Ep.18-2 もう一つの希望

       ◇


「残念だが、お断りさせてもらうよ」 

 八月三日、正午。連城恭助れんじょうきょうすけは有無も言わさずそう言い切った。

「何故だ、連城さん。あなたは戦いを望まないはずだ。あの悪魔にこれ以上好き勝手にさせるわけにはいかないだろう?」

 食い下がる法条の表情はしかし、諦観の色が見て取れた。一度した発言はそう簡単には撤回しない連城の気質を知っていたためでもあるが、何より意外だったのは連城から「神になる」という意思が感じ取れなかったことだった。

「君らしくもない、暁くん。脅威は白羊宮だけとは限らない。今は様子を見るべきだよ」

「何故だ、何故なんだ連城さん。私がこの戦いに参加するとき、他の参加者として真っ先に浮かんだのがあなただった。あなたほど狂おしいほどの願望を持っている人間は他に思い当たらなかったからな。なぜそのあなたが、戦いを放棄して高みの見物を決め込んでいるんだ!? 一体、どんな心境の変化があったっていうんだ?」

「まあ、僕にも色々とあったのさ、一時期は思ってたよ? 神になって僕が解決したい摩訶不思議な事件が次々と発生する世界を創ろうとか、いっそ僕自身が犯人になって数多の探偵たちに挑戦状を叩きつけてやろうかとか、色々ね。だがもう気付いたんだ。僕が本当に欲しかったのはただ一つ、愛する人からの愛情だけだとね」

「連城さん……」

 法条は項垂れ、そして連城をここまで堕落させた存在に思い当たった。連城の背後で愉快そうに二人の会話を聞いている、魅惑の女悪魔に。

「あなただな、連城さんをここまで変えたのは」

 法条は連城の悪魔を睨み付けながら吐き捨てた。

「それは聞き捨てならぬな。わらわが為したのは契約者に真なる願望を自覚させたこと、この一点のみよ。お主から見て如何に契約者が堕落して見えようと、本人が満足しておるならよいではないか、三流悪魔の契約者よ?」

「協力が得られないのなら仕方ない。連城さん、これだけは言っておく。現実逃避もほどほどにすることだ。やがて現実はあなたに追い縋ってくる。その時に後悔しても遅いぞ」

 法条は唇を強く噛み、連城の事務所を後にした。


「しかし暁くんも変わったものだ。彼女が新米のころからお互いに情報をやり取りしているがね、あそこまで真剣に僕に頼みごとをしたのはこれが初めてだよ。ひょっとしたら、彼女は神になりたいのかなあ?」

 連城は事務所の安楽椅子に深く腰掛け、独り言ちた。連城の悪魔は口許に艶美な笑みを浮かべながら、

「他の契約者のことなど案ずることではない。よろこべよ契約者。熾天使セラフィムであるところの妾と契約した時点で、お主の勝ちは必定ひつじょうじゃ。いや、負けることなど妾が許さぬ。お主は必ずや、有象無象を押しのけ神へと至るであろう」

「神ねぇ……どうも僕はその響きが胡散臭くて我慢ならないのだよ、リリト。君たち悪魔にしてもそうだ。?」

「ほう……それはどういう意味じゃ?」

「言葉通りの意味だよ。僕にはどうもね、このゲームには僕たちの想像を超えた何者かの作為が感じられてならないのだ。何というかな、このゲームはあまりに完璧すぎる。均整が取れ過ぎている。正体の分からない違和感というか、それが僕にはとても恐ろしく思えてね。だから今は傍観に徹しているのさ。まあ、これ以上僕の能力を使いたくないというのもあるけどね。殺されるのはもう勘弁だよ」

「なるほど、お主もなかなか深慮よな。安心しろ、お主は必ずその局面まで生き残る。その時改めて知ればよかろう。お主が感じた違和感の正体を。……この世界の、真実を」

 リリトは目を伏せ、連城は空を仰いだ。

 法条暁と同じく、連城恭助の心もまた、強く揺れ動いていたのだった。


       ◇


 法条が戻り、しぐれを病院へと送り出し、僕たちが如月邸に戻る運びになったのは三時過ぎだった。法条は目当ての人物から協力が得られなかったことを詫びた。

「すまないが双魚宮との折衝せっしょうは私たちだけで行うことになりそうだ。元医者のあの人がいればスムーズに進んだものを……すまない」

「法条さんのせいじゃないです。きっとその人にも事情があるんでしょう。あたしたちだけでも、なんとかなりますよ」

「ああ。後は昏睡状態の朱鷺山くんだが、医師によると二、三日休めば問題ないそうだ」

「本当に良かった。では改めて……」

「ああ。今夜、美桜私立病院に来てくれ。双魚宮はそこにいる」

 段々と光明が見えてきたものの、僕の心には未だに不安感が募っていた。僕たちは果たして、双魚宮を仲間に出来るのか。強力な能力を持つ白羊宮の悪魔を打倒することが出来るのか。そして何より……僕は何者なのか。その答えはすぐ、目の前に迫ってきている気がした。


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