Ep.17‐2 その決意は早暁に
◆
それが、法条結花が目覚める直前、閉じていた意識が開いていく最中に感じたことだった。
麻里亜ちゃんは、わたしと違って穢れてない。優しくて、純朴で、人を疑うことを知らない。だからあの子が楽しそうにデートの話をし始めた時は、どうしても耐えられなかった。どうしても苛立ちを抑えきれなかった。
昔の自分を、重ねてしまって。まだ何も知らなかった頃の自分を、彼女のなかに見てしまって。
麻里亜ちゃんには「こちら側」に来てほしくなかった。人間の汚さ、弱さ、醜さを知ってほしくなかった。彼女にはずっと綺麗なままでいて欲しかった。でも、ひょっとしたら麻里亜ちゃんはわたしのように失敗しないかもしれない。上手く男の人と付き合って、幸せな生活を送るかもしれない。そう考えてしまったら、あの子がめずらしく見せた無邪気さが憎らしくて仕方なかった。
わたしが薄汚い男たちの醜い性欲の捌け口にされている間に、麻里亜ちゃんは楽しくデートをしていると思ったら、嫉妬と羨望で気が狂いそうだった。次第に醜くなっていくわたしが、このまま堕ちていくわたしが、どうしようもなく嫌だった。
だから、はね除けた。否定した。彼女の言葉を。彼女の純粋な
「〜〜。〜〜〜〜!」
遠く声が聴こえた。少し棘があって、でも繊細な声音。ずっとわたしの側に、いてくれると言った人。そうだ、まだ彼に謝ってない。わたしが犯した過ちを。わたしはまだ、――――。
「頼む、生きてくれ」
今度ははっきりと、そう聴こえた。ああ……そうだ。わたしには一番側に、頼れる相手がいたんだった。でも一番近くにいたからこそ、頼れなかった。失望されるのが、見放されるのが、悲しませるのが、怖くて。彼の中にあるわたしを壊してしまいそうで、やるせなくて。
結花の意識は次第に形を伴っていく。世界が、光を帯始める。
声が聞こえる。自分の名前を呼ぶ声が。
「結花! 良かった、目が覚めたか」
御厨翼の笑顔が、結花の虚ろな瞳に映る。
「あ……、う……、ここは……、どこ?」
結花は暫しの間、記憶を手繰り寄せていた。 そして数瞬の後、彼女の心に苦悶と後悔の荒波が押し寄せる。そうだ、わたしは、すべてに絶望して、すべてを諦めて、◯のうとしていたんだった。
翼は彼女に語りかける。
「大丈夫か? 頭は痛くないか? 体はしっかりと動くか? 俺が、誰か解るか?」
「うん……大丈夫。わかるよ、ちゃんと覚えてるよ。ミクリヤ、ツバサくん。わたしの……彼氏だよ」
「ああ、そうだ。お前は俺の彼女だ」
翼は安堵で全身から力が抜ける。
「一体……どうしてあんな馬鹿なことをしたんだ?」
翼は問い
結花は軽く呻き、彼の顔を見、そして顔をくしゃくしゃに歪ませて号泣し始める。
「あ、ああ……、許して……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、う、うう、うううう……」
「落ち着いて話せ。大丈夫だ、俺以外誰も聞いてない」
「やだ、いやだよ、絶対信じてくれないもん。こんなことを聞いたら、翼くんわたしを見捨てちゃうもん!」
翼は少し押し黙ってから、ゆっくりと語り聞かせるように、彼女を落ち着かせた。
「……約束する。どんな事情があっても、どんなことを言っても、俺は怒らない。お前を責めたりしない。だから言ってみろ。信じるも信じないも、話を聞かないことにはわからない。だからまず、俺を信じろ」
結花は目に涙をためて、そしてぽつぽつとこれまであったことを語り始めた。
翼はずっと聞き続けた。相槌を打ちつつ、彼女がなるべく話しやすいように気を払いつつ、彼女の話を最後まで聞き続けた。
途中何度も激しそうになった。彼女をこんな目に合わせた人間たちのことを思うと、気が狂いそうだった。それでも、彼は彼女が自責の念に駈られることがないように、平静を保った。
「そうか……辛かったな」
話を聞き終えた翼は、そっと結花の頭を撫でた。
「なんで……怒らないの? だってわたし、翼くんにもそんなこと……」
「言わなくていい。そうか、こんな苦しみをずっとひとりで溜め込んで、お前は本当に馬鹿だな……もっと早く打ち明けてくれればよかったのに」
「だってわたし、ずっと独りだったんだもん……お姉ちゃんは仕事でいないし、翼くんは受験で忙しそうだった。だからわたし、皆に迷惑をかけたくなくて……」
「迷惑なんて、いくらでもかけていい。寧ろかけて欲しい。そのための恋人だろ」
「翼くん……本当に、ごめんなさい」
結花はそう言って、泣き腫らした顔を手で拭った。
「お前はもう休め。頼むからもう二度とあんな馬鹿な真似はするなよ。明日も来る」
踵を返しかけて、翼はふと明るい話題を思い付いた。
「そういえばお前の誕生日はもうすぐだったな。楽しみにしてろ、予想もできないようなプレゼントをくれてやる」
翼は笑って、病室を後にした。
◇
御厨翼の思考回路は、身体中が怒りと憎しみで煮えわたっているにも関わらず、かつてない程に冷めきっていた。彼は夜明けの近づく町を
「ルサールカ、いるか」
「ほいほい、いますよ」
「頼みがある。俺との契約を強化して欲しい」
「あれまあ。それはどんな吹き回しで?」
「決まっているだろう。神を目指すためだ」
そうだ。ずっと思ってきたことじゃないか。世の中には下らない人間が多すぎる。下らないだけならいい。問題はそんな連中に足を引っ張られるせいで、本来幸せになるべき人間が不幸になること。結花の笑顔を思い出す。そして、その笑顔を踏みにじった連中のことを。ああ、俺はやっぱり。
「わお。やっと調子出てきたね。それでどうする? 契約強化の方法は? ①魂、②生け贄、③あたしとH、どれ?」
ルサールカは意地悪そうに尋ねる。
翼は返す。
「全部だ」
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