Ep.15-2 失われた記憶

       ◇   


 八月二日の夜、僕は葉月はづきと共に法条暁ほうじょうあきらが営む弁護士事務所へと向かっていた。足取りは心なしかぎこちなく、僕は緊張していた。

「本当に皐月さつきを家に一人にして大丈夫だったのかな」

 不安感を抑えきれず僕は言った。まだ知り合って間もないが、皐月にはどこか昏い影が感じられたからだ。

「大丈夫。あの子も年の割にはしっかりしてるから。ご飯は作っておいたし、メモも残してきたしね」

 葉月は微笑んで言った。

「それならいいけど……。葉月、僕はその、君が作った同盟に入れるのかな……」

「うん? どういうこと?」

 首を傾げる葉月。

「僕は今でも自分の存在に確信が持てないんだ。君に拾われるまでの記憶がないせいかな。自我が不安定というか、何というか、こんな定まらない心情のまま戦いに臨んでいいものなのかなって。正直、今でも僕は解らないんだ。自分がなんで契約者に選ばれたのかが、どんな自己の願いを賭して戦えばいいのかが」

「なあんだ。そんなこと」

 そんなこととはなんだ、と僕は食って掛かろうとしたが、

「あのね、アマネくんはアマネくんなの。大丈夫、君は今のままで、そのままで十分すぎるよ。あたしを助けてくれたし、守るって言ってくれたし。きっと法条さんたちも受け入れてくれるよ」

「うん……。そうだといいんだけど」

 そして僕たちは、天秤宮、法条暁の弁護士事務所の扉を叩いた。


「ようこそ、獅子宮レオ。いや、名前を知っているのだから名前で呼ぶべきだな。葉月君、今日は急な招集ですまなかった。よく来てくれた」

 法条は葉月の後ろに申し訳なさそうに縮こまる僕を見止めると、

「君はあの時の少年か。なんだ、君も本当は契約者だったのか?」

「その辺りはあたしが説明します」

 葉月は暁に僕が急遽きゅうきょ十三番目の契約者になったことの次第を伝えた。暁は興味深そうに聞いていたが、白羊宮アリエス成瀬雅崇なるせまさたかが死んだと聞くと途端に顔色を変え、眉根まゆねを寄せていぶかしんだ。

「ふむ……。そこのあまねという名の少年は、成瀬の脱落と共に新たな契約者となったわけか」

 そこでソファーに行儀よく座っていた宝瓶宮アクアリウス、朱鷺山しぐれが口を挟む。

「でもおかしくないですか? あわ、おかしいっていうのは周くんのことじゃなくて……。そうです! なぜ神様は突然なルール変更をしたのでしょう? 私たちには十二人による生存戦バトルロイヤルだって言ってたのに」

「彼女の言う通り。問題はまさにそこだな。

 法条は続ける。

「単刀直入に言おう。私はあの神を僭称せんしょうする少女を、。突然の人数変更にも関わらず、皆にそれを共有しないのは何故だ? 奴にとってこのゲームは自分が好き勝手にルールを追加できる、文字通りのゲーム盤に過ぎないのかもな。私たちはゲームの駒、か」

 皆、暫く押し黙った。

 気まずさに耐えかねたのか、しぐれは

「わ、私は周君を仲間にするのには賛成ですよ。戦力が増えるのはいいことだと思いますし……」

と僕の存在を庇うような姿勢を見せてくれたが、法条は違った。

「私は信用できないな。周、君の正体は脇に置いておくとして、私は君が、いや君の背後にいるものが、君の後ろに介在している意思がどうしても信用できないのだよ。八代みかげは論外として、君のその一見純粋に見える意思の裏側に巣食う、君以外の意思が信用できない」

「そんな……」

 葉月が絶句する。僕はこうなる展開は予期していた。だから法条を納得させられるだけの自分の存在理由レゾンデートルが欲しかったのだ。今の僕は不安定過ぎる。せめて、僕の記憶が戻ってくれれば……。

「だが、信用できないのと信頼できないのは違う。だから悪く思うな。少し私の質問に正直に答えて欲しい」

 法条が権能を発動する。これで僕は嘘をつくことができなくなった。一筋縄ではいかないな、と僕は覚悟を決めた。

「君は八代みかげの手先か?」

『いいえ、違います』

 口が勝手に動いた。どうやってもたばかることは不可能らしい。

「君は悪魔憑きか?」

『そうですが、まだ悪魔はいません』

「君は権能イノセンスは使えるか? 使えるとしたらそれはどんな能力だ?」

「法条さん、流石にそれは……」

 しぐれが決まり悪そうに漏らした。

「悪く思うな。同盟を結ぶ上で能力の情報は貴重だからな」

『まだ使えません』

「すると君は八代みかげによってゲームに半ば強引に参加させられた一般人という認識で良いのか?」

『はい、それで合ってます』

 僕は緊張していた。どことなく僕の中にもう一人の自分が生まれてきているかのような、自分が自分でなくなってしまうような感触があった。

「周、君は何のために戦う?」

『葉月を守るためです』

 これだけは確信をもって言えた。しぐれが恥ずかしそうに俯き、法条は面食らったような顔をし、葉月は顔を輝かせた。

 法条は居直って、さらに質問を続ける。

「君は何か私たち……そこの葉月君にもだ、隠していることがあるんじゃないか? それを包み隠さず話してほしい。?」

 葉月が不安そうな面持ちで僕を見つめてくる……。僕は……。

『僕は……

 自分でも驚きだった。僕は何故そんなことを口走ったのだろう? 法条の能力によって無理やり内心をこじ開けられたからか、鋭い痛みが僕の胸に走る。もう、これ以上は……。

「法条さん、もうやめてあげて。アマネくん、苦しそう」

「ああ、分かった。次で最後だ。周、?」

 頭痛が限界に達する。僕は……。

 まるで人間に憧れた怪物が言い残した末期の言葉のように、そんなことを呟いて、僕の意識は仄暗い暗黒へと吸い込まれていった。

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