子を登る。影の巨人の全貌を把握するためだ。これまでの影人間の様子から、あまり複雑な命令は与えられていないはずだ。

 僕は巨人を様々な角度からつぶさに観察する。巨人とは言ったものの、よく見れば構成要素は多数の影人間だ。そして僕は気付く。

「アリス、巨人の裏を取ってくれ。あいつは表は強固だが、裏は脆弱だ。裏から一気に焼き尽くせば崩壊するよ」

「でも、竜の背には一人しか乗れないのよ。お兄ちゃんはどうするの?」

「僕は陽動だ。僕があいつを引き付けるよ」

「だから、どうやって?」

 僕は少し俯いて、そして唱える。

「こうやってさ――。権能イノセンス、『蒼天の光はすべて星インヘリット・スターズ』。再現イミテイト――『奇怪な童話イマジナリー・フレンズ』」


       ◇


「……これは少々、予想外過ぎるな」

 畔上通信本社ビル、一階ターミナルエリア。法条としぐれは上階から続々と現れる影人間たちに囲まれ、絶対の窮地に追い込まれていた。 

「試しにやってみるか。権能、『推定有罪バーニングコート』。『動くな』」

 法条は影人間たちにルールを敷く。しかし彼らの動きは止まらない。

「やはりな。私の能力は予め誰かの能力下に置かれている人間には効果が無いか」

「能力を分析している場合ですか、法条さん!」

 しぐれが法条に噛み付いたその時、三層ほど上の吹き抜けからその声は響いた。

「待ちくたびれたぞ、宿敵よ。いや、宿敵だった、か。我にとってはただの路傍ろぼう塵芥じんかいに過ぎん」

「成瀬……いや、もう成瀬ではないか。無残な姿に成り果てたな、哀れな」

「憐憫など不要。お前たちが抱くべきは、「今から命が尽きる」という絶望のみよ」

 成瀬雅崇、いやアスモデウスは不敵に笑った。

「……ここは私が時間を稼ぐ。朱鷺山くん、君は逃げろ」

「でも……」

「大丈夫だ、私を信じろ」

「……わかりました。どうかご無事で、法条さん」

 しぐれは振り向かずに走り出した。振り向いてしまえば、きっとこの戦いの結末ゆくえが解ってしまうから。見たくない結果みらいを、見てしまうから――。


       ◇


 睨み合う両者。そして、法条はフリアエに命じた。

「能力、『三相一体』による世界構築を」

 三体の悪魔がくるくると法条の頭上で回転し始める。

 そして、世界は一変した。時間も、色彩もない。すべてがモノクロな世界に、法条とアスモデウスは取り残された。

「ここでは能力は使えない。全てが止まっている隔絶空間。あるのは存在だけだ」

「成程な、つまり、一対一タイマンを仕掛けようというのか、人間風情が、この我に?」

「女だと思って甘く見るなよ。成瀬には負けたことなどない」

「傑作だな、よい。実に好みだ。我が契約者もなかなかに慧眼よな」

 法条はコートを脱ぎ、拳を前にやる。

「御託はいい。行くぞ」

「ああ、来るがいい」

 お互いを葬り去るべく、武闘は迅速に。今ここに、人間と悪魔の譲れぬ戦いが始まった。


       ◇


 僕が召喚したのは鷲獅子グリフォンだった。なるべく速く飛び、かつ人懐っこい幻想生物をイメージした結果だ。初めてにしては上出来かもしれない。

「お兄ちゃん、なんであたしの権能を……」

「他人の権能の再現コピー。それが僕の能力だから」

 僕が何故こんな能力を授かったのかは解らない。でもそれはきっと、のだろう。

「すごいわすごいわ、こんなことが出来るだなんて! あたしなんだかお兄ちゃんといると楽しいわ」

「一緒にいて楽しい。それは友達の一番の条件だよ」

「……お兄ちゃん、あたしと友達になってくれるの?」

アリスは驚いたように僕を見た。

「ああ、勿論だ。僕がアリスの友達になるよ」

僕が言い切ったそのとき、

「カッコつけちゃって。丸腰で戦うつもりですか、貴方?」

 そう言って現れたアリスの悪魔は一振りの宝剣へと姿を変えた。僕は思わず目を見開く。

「何してるの、戦うよ、お兄ちゃん」

「ああ、一緒に戦おう、アリス」

 この、小さな仲間ともだちと共に。僕は初めて自分の戦いに挑む。絶対に負けられない、戦いに。

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