十三節 「同盟」

Ep.13‐1 戦いのあと(前編)

      

 長い夢を見ていた気がする。いつめるかもわからない、夢が夢とも解らなくなりそうな、夢と現実の境界が溶けてなくなってしまいそうな、長い長い夢を。

 少女の矮躯わいくは血に染まり、今にも崩れ落ちそうに、生と死の間を揺蕩たゆたっている。それでも、彼女の双眸そうぼうは迷いなく一点だけを見つめていた。そして彼女の唇はゆっくりと、懸命に言葉を紡ごうとする。

 これは、何だ――――?

 これは、誰の記憶だ?

 頭痛が酷い。今は、彼女を――――。


       ◇            


権能イノセンス、『推定有罪バーニングコート』。戦闘行為を禁じる」

 身体が殆ど動かせないことに愕然がくぜんとし、成瀬は呟いた。

「馬鹿な、一体何をした、法条」

「何、私の目の前で醜い争いはして欲しくないのでね。戦闘行為を禁じたまでだ」

 成瀬は呆然ぼうぜんと佇んだ後、がくりと項垂うなだれた。


 法条暁の権能、『推定有罪バーニングコート』は法条が定めたルールを半径五十メートル以内の人間に遵守じゅんしゅさせる能力である。「嘘をついてはいけない」「権能を発動してはいけない」など、設定できるルールに制限はない。今まさに法条が敷いたルールは「戦闘をしてはいけない」というもの。対象がルールを破ろうとすると歯止めとして身体の動きの大部分を封じられるが、それでも破ったら即刻。裁判も何もあったものではない。


「くっ、身体が動かない……くそっ、法条、お前は私と勝負すらしてくれないというのか!?」

 成瀬は外聞も気にせず叫ぶ。

「私は争いごとは嫌いでね。かといって争いたがる人間を放っておくわけにもいくまい。だからこその、この能力さ」

 法条の三体の悪魔、フリアエたちは法条と成瀬の上空をくるくると旋回している。

「さて、お前に引導を渡すのも悪くないが、生憎私になんの罪を犯していない人間を裁く権利はない。判断は彼女に仰ぐとしよう」

 葉月がのっそりと立ち上がった。目に光はなく、ただ冷えた目線が成瀬を射抜く。

「ひっ……」

「ひとつ聞かせて。さっきあたしを襲ったのは、あなたの判断? それとも、あなたの悪魔の判断?」

 葉月は冷ややかに尋ねる。

「私じゃない。悪魔の……」

「嘘だね。原則として悪魔は人間に命令されるか、戦闘行為に入ったとみなされるまで戦闘に参加できないんだ。暁、「嘘をついてはいけない」ってルールも敷いたら?」

 メガイラが目敏く言った。眠そうに見えて、実は頭の回転は速いのかもしれない。

「そうだな。成瀬、隠し事はなしだ。正直に答えろ。お前は自分の悪魔に命じて私たち全員を殺そうとしたな?」

「……そう、そうだ。大体元はといえばお前たちが悪いんだぞ? 勝手にこんな戦いに巻き込んで……私は降りるといったのに!」

 成瀬は怯えながら吐き捨てた。

「馬鹿な人間だな。一度悪魔と契約して参加を確定させたら、もう取り消しは効かないってのに」

 ベリアルが呆れがちに侮蔑の視線を送る。

「葉月、分かってるな。あの時と同じだ、容赦はするな。お前は家族を、世界を守るんだろ。そのためにはこんな愚図は退場させといた方が後のためだ」

「うん」

 葉月は成瀬の前に立った。彼女の影が成瀬の顔を黒く塗り潰す。

「戦闘行為は禁止だと……」

「ううん、これは戦闘行為じゃないよ。一方的なだから」

 葉月が微笑んで言った。ただの屁理屈と返す気力も今の成瀬にはなかった。一方成瀬の悪魔は主の窮地など素知らぬ顔で、にやにやと笑っている。この状況さえも楽しんでいるというのか。ベリアルは歯噛みした。あの悪魔、一体何を考えている?

「おかしい、言動が矛盾してる! 皆には戦闘をするな、もう誰も殺したくないからと宣っておきながら、私を殺すというのか!? こ、この人殺し女が! 約束を反故にする気か?」

「先に仕掛けたのはそっちだけど……何とでもどうぞ」

そう言って葉月は最後の一歩を詰めた。そしてゆっくりと呟く。

「……ごめんね。

 そう言って葉月は佩刀はいとうをすらりと抜き、目の前の相手に振り下ろす。その刹那、暗闇から何者かが躍り出た。

「やめろ――――!!」

 葉月を羽交い絞めにし、成瀬から引きはがしたのは、

「あなた、なんでここに……」

 三日前、如月葉月に拾われた少年だった。

 周は葉月の手をそっと下に降ろさせ、

「駄目だ、人殺しなんて、絶対にしちゃ駄目なんだ」

 涙ながらに葉月の両腕を抑えた。

「其の方、何者だ」

 成瀬の悪魔が訝しげに誰何すいかする。

「僕は……人間です。あなたたちの戦いを止めに来ました。あなたたちが何をしているかは問わない。ただ、もう争いは辞めて欲しい。僕からの願いはただそれだけです」

「ふ、はは。人間? 人間だと? ふん……興が削がれた。今日のところはここまでにしておこう。命拾いしたな」

 そう告げて、成瀬の悪魔は踵を返した。

「なっ……お前、動けたのか?」

 ベリアルが驚きの声を上げる。

「忘れたのか? 我は人にして人に非ず。悪魔にして悪魔に非ず。そのような小癪な能力など効くはずもなかろう。ただ覚えておけ。次に我と会った時が、其の方らの最期だとな」

 少年の姿のまま茫然自失の成瀬を抱え、悪魔は姿を消した。

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