Ep.11‐2 最凶の敵

       ◇


「我が手ずから誅戮ちゅうりくの対象に選んでやったのだ、光栄に思え、女」

 少年はおごそかに言った。

「どういうこと……悪魔は人間に手出し出来ないんじゃないの……? それに、ベリアル、あなたの魔力感知は? この子は、一体何者?」

 右腕を喪った葉月を襲っているのは、動揺よりも困惑だった。

「いや、そいつは人間だ……。人間だが、もう死んでいる」

「どういうこと?」

「悪魔に身体を喰われちまっているのさ。契約者だかその辺の人間を見繕ってきたのかは知らないが、悪趣味なこったぜ。俺の魔力感知に引っ掛からなかったのも、器自体は人間だからか」

 ベリアルは吐き捨てるように言った。心底不快そうな様子で。

「ほう、三流悪魔の分際で吼えるではないか。いかにも。我が悪魔の能力は人体憑依じんたいひょういである。人間に入るなどおぞましいが、容れ物としてはなかなかに優秀だ。魂を喰らうためにただ殺すのでは面白みもない。我は無駄遣いは嫌いな質でな。人間という資源をこうして有効活用してやっているのだ」

「ふざけたことを……」

 彼とまともに相対しているのは葉月とベリアルだけで、他の全員は「余計なことを口走ればそれが自分の最期の言葉になる」と理解していた。少年の態度はそれほどまでに自然に、「自分は他人より上」という風だった。まるで人間がアリの命を無意識に摘み取るように、この悪魔は自分たちの命をなんの容赦もなく奪う。そう誰もが実感していた。


「はあ、はあ……。待て、勝手に行くなと言っただろう」

 少年から一足遅れて、高価なスーツに身を包んだ浅黒い男が姿を現した。鳶色とびいろの髪を撫で付け、香水をこれでもかとつけた男。年齢は二十台半ばと言ったところか。身なりの良さがうかがえる容貌だったが、どこかうだつが上がらない風采ふうさいだった。喩えるなら一般人が偶然に宝くじで五億円を当てたかのような、そんなちぐはぐさがある男だった。

「ほう、やっと来たのか。徒歩かちにしても遅いぞ、契約者よ。いまからこ奴等を我が皆殺しにするゆえ、黙って見学しているがよい」

 男は周囲を見回し、そしてある一点に目が釘付けになった。

「お前は……法条ほうじょう? 法条か? なぜ貴様がこんなところにいる」

 法条と呼ばれた人物――――天秤宮ライブラは応えた。

「見れば解るだろう、成瀬なるせ。私も君と同じく、悪魔と契約しここにいる」

「な……」

「ほう、知り合いか? 奇妙な縁もあったものよな。こやつも殺して構わぬのか?」

 白羊宮アリエス成瀬雅崇なるせまさたかはその場の誰よりも怖じ気づいていた。小心者の癖にプライドだけは人一倍高く、周囲から疎まれていた彼にとって、法条は唯一とも言える友人であり、かつて大学時代でのライバルでもあった。といっても彼は一度として勝ったことはなかったのだが。そんな法条を目の前にして、彼は桜杜自然公園で悪魔憑きたちを一網打尽にするとの自身の悪魔の計略に自信が持てなくなっていた。

「どんなことを企んでいるかは知らないがな、成瀬。この戦いはお前の手に余る。大人しく手を引け」

「は……はははは。誰に口を聞いていると思ってる? 私はそこの悪魔の契約者だぞ。私が一たび命じれば、貴様の五体などバラバラになるというのに……。法条、ここで出逢ったのも何かの縁だ。私に協力しろ。そうすればお前だけは見逃してやる。二人で神を目指そうじゃないか」

 天秤宮は少し考えているような素振りを見せたものの、

「断る。私はそこの獅子宮レオの言う通り、全面的な休戦を望んでいるのでな。戦いたければ一人で勝手にやってくれ」

とあっさり白羊宮の誘いをフイにした。

「つっ……。そうだ、お前はいつもそうだ。いつも私を否定する。くそっ、何故だ法条。なぜ私を認めてくれないのだ。命が惜しくないのか」

「かける命など私にはないよ。仕事をしている時以外の私など、もとから死んでいるようなものなのだからな」


 その時、少年へと一条の光が迸った。清冽せいれつなる光の奔流、如月葉月の月下美刃による一閃である。

「皆、逃げて! ここはあたしが時間を稼ぐから! お願いだから、皆逃げて下さい!」

 葉月は右腕の痛みを堪えながら必死に叫んだ。

 その一言で皆が我に帰った。再度二人へ分裂し、一目散に林道へと逃げ出す双児宮ジェミニ双魚宮ピスケスはこの機に乗じて権能『奇怪な童話イマジナリー・フレンズ』により召喚した天馬ペガサスまたがり離脱した。

「しかし、君は……」

 天秤宮は逡巡していたが、

「あたしのことはいいので、早く逃げて下さい。元はと言えばあたしの油断が招いた事態だから。自分で解決します」

との葉月の言葉を聞き、その場を離れた。

 しぐれは恐怖で腰が抜けたのか、ただ茫然ぼうぜんとその場にへたり込んでいる。場にはしぐれと葉月を残すのみとなった。

「ほう、わが身を犠牲に皆を逃がすか。その意気や良し。褒美として丹念に殺してやろう。そうだな、次は左足か」

「望むところよ」

 葉月は再び、少年と相対する。勝ち目がないと知りながら。自分にできることは、皆がこの場から離脱するのに必要な時間を稼ぐことだけだと、誰よりも強く自覚しながら。

            

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