二十一節 「帰還」
Ep.21-1 目覚めの刻Ⅰ
「彼の許へ行かなくてもいいのかい?」
八代みかげは彼女に尋ねた。
「私が行っても、邪魔になるだけですから」
「損な性格してるねえ。じゃあなんで、さっきは彼を助けたんだい?」
「……別に。自分の契約者を守りたいと考えるのは、悪魔として当然でしょう」
「当然、ね。やっぱり君は面白いなあ。君、というか、正確に言うなら彼と君だけどね」
みかげは笑い、そして聳え立つ摩天楼から下界を俯瞰する。
「おや、どうやら役者が出そろったようだね。愈々、第三局面の始まりだ。さあて、いったい誰が死んで誰が生き残るかなあ」
日付が変わる。八月六日、畔上通信本社ビル。目覚めは、今宵、この場所で。
◇
身体が軽い。空を飛ぶというのは、こういうことなのか。僕は鷲獅子に乗り空を駆けながら、巨人の身体をアリスの悪魔が化けた剣で縦横無尽に切り裂いていた。巨人にとっては掠り傷、鬱陶しい蠅か蚊のような存在でしかないのだろうが、僕の陽動作戦は概ね成功していた。
巨人が空中の僕を鷲掴みにしようと巨大な腕を伸ばす。
「そう簡単に……捕まるもんか!」
僕の叫びと共に、鷲獅子は高く
巨人の振り下ろす拳が僕へと向いている間に、アリスが竜の背へと飛び乗った。そのまま空へと舞い上がる。よし、作戦は第一段階まで成功。あとはいかにしてアリスを巨人の裏側へと送り届けるかだ。僕はいっそう決意を強くした。必ず全員で、生きて帰るんだ。
◇
「はあ、はあ……」
朱鷺山しぐれは息を弾ませながら懸命に走っていた。最後の別れのとき、法条が見せた寂しげな顔が幾度もフラッシュバックする。ああ、ああ。私は。法条さんを見殺しに、ひとり助かろうとしている……。私は、なんて、
本社ビルから数百メートル走ったあたりで、しぐれは気付く。そういえば、不自然だった。なんで、本社ビルの外には、一体も影人間がいなかったんだろう? 中にあれだけの戦力があるなら、ビルの中にわざわざ侵入を許さずとも数の暴力で始末できたはずだ。何度かの危難を経て、しぐれの戦況分析力は格段の進歩を見せていた。落ち着いて、落ち着いて私。仮にそうだとしても、私には。しぐれは覚悟を決める。そしてラプラスの悪魔に尋ねる。「付近の能力者の居場所」を。程無くして答えはやってきた。
「やあ、お姉さん。ビルから逃げかえってきたところを見ると、お仲間さんは死んだのかな?」
せせら笑うように闇から声が響く。そして現れる異形のシルエット。双児宮、片桐藍がそこにいた。
「違う、違うよ。法条さんは、絶対死んでなんか……」
しぐれは懸命に反駁する。彼女の顔は絶望と諦観でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「様子を見れば解るよ、お姉さん。仲間を見捨てて逃げてきたんでしょ。僕たちがビルの前の影人間を焼き払っておいたおかげで、君たちはビルの中に入れたんだから。あの怖いおばさんを倒す手間が省けてよかった」
片桐は容赦なくしぐれの罪悪感を掻き立てる。
「でも安心して、お姉さん。すぐ仲間の後を追わせてあげるから」
片桐がマッチを擦ると、瞬く間に火は巨大な火炎となる。数個の火球がしぐれを焼き尽くさんと躍りかかってくる。
しぐれは能力に傾注する。ラプラスの悪魔の能力による演算で、常に逃亡の最適解を取り、同時に『時計仕掛けの少女』の「加速」によって自分の身体移動速度を跳ね上げ、脇目も振らず逃げ続ける。路地を縦横無尽に駆け、片桐から必死に逃げ続ける。
「く……、なんで、当たらない」
片桐は舌打ち、結合双生児の姿ではなく、二人に分裂した状態でしぐれを追い続ける。
「仕方ない、あんまり連発はしたくないんだけどね。権能、『
逃亡劇は数十秒で終わった。しぐれは唖然とする。ラプラスの悪魔をナビ代わりに、常に最適の逃亡ルートを取ったにも関わらず……。彼女の前の通路は袋小路だった。
片桐藍の権能、『不合理な真実』は、自分にとって不都合な「事実」を「嘘」で上書きする能力である。本来通行可能だった通路を行き止まりにしたのも、この能力によるものだった。しぐれは相手の能力を解析する余裕もなく、ただ打ちひしがれていた。ああ、自分は頑張っても、結局この程度だった……。
「残念だったね、お姉さん」
そんな彼女に追い打ちをかけるように、片桐は言った。そして両の手を前に、しぐれを焼き払わんと「マクスウェルの悪魔」を起動させる。
しぐれは絶望的な表情で灰色の壁と片桐を交互に見つめる。ああ……私は、ここで……。しぐれが全てを諦めかけたその時、片桐の後ろからその声は響いた。
「おい、そこの女。助けてやるから、少し俺に協力しろ」
◇
「やはり人間というものは解せんな。何故戦った? 結果はお前のような賢しい人間ならいくらでも予期出来たろうに」
アスモデウスは呆れるように言った。そのまま法条の胸部を強く蹴り上げる。
「……こういうのは、理屈じゃないのさ。勝ち負けじゃない。悪魔のお前には、理解の範疇にないと思うがな。ここで退けば、成瀬にも申し訳が立たん」
そう強気に返した法条はしかし、既に虫の息だった。肺は破れかけ、肋骨は既に数本折れている。気力だけで持っているようなものだ。
「ならばなぜあの娘を逃がした? 二対一ならまだ、勝機もあったかもしれんぞ」
「……あの子には、見苦しいところを見せたくなかっただけさ」
法条の意識が薄れていくのと同時に、フリアエの結界もゆるやかに消滅していった。
「最後まで矜持に縋るとはな。これだから人間というものは解らない。まあ、散り際が派手だろうが結果は変わらん。契約者よ、お前が宿敵と呼んだにしては、期待はずれな結果だったな」
アスモデウスは斃れ伏した法条の許へゆっくりと近付き、その首を圧し折ろうと自身の腕を伸ばそうとして、目を疑った。上階から落ちてきた刃が、腕をギロチンのように切断したからだ。
「借りは返したわよ」
そうして如月葉月は、怨敵と三度対峙した。
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