Ep.13‐2 戦いのあと(後編)

       ◇


「アマネくん、さっきはありがと」

 夜道を二人帰りながら、葉月は周に礼を言った。

「いや、君に怪我がなくてよかった。……葉月、さっきのは」

「うん、ごめんね。帰ったらちゃんと全部話すから」

 葉月はそう言って視線を下げる。無理もない。周にはあずかり知らぬこととはいえ、彼女は今宵何度も死線を掻い潜ってきたのだから。能力者同士の戦いでは物理的に圧倒的に優位に立つ葉月だが、精神面までは権能による強化の及ぶ範疇はんちゅうではない。彼女の顔にはぬぐえぬ疲労が滲んでいた。

(誤算だったな……)

 完全に想定外だった。能力の源である魔導書グリモアを封じ、悪魔との干渉を断ち切れば戦いを終わらせることが出来ると思った。しかしその認識は甘かった。


 ひとつ。そもそも場に集まった人間が少なすぎた。葉月は出来れば十人全員、少なくとも七、八人は動向を探りに来ると思っていた。しかし来たのは自分も含め五人。過半数にも満たない。そういえば魔羯宮カプリコーンのおじさんの姿も見えなかった。彼はどこで何をしているのだろう?

 ふたつ。「悪魔は人間を攻撃できない」という概念を根底から覆す謎の悪魔の存在。契約者が無能だからこそいいものの、目下一番の脅威である。

 しかし収穫がなかったわけではない。葉月はそのことに思いを馳せ、破顔はがんした。


       ◇


獅子宮レオ、まずは謝罪を。力になれなくてすまなかった」

「そんなことないです。天秤宮さん。あなたの権能ちからのおかげでこの場を乗り切れた。それで……良かったら何ですけど」

 葉月は口ごもる。

「ああ、分かっている。同盟締結のことだろう? 私は喜んで受けるよ」

「わわわ、私もです! 是非参加させてください!」

 先ほどまで縮こまっていたしぐれも、悪魔が去ったとみるや元気を取り戻していた。

「二人とも、ありがとう……」

 葉月は感涙を抑えられなかった。少なくとも今宵の彼女の奮闘は、決して無駄ではなかったのだ。

「ただし、魔導書の一括管理については反対だ。我々も常に一か所に固まっておくわけもないし、分断されることもあるだろう」

「はい、その件は大丈夫です。あれ、正直あれただの脅しだったし。休戦の了解が得られるならわざわざ実行するわけないですよ」

 葉月は舌を出して言う。

「見かけによらず食えない奴だな、君は。良かった、安心して背中を任せられる」

「私たち……仲間ですよね」

 しぐれも言った。そして今、獅子宮レオ宝瓶宮アクアリウス天秤宮ライブラの三名からなる同盟が締結された。

「ありがとう、皆よろしくね。私は如月葉月。これから一緒に頑張ろう」

 そして葉月はこの夜初めて、心の底からの笑顔を見せたのだった。


「さて、そこの少年だが……。獅子宮、いや葉月君の知り合いか?」

 天秤宮がおずおずと切り出した。

「あ、僕はその、なんていうか。居候といいますか。ただの通りすがりの一般人ですよ」

「そんな筈はないだろう? 一体何者だ?」

「法条さん……」

 しぐれが気まずそうに呟く。

「解っている。だがあんな厄介な悪魔が現れた後だ。君も契約者なのか?」

「契約? 悪魔? 深夜の公園で何をやってるかと思えば、黒ミサか魔女集会ですか? 僕には何が何やらさっぱりですよ」

「ふむ……「嘘をついてはいけない」はまだ有効だからな。真実だ。彼は何も知らない。私たちは深夜の公園で出くわしただけのただの知り合いだな」

「アマネくんは私たちの家族だよ」

 葉月が言った。

「今日のところはもう帰ろう。おっと……連絡先は交換しておかないとな。後日連絡する。私の弁護士事務所なら人払いも簡単だ。とりあえずは三人で集まって作戦会議といこう」

 そう葉月としぐれに告げ、法条暁は去っていった。

「あの……私もこれで」

 しぐれは何か言いたげにしていたが、周が葉月に肩を貸しているの見、そっとその場を去った。

「本当にありがとうね、宝瓶宮さん。名前はなんていうの」

「私、朱鷺山ときやましぐれです」

「いい名前だね。今日はありがとう、また会おうね」

 しぐれにとって名前を誉められるのは初めての経験だった。いつもならただのお世辞かおべんちゃらと思う彼女も、今日ばかりは自分の名前と、手にした権能が誇らしかった。彼女はいくばくかの精神の安寧を得て、誰もいない家へと向かった。


       ◇             


「本当によかったのかい連城? 獅子宮たちの動向を探りに行かなくて」

 神と名乗る少女――――八代みかげは不満げに呟いた。

「ああ。。わざわざ戦いに赴く意味もない」

「ふうん。つまんないの」

「そう言わないでくれよ。なにせとは数十年ぶりの再会なんだ。感謝するよ、みかげ。彼女との再会をいくら待ち望んだことか。彼女の抱擁ほうようをいくら恋い焦がれたことか。今なら僕は、かのホームズ氏の独身主義にも歯向かえる気がするよ。薬に頼るなど間抜けのすることだ」

「それにしても意外だったよ。まさか君の願いが『愛する人を生き返らせたい』だなんてありふれたものだったなんて。もっと『魅力的な事件を起こしてくれ』とかにすればよかったのに。もう戦わないのかい、君は」

「時期を見てね。当分はまだ、彼女とこうしていたい」

「そう……じゃあボクは他の契約者を見て回ってくるよ」

 みかげの姿は一瞬にして掻き消えた。

 連城はマンションのドアを仰々しく開けた。

「おかえりなさい、恭助さん」

「ああ、ただいま。

 彼はそっと玄関先で彼女を抱きしめる。連城恭助は生まれて初めて満ち足りた気分だった。


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