Ep.14‐2 真夜中の惨劇


「予備ってどういうこと」

 葉月が怪訝けげんそうに尋ねる。

「なに、今回の戦いは少々イレギュラーが過ぎてね。ゲームの開始前からなんてなかなか無いんだけど」

みかげは髪を手できながら困ったように言った。

「三人って……?」

 葉月の疑問を無視してみかげは続ける。

「このままだとゲームが正常に進行しない恐れもある。言うなれば人数が少なすぎて因果がうまく絡み合わないんだね。だからこそ、ゲームへの資格を持った人間を万が一の予備として見繕みつくろったんだ。あまね君、君がそれだよ」

「僕が……?」

「ああ、そうだ。君、記憶はまだ戻らないかい?」  

「う……」

 頭痛と耳鳴りが酷い。僕は……。

「まあ無理もないよね。急にゲームへの参加者に仕立て上げられたんだ。普通では視えないものが視えるせいで、予備としても悪魔憑きプレイヤーの精神には負担が大きい。まだ暫く安静にしているといい。ここ三日以内にもう一人退場でもしない限り、君の出番は……」

 葉月が口を挟もうとしたとき、みかげが大きく目を見開いた。

「参った。参ったなあ……。口にした矢先にこれだよ。周くん、ボクにでも予想できない運命サマとやらはどうしても君を戦いに参加させたいらしい」

 みかげが何を言いたいかを一瞬にして悟った葉月は、

「誰が、一体誰が脱落したの」

と取り乱す。同盟を結んだ二人のうちどちらかが、と思ったら居てもたっても居られなかったのだろう。僕はそうでないことを願った。

「ふふ……それはね……」

 みかげはゆっくりと、三番目の脱落者の名を告げた。

           

       ◇            

           

 成瀬雅崇は憤慨ふんがいしていた。自分自身に。獅子宮や法条を打倒できる状況にありながら、そうしなかった自身の悪魔に。

 法条に対する積年のコンプレックスを晴らすどころか、逆に増大させるだけの結果となった今宵の戦いをかえりみ、彼は低く呻いた。

「そう落ち込むでない、我が契約者よ。お前はついているぞ、何せ第二位、智天使ケルビムたるこの我に選ばれたのだからな」

「っつ……! 悪魔風情に何が解るッ! くそっ……あの女さえいなければ」

 見苦しく悪態をつく成瀬など悪魔はどこ吹く風で、

「あの筋肉女か。安心しろ、万全の体制で望めばあのような手合いなど一ひねりだ」

「そう言って結局引いたのはどこの誰だ! 答えろ、アスモデウス! お前は私を神にしてくれるのではなかったのか?」

「ああ。神にしてやるとも。

「なに……!?」

 成瀬は酷い悪寒を覚えた。まるで自分が奈落へと続く大穴の前に命綱なしで吊るされているかのような、圧倒的な不安感を。摩天楼まてんろうの外壁に、風が轟々と叩きつけられる。

「時にマサタカよ、よくよく顔を見てみれば、なかなかどうしてお前は見目良いではないか。我との契約により地位と権力も恣

にしたことだし、さぞ女には不自由しないことであろうな?」


「どういう……意味だ」

 成瀬は困惑した。この悪魔は、一体何を言い出すのだ?

 確かに成瀬は仕事や学業にあっては法条と比べ圧倒的に無能ではあったが、アスモデウスの言う通り女に不自由することはなかった。女たちは彼の肥大した自尊心の陰に隠れた矮小わいしょうな自己に同情し、愛してくれもした。しかし成瀬の自尊心はその憐憫れんびんとも言える愛情に拒絶反応を起こし、なお一層その幅を広げていったのであった。いくら女と寝たところで、彼のは満たされず、ただただ虚しさだけが加速していった。満たされる筈もない。彼の欲とは性欲ではなく、顕示欲という名の自尊心プライドであったのだから。

「お前は色の何たるかをまるで弁えていない。色欲を司るこのアスモデウスが貴様の身体を使ってとしよう」

「お前、一体何をするつもりだ、まさか……」

 成瀬の言葉は途切れた。そして彼の全身を襲う耐え難い激痛。

「ああ。今宵の戦いを見て解った。お前は戦闘には足手まといなだけの、救いようのない無能だとな。我は高位故に実体を持てぬ。いつまでも子供の身体に憑依していては何かと不都合だ。だから。何故我がお前のような顔だけの無能と契約したか解るか? 。喜べ契約者。我々の契約は今ここに真の形を示す」

 悪魔の声は成瀬の身体の隅々まで浸透し、彼の神経をむしばむ。

「ぎっ……ぎゃあああああああああああああああ、あっ、がっ」

 成瀬の必死の叫びもむなしく、悪魔は彼の身体を侵食していく。

 自分の中に他者が入ってくるおぞましい感覚。成瀬雅崇という一個人の器が、悪魔の黒い魂により侵食される汚辱。

「安心しろ。契約の源としての最小限の自我は残しておいてやる。成瀬雅崇よ、かりそめの地位と権力の他には何一つ手に入れられなかった男よ、生と死の狭間を永遠に彷徨さまよいながら、この我の苗床となるがよい」

 全身を焼き尽くす壮絶な苦痛の中、成瀬はのたうち回った。

自身の精神が途切れる直前、成瀬が感じたのは絶望でも悲痛でもなく、心を焼き尽くすほどの悔恨だった。こんな悪魔と契約しなければ――――。こんな戦いに参加しなければ――――。彼は気付く。自分には分相応の幸せがあったことを。決して踏み越えてはいけない一線を超えた時点で、彼の人生は消し飛んでしまうほど儚いものであったことを。

 成瀬の精神の残滓ざんしが夢見たのは学生時代の法条との一場面だった。自分が持ち掛けた起業計画を、下らないと切って捨てた法条。お前はもっと活躍できる場で活躍するべきだ。法条暁はそう言って成瀬の自尊心を踏みにじった。そう思っていた。だが法条は忠告していただけだった。彼のことを考えて、彼のために忠言していただけだった。

「い、いやだ……死にたくない……。たすけ……、たすけてくれ……誰か……。法、じょ……」

 そう微かに言い残して、成瀬雅崇の精神は跡形もなく掻き消えた。白羊宮アリエスは自ら契約した悪魔に身体を乗っ取られるというあまりにも凄惨せいさんな形で、自身の戦いを終えたのだった。

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