十四節 「追憶」

Ep.14-1 彼女の過去

       

 如月葉月の父親は、最悪な人間だった。妻が必死に貯蓄した雀の涙ほどの金は、酒、薬、ギャンブル、すべて彼の遊興費に費えた。他言できぬような家庭内暴力の数々に晒され、如月家は疲弊しきっていた。

 葉月は中学の頃にはもう、自分の父親に見切りを付けていた。

(こんな人間は、死んだ方がいい)

 何度もそう思っては肉親の情で誤魔化してきた。葉月が高校生の頃、母親が病死した。父は母の死を深く悲しんでいるように葉月には見えた。それを機に父親の酒狂いと暴力は日に日に酷くなっていった。葉月はこんな父親でも慟哭どうこくに打ち震えることがあるのかと、少し彼に同情を示した。葉月が出来ることは暴力に怯える皐月を少しでも庇うことだけだった。それが彼女に出来る細やかな叛逆はんぎゃくだった。彼女の世界は決して安穏なものではなかったが、一定の安定を以て継続していた。しかし、崩壊は訪れた。死んだ母親の香典が皐月の教育費ではなく父親の酒代に消えたと知ったとき、彼女の怒りの閾値いきちは限界へと達し、父親への失望は確固たる殺意へと塗り替えられた。


 ある夜皐月が学校から帰ると、血塗れの父親が倒れ臥していた。傍らには木刀を携えた自身の姉の姿。父の頭は柘榴ざくろのようにぱっくりと割れ、赤黒い血肉をしたたらせていた。何が起きたかは明々白々だった。大方連夜の暴力に耐えかねて殴り殺してしまったのだろう。最近では、父親は葉月を性的に虐待するようにもなっていたからだ。皐月は葉月が必死に弁明しようとするだろうと思った。姉の愚挙ぐきょを咎めるのではなく、慰めようと思った。だが、他ならぬ姉の口から出たコトバは皐月の常識を逸していた。


「これで邪魔者がいなくなったね」

 葉月は満面の笑みで皐月を見つめ返す。

「今日からはまた平和な日常が送れるよ」

 皐月は理解できない。理解したくない。肉親を殺めておきながら、こんな朗らかな声で話す姉の真意が。

「ね、さっちゃん。コレを埋めるの手伝ってくれない? 裏山にでも埋めよう。きっと野犬が処理してくれるよ」

 葉月は父親の死体を足蹴にしながら可笑しそうに言う。皐月は震えた。今は肉塊となった父親よりも、目の前の姉の方が何倍も恐ろしい怪物のように思えた。

「姉さんは……怖くないの」

「何が? コイツは死んだのよ? 私たちに怖いものなんてもう何もないじゃない。これから私たちの新しい生活が始まるのよ」

 葉月は心底楽しそうに話した。皐月はただ、がたがたと震えていた。自分の姉が人殺しになってしまったことにではない。何よりも、他の何よりも


 裏山の渓流にて発見された父親の死体は、ただの事故として処理された。損壊が激しく、頭部を激しく挫傷ざしょうしていたため身元の確定が滞ったのも幸いしたが、犯行を隠したのは数日間家を空けていても何も不審な点はない父親の普段の素行の悪さのおかげだった。酒に酔って谷底へと足を滑らした滑落事故として処理され、葉月たちには市井の疑いの目は向かなかった。まさか当時女子高生だった少女が、木刀で父親の頭を相好がつかなくなる位破壊したとは、誰もが夢にも思わなかった。

 葉月は高校を中退し、皐月のために働き始めた。決して余裕のある暮らしとは言えなかったが、そんな厳しい家庭環境の中でも、いつも葉月は皐月に慈愛に満ちた眼差しを向けていた。


 皐月は恐ろしい。

 自身の姉が。姉の愛情を向けられている自分が。

 皐月は解らない。

 姉の思想・心情が。姉に対する自分自身の感情が。

 皐月は耐えられない。

 姉と一緒に暮らすことが。犯罪に加担した罪悪感が。


 如月皐月は今日も、姉が帰ってくるのを待たず床へ就いた。


       ◇              


「悪魔と契約した十二人の人間が殺し合い神を目指すゲーム?」

 僕は思わず復唱した。葉月は僕を揶揄からかっているのだろうか?

 如月家の小さなリビングで、僕は葉月と向かい合って座っている。葉月は物思いに沈んだようにどこか遠くを視て、

「あたしもね……最初は冗談だと思ってたよ。でも実際に願いを叶えてもらって、戦いに身を投じて解ったんだ。ことの真偽なんて事実の前では関係ない。あたしは確かに悪魔と契約したんだって……。ねえアマネくん、あたしの隣に何か見える?」

 葉月の隣に突如現れたのは、角と尻尾を生やした青年悪魔。彼を瞳に捉えた瞬間、鋭い頭痛が奔る。

「悪魔……本当にいたのか」

 蟀谷こめかみを押さえながら僕はぼそりと呟いた。

「やっぱり……視えてたんだね」

 葉月は納得がいったように頷く。

「アマネくん、拾った時から何か訳ありなのは解ってたけどさ、やっぱりどこか不思議な人だよね。悪魔を前にしてそんな淡泊なリアクションなんて。あたしは腰が抜けるほど驚いたのに」

「失礼な奴だな」

 ベリアルは不満げに溜息をつく。

「百聞は一見に如かず。アマネくん、これで信じてくれた?」

「ああ……うん。だけど僕にはなんで悪魔が視えるんだろう?」

「う~~ん。何でなんだろうね?」

「それはこのボクが説明しよう」

 葉月が首を傾げた途端、部屋に現れたのは長い白髪を腰まで伸ばした少女。

「……ああなんだ、神様か」

「何だとはなんだ。そうボクこそは八代やつしろみかげ。なんでも知ってる神様さ。君の疑問にも答えよう」

 僕は彼女の顔をじっと見つめていた。彼女の顔をつい最近どこかで観た気がしたからだ。

「さてそこの……周くんと言ったかな? 人が悪魔を視認できる条件は三つある。一つ、元から悪魔を視る素養がある場合。こういった人間は希少だけどね。二つ、誰かに悪魔の存在を仄めかされ、それを受け入れた場合。今の君はこれに該当する。そして最後のひとつは……」

「契約者の素質がある場合、か」

 僕は葉月の話を反芻はんすうして解を導き出す。

「ご名答。悪魔憑きプレイヤーの資格を持つ者には悪魔が視える。さて周くん、果たして君は悪魔憑きなのだろうか?」

 神様は勿体付けながら言った。

「ちょっと待ってよ、なんでアマネくんがそうなるのよ」

 葉月は焦りながら身を乗り出す。ああ……僕は……。

「答えは今のところノン。君はまだ人間だよ。ただの悪魔が視える、ね。第一君には悪魔が憑いていないだろう? 君はね、

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