Ep.19-2 アリス・イン・ワンダーゲーム Day.1(後編)
◇
法条暁が病院の内部に隠れることを選んだのには、周が推測したとおりに竜の炎から逃れるためという側面もあったが、それよりも妹の結花の容態を密かに見に行くという側面が強かった。
暁は穏やかな顔で眠る結花の顔を見、ほっと胸をなで下ろした。午前中にしぐれを病院へと運んだ時はどうなることかと思っていたが、昨晩、暁が辞した後に結花は奇跡的に意識を取り戻していたと医者から聞き及び、彼女の心情は幾ばくかの安寧を得ていた。暁はこの時ばかりは神に祈りを捧げずにはいられなかった。無論、彼女はその奇蹟が一人の契約者の願いの
「結花……」
暁は寝台で眠る結花の顔に手を伸ばし、いや伸ばそうとして、なんらかの重大な危難が迫っていることを直感的に悟った。
暁の視界が湧きたつ水面のように揺れる。
「ちょっと、なによこれ?」
フリアエの一体、ティーシポネーが眉をひそめる。
(これは……何かの振動音?)
頭痛と吐気が酷くなる。暁はその場に崩れ落ちそうになる自分を抑えながら、辛くも病室の外へと脱出した。
(外で何が起こっているか……見極めなければ)
暁は屋上への階段を駆け上がり、そして目の前に広がった光景を見、自らの命運を悟った。
「あはは、出てきちゃったね、お姉ちゃん。中に入って探すのはめんどうだったから、ちょっと荒業を使わせて貰っちゃった。びっくりした? 竜って、こんなこともできるのよ」
屋上のヘリポートに置かれた竜は、まるでヘリコプターのプロペラの駆動音のように、いやそれの数百、数千倍五月蠅く、咆哮し続けていた。振動は空気に荒波を起こし、暁の意識を削り取っていく。アリスは屈託なく笑い、竜に命じる。
焦熱の息吹が、暁の全身をくまなく包み込んだ。
炎が掻き消えたとき、法条暁の姿は塵と消えていた。跡形もなく、灰の一つすら残さず。
◇
「嘘だ……」
法条が為すすべなく竜の息吹の中に飲み込まれたのを見て、僕はがっくりと膝を折った。
心のどこかでは信じていた。たとえ法条暁に対して少なからず敵対心を持っていたにせよ、法条は「頼りになる」人物だと。僕や葉月、しぐれを一歩先からリードしてくれる、頼もしい人物だと評価していた。それが、こんな……。僕は視界が色を失くしていくのをはっきりと感じ取った。
……どれくらいの間そうやって佇んでいただろうか。不意に目の前に小さな人影が現れ、悄然とする僕の肩をポン、と叩いた。
「これで二人目。駄目だよ、お兄ちゃん? ぼーっとしてないで隠れなきゃ」
アリスは笑った。その笑顔には邪気など微塵も感じられなかった。つい先ほど法条を手にかけたとは思えない。そも、目の前の少女には罪悪感という概念すらないのかもしれない。僕はやるせなくなった。
「さあて、あとはさっきのお姉ちゃんかあ。結構呆気なかったね。もっと強いかと思ってたよ?」
アリスは竜に跨りながら僕へ向けて言った。
「君は……何のために戦っているんだ」
口を突いて出たのはそんな情けない言葉だった。
「何のためって……、あは。あははははははは。あはははははははははははは! お兄ちゃん、ひょっとしてアレ? 何事にも理由を求めたがる人なの?」
アリスは心底可笑しそうに笑いながら続けた。
「戦うのに理由なんてないわあ。生きるのにもそう。私は何のために生きてるの~~?、とか、僕は何のために戦うの~~?、なんて、いい大人がそんなお馬鹿さんな考えを持たないでよね。何事にも理由を求めずにはいられない人生なんて、きっと退屈よ?」
アリスは再度飛翔し、程無くして息切れした葉月を捕縛してきた。
「ごめん……息がもたなくて潜っていられなかった……せめて、あと三分あればよかったんだけど……」
息も絶え絶えに葉月は僕に言う。
「でも、法条さんなら……」
「葉月、法条はもう」
アリスは満面の笑みを浮かべながら僕たちの会話を聞いていた。
憔悴した僕を見て葉月は、何かを悟ったようにアリスを見た。
「……殺したの?」
葉月の声音には有無を言わさぬ凄味があった。
アリスは僕に向けたのと同じ屈託のない笑顔で、
「うん、殺し」
彼女は最後まで言葉を紡ぐことは叶わなかった。葉月の容赦のない平手打ちがアリスの頬を強く打ったからだ。アリスの陶器のような白肌に青黒い
「……ひどい。どうしてあたしをぶつの? どうして、なんも、わるいことしてないのにい……」
アリスは大声で泣き始めた。
「そんなこと知らない。あたしは今からお前を殺す。それだけ、分かっていればいい――――」
姉さんが何か少しでも危ないことをするようだったらすぐ止めて下さい――――。
昼間に交わした皐月の言葉が思い起こされる。
「駄目だ、葉月! アリスを殺す理由なんてない! 僕たちは彼女を仲間にするために戦ってるんだろう!?」
「離して! こいつは法条さんを、あたしたちの仲間を殺した! だから、絶対に、生かしてなんかおけない! あたしは、こいつを――――」
その時、アリスがゆっくりと口を開いた。
「理由理由って馬鹿みたい。あのね、お兄ちゃんお姉ちゃん。もう一度言うよ。生きるのに理由なんて無いように、戦うのにも理由なんて無いの。そうね、頭の悪いお姉ちゃんにも解るように言ってあげると、戦いたいから戦うの」
「な――――」
「大人ってやっぱりお馬鹿さんねえ。理由ばかり求めてるから、なにもわからなくなっちゃうんだわ」
僕は項垂れた。どこかアンバランスな子供だとは思っていたが、ここまでとは。彼女にとっては生も死も、戦いも遊びも同義。いくら大義名分を説いたところで、彼女の心には響かないだろう。
「どうしても戦う理由が欲しいのならね、言ってあげようか? 楽しいからよ。自分より劣った大人たちを、こらしめてあげるのが、ね!」
「お前は、絶対殺すっ……」
「遅いわ!」
憤怒の形相で葉月が権能を発動するよりも先に、アリスの竜は顎を重々しく広げ、今にも僕たちを焼き尽くさんとしていた。
焦熱の焔が迸ろうとするその直前、その声は響いた。相変わらず、憎らしいほど風格のある声。
「そこまでだ、アリスちゃん。今宵のゲームは私たちの勝ちだ」
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