Ep.16-2 深窓の姫君

       ◇

           

 法条暁は病院前の公園のベンチに腰掛け、ひとり打ちひしがれていた。彼女が吹かす紫煙は風に乗って、暗い闇夜を白く揺らめかせている。

 ふと気付くと、彼女の隣にはいつの間にか年端もいかぬ少女がちょこんと腰掛けていた。

「お姉ちゃん、また会ったね。一人で何してるの?」

 暁は顔を上げず、

「ああ……少しばかり、疲れてしまってね。ここで休憩しているんだ」

 少女はにっこり微笑んで、

「あたしも同じね。びょういんの中はね、冷たいの、怖いの。いつもいつも悲しいの。だからちょっと、抜け出してきちゃった」

「そうか……それもいいな」

 暁は少女を咎めることもなく、ただそう呟いた。

「お姉ちゃんの家族は、どんなひと?」

 少女は邪気のない瞳で暁にそう問いかける。

「私には……そうだな、少なくとも妹にとっては、私は家族ではなかったのかもしれないな」

 最早返答にすらならない受け答えにも少女は嫌な顔一つせず、

「そうなんだ。あたしのパパとママはね、あたしが絶対に治らない病気だって分かった途端に、あたしをこのびょういんに捨てちゃったの。だからあたしは、もうずっとひとりでここにいる」

 少女は滔々とうとうと語り続ける。暗い話でも、まるで母親が寝床で子供に語り聞かせる御伽噺のような、優しい語りで。

「絵本のなかだけが、あたしの世界のすべてだった。絵本のなかには、なんでもあるの。お空を飛ぶことも、どこまでも続く野原を駆け巡ることも、王子様とけっこんすることだって、なんだって叶えられるんだ。だからあたしは、つらくなかった。少しさびしくは、あったけどね」

 彼女の語る身の上話を聞いているうちに、少女を捨てた両親に結花を顧みなかった自己を重ね、忸怩じくじたる思いに駆られる。なぜ私は気付けなかったんだろう――――子供はいつだって、家族からの承認に飢えているということに。

「でもね、あたしはパパとママをうらんでないよ。だって、仕方のない事なんだもの。あたしの病気は、かみさまにお願いしたって、あくまと契約したって、治せないんだから。かなえられたのはこうやって、夜の間だけ動ける自由だけ」

「そうか……君は……」

 暁はそっと顔を上げる。

「最初は遊んでもらおうとして声をかけたんだけどね、やっぱり今はいいや。今のお姉ちゃん、すごい悲しそうだし。また今度、遊んでね。あたし、アリス。加賀美かがみアリス」

 双魚宮ピスケス――加賀美アリスは少し残念そうに微笑んで、病院の方へと小さな歩を向けた。その後ろ姿に、暁は優しい声で話しかける。

「お姉さんにひとつだけ聞かせてくれないかな、アリスちゃん」

「なあに?」

「君の本当のお願い事は、叶えたい夢はどんなものなんだい? きっと『病気を治したい』ではないんだろう?」 

 アリスは長い間もじもじしていたが、ようやく口を開いて、

「ともだちが、ほしい。あたし、学校にもほとんどいけなかったから、ずっと憧れてたの。あるでしょ? いちねんせいになったーら、ってお歌。あたしにも、ともだちが欲しいよ……」

「……そうか。叶うといいね、その願い」

 暁には言葉が紡げなかった。この少女にとっては、恐らくゲームで戦うことですら遊びなのだ。命がけの殺し合いですら、友達を作るための手段なのだ。なんて純粋で、そしてなんて残酷な。暁はアリスの心情を想い、なおのこと結花に対する自己の行いに慚愧ざんきに堪えぬ気分だった。


       ◇           


 昏い病室。少年が願いを呟いた瞬間、彼の傍らに少女の悪魔が現れる。

「う〜〜ん、でも叶う確率は低いと思うよ? は低いんでしょ? それに君のカノジョ、死のうとしてたんでしょ? きっともう生きてたいなんて思ってないから難しいよ。ルカちゃん的にはあ、止めといたほうがいいと思うけどなあ」

 ルサールカの言う通り、結花の覚醒はゲームの参加賞の願い事を使ったとしても、かなり望みは薄かった。言うなれば、翼が今しようとしていることは「他人に干渉する」願いである。他人に対する願いを叶えることは一応可能ではあるが、成功率はあまりに低い。彼は悲壮な決意で、自身の悪魔に願いを託した。

「……黙ってやれ」

「ほいほい」

 翼の願いは悪魔へと汲み上げられ、芽生える時を待つ。一分、二分と時が経つものの、結花は一向に目覚める素振りを見せなかった。ルサールカは両手を前に出し、懸命に契約者の願いを実現しようと念じている。しかし、結花は土気色の顔のまま瞑目するばかりで、一向に覚醒のきざはしを見せなかった。

「くそ、ダメなのか」

 翼は強く歯噛みし、そして新たな可能性に思い至る。彼に与えられた権能、その僅かな希望に。

 人馬宮サジタリアス、御厨翼の権能は、「対象に何か一つだけ『命令』をすることができる」という極めてシンプルな能力だった。ただし条件があり、「相手がしそうなこと」、「相手が少しでもする可能性があること」しか実現できない。例えば、アメリカに渡航しようとしている人間に『今すぐロンドンの時計塔へ行け』と命令しても無駄であり、人を殺しそうもない人間に『誰々を殺せ』と命令しても無効である。勿論、物理的、現実的に不可能な『命令』も無効となる。対象がはっきりと認識していること、実現できそうなことしか「命令」出来ないという点で、彼の能力はゲームの参加賞品である願いの行使の条件と類似の関係にあると言えた。

 御厨翼は手を結花の顔へ翳し、祈りを込めて唱える。

権能イノセンス――――『高貴粛清ノブレス・オブリージュ』! 『法条結花よ、目を醒ませ!』」

「ええっ、何やってんの? 意識がない人間に『命令』しても無駄でしょーが!」

 ルサールカがわめく。

「黙れ! 意識がない場合でも、耳だけは聴こえてた植物状態患者の例もあるんだ、やってみなきゃわかんないだろうが!」

 そして今、彼はひとつの可能性に賭けた。すなわち、半植物状態の結花に彼の声が届いており、かつ彼女が『』と思っている可能性に。

 頼む、目を醒ましてくれ――――。お前が生きていてくれるなら、他の全てはどうなってもいい――――。頼む――――。

 自らの権能と願いの行使、ふたつの併用。人馬宮サジタリアス、御厨翼の覚悟と決断は、今ここに、神でも届かぬやもしれぬ「奇蹟」を呼び起こした。

 結花の瞳が、ゆっくりと開かれる。


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