Ep.21‐3 目覚めの刻Ⅲ

       ◇


「お兄ちゃん、危ない――――!」

 アリスは竜の火炎が巨人を完全に焼き尽くすのを待たずして、僕の許へ飛び進んでくる。駄目だ、今が千載一遇のチャンスなんだ。僕のことはいいから、君は自分の役目を――――。


 ああ。アリスにその意が伝わることはなかった。アリスは僕を巨人の最期の一撃から庇い、全身を鋭利な影で貫かれたまま消えゆく竜もろとも屋上へと墜落していった。彼女の小さな体は二、三度ゴム鞠のように跳ね、動かなくなった。僕は急降下して彼女の許へ赴く。

「アリス! アリス! しっかりしてくれ!」

 アリスの傍らに転がった魔導書グリモアは、無数の影の刃によって切り刻まれていた。そして、崩壊した部分からゆっくりと魔導書は崩壊していく。

「お兄、ちゃん……」

 アリスは不思議そうな目で僕を見上げた。

「私たち、勝ったんだよね?」

「ああ。アリスのおかげだよ」

「そっ……か。よかったあ」

 アリスはそっと目を閉じる。

「お兄ちゃん、ありがとね。最後にあたしのそばに居てくれて。あたしと一緒に、遊んでくれて。あたしと、友達になってくれて」

 アリスは僕の手を握って、最後に微笑んだ。

「お兄ちゃん……、泣かないで。あたしは嬉しいんだ。だって、――――」

 アリスの手から力がゆっくりと抜けていく。彼女は最後に少し残念そうに、

「もっと、遊びたかったなあ……」

 魔導書が崩れ去るのと同時に、彼女の身体は跡形もなく消え失せた。こうして、僕と初めて一緒に戦ってくれた仲間は、僕の友達、加賀美アリスは、死んでしまった――――。


 …………。


(あたしの願いは、叶ったんだから――――)


(―――の、願いは――――)


 ああ……。僕はまた、大切な仲間を喪ってしまった。



       ◇


 高質化した影と葉月の竹刀は、どちらも同等の強度だった。ぶつかる度に互いに軋み、音を立てて火花が弾ける。一際大きな影が葉月を横殴る。たたらを踏んで押し返す葉月。一度、二度、三度、四度。相対しては火花を散らす両者。互いに手負いとはいえ、今度こそどちらも実力は伯仲していた。満身創痍の葉月はしかし、これまでのどの闘いよりも速く、強く、刃を振るっていた。だから、これは彼女の一瞬の気の揺らぎ。偶然とも間の悪さも言える、一時の運。


 ガラスで切った眉間から流れ出た血が、ほんの一瞬、葉月の右目の視界を奪った。彼女の動きが鈍ったその刹那を、アスモデウスは見逃さなかった。即座に影を起動し、上階へと一気に伸ばす。彼の操る影は、自律型と操作型に分かれる。前者はあまり複雑な命令は与えられないが、アスモデウスが命じなくても勝手に攻撃を展開できる。影の巨人などは、その最たる例である。自律型の影も強力だが、戦闘の状況に即して細かな作動を可能とする操作型の影こそが、最も危険な代物だった。アスモデウスは操作型の影の表面積を限りなく減らし、一本の線にする。そしてそれを鞭のようにしならせ、葉月の上空のシャンデリアの支えを断ち切った。シャンデリアが真っすぐに、葉月を圧し潰さんと迫りくる――――。


       ◇


 片桐藍は項垂れ、御厨翼へと首を垂れていた。

「さて、次はあのコだね。早く命令しちゃおーよ」

 ルサールカはしぐれを指差し、楽しそうに笑った。

「ひっ、やっやめ、やめてください……」

 翼はしぐれを見る。彼女の怯える顔が、結花と重なる。

「いや、いい。あんまり役に立たなさそうだ」

「え~~、勿体ないなあ、こんなに可愛い子を」

「まあそうだな、確かに引き出せる情報は引き出しておくか。『お前が知っている悪魔憑きの情報、権能を全て教えろ』」

 しぐれは虚ろな瞳で話し始める。

 全てを聞き終えた後、御厨翼はそっとその場を後にした。


       ◇


 地上七十二階の摩天楼の頂の果てに、少女が浮遊している。

「はじめまして……ではありませんね。私は××××××。神が気まぐれで創造した悪魔の一体です」

 鋭い頭痛が奔る。

「君は……、そうか。思い出した。やっと何もかも思い出したよ。僕は今の今まで、一体何を……」

「まだ遅くはありませんよ。周、さん」

「ああ……そうだね」


 僕はゆっくりと手を翳し、試しに唱えてみる。

「再現。『奇怪な童話』」

 能力は発動しなかった。やはり、コピー元の能力者が死んだら使えなくなるのか。


 アリス、ごめん。僕はまだ戦うよ。君の死を、絶対無駄になんかしない。僕は必ず、あいつを、あの悪魔を倒す、それが出来るのは、僕だけなんだから。


       ◇


 葉月はシャンデリアを真正面から受け止めた。回避してはその隙を突かれるし、止まっていては押しつぶされる。彼女の判断で想定できたのはそこまでだった。権能による身体強化を施していても、彼女の肉体は悲鳴を上げている。度重なる連戦に、片腕となったという事実でさえも、彼女の頭から抜け落ちていた。

 シャンデリアの重みに屈し、葉月は膝をつく。

「それにしても奇怪な能力よな。一体どんな気質を持てば、そんな能力を発現するのだ?」

 アスモデウスは吐き捨てた。願いと能力の関係は切っても切れないものだ。法条や葉月は願いがそのまま能力になった例であり、成瀬やしぐれは願いの意味する性格・気質が能力に反映されている。

 葉月の悪魔、ベリアルは感じ取っていた、これ以上『月下美刃』を発動し続ければ、葉月の命が危うい――。

 葉月は最後に渾身の力で、シャンデリアをアスモデウスへと弱弱しく投げつけた。標的へと遠く外れたシャンデリアは粉々に砕け、ロビーの内装をさらに惨憺たるものにした。


「もう解かっているだろう、お前は我に勝てぬ」

 アスモデウスは呆れて言った。葉月はふらつきながら、竹刀を闇雲に振っている。

「なぜ、そこまでして戦う?」

 彼には理解が及ばなかった。葉月はただ、「生きたかった」という、単純な事実に。

「もういい、これで最後だ」

 そうして影を起動したその矢先に、アスモデウスは感じ取った。自分の命を狩る者が、すぐ傍へと迫ってきているのを。

「な――――」

 彼が言葉を喪うのも無理はなかった。それは彼にとっての天敵。今まで二度も逃亡を図らなければならなかったほどの、最悪の敵だったのだから。


「葉月、お待たせ。もう、大丈夫だから。再現――『月下美刃ムーンイズマイン』」

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