Ep.7‐2 why?

       ◇ 


 霧崎道流は朱鷺山ビルの屋上で亡霊のように佇んでいた。

「ああ、麻里亜さん、ってしまうんだね」

 悲しそうに、けれど嬉しそうに呟いて、「私もすぐ逝くから」と呟こうとし、彼女は屋上に彼女以外の影が揺らめいているのに気付いた。

「誰だ」

 咄嗟とっさに振り向く。月明りが照らしていたのは、十代半ば程の外見の少女だった。髪は色素という概念さえ取り払ったかのように混じりけのない純白。かと思えば身に纏うローブは闇を溶かすほど鮮烈な極黒。中空へ波のように揺蕩っている髪と、身体の輪郭りんかくを浮き彫りにする衣服は、少女を外見の年齢にそぐわぬ蠱惑的こわくてきな存在へと変えていた。

「月が綺麗だねえ」

 のんびりと少女が言った。

「こんな綺麗な月夜には、愛する人を殺したくなってもおかしくないかもね。なんせ、昔からずっと月は狂気の象徴だ」

 道流は少女に向けてナイフを構えた。その姿勢は攻撃のためというより、寧ろ――。

「質問に答えろ。誰だと聞いている」

 道流は気付く。自身の心臓が早鐘はやがねを打っているのを。まだ、目の前の少女からは何の敵意も感じないのに。少女はただ、うっとりと月を見上げているだけだ。

「ボクは君たち人間が神と呼ぶ存在だ。万物の創生者、衆生の救済者、世界の観測者。そんな物々しい呼び名はいらない。まあ、君たちが参加するゲームの主催者、ゲームマスターとでも思ってくれればいい」

 道流は気付く。三神麻里亜への焦がれるほどの思慕が、ただ目の前の少女への畏怖へと塗り替えられていくのを。少女はまだ、彼女の許へやってきた理由など言及していないのに。

「ゲームが始まる前から場外乱闘も結構だけどねえ。二人も殺すとか、君、少し暴れすぎだろ。どれだけ欲求不満なの。まあ、監督者であるボクからすると、少し見過ごせないかなあ、と。そう思ってしまってね」

「私を、殺すのか」

 道流は訊いた。声は震えていた。

「いんや。。ただペナルティは受けてもらう。そうだねえ、『三神麻里亜にあいあいされること』が君の望みだったかな? そしてもうすぐ三神は死ぬから君も死に、その願いは成就するんだっけ。……じゃあ、その願いを叶わなくしちゃおうか、永遠にね」

「な、止めろ!」

 道流は叫ぶ。目の前にいる少女は、幼い子供が虫の手足や羽を千切って遊ぶよりも純粋に、賢しい大人が権謀術数けんぼうじゅっすうの限りを尽くして憎い相手を陥れるよりも意地悪く、彼女の願いを踏みにじる。ただ、それだけは理解できたから。

「ゲームマスター専用権能、『烏有トリックスター』! 天蝎宮スコーピオ、霧崎道流の権能を、!」

「止めろおおおおおおお!」

叫びは空へと吸い込まれていった。次の瞬間道流を襲ったのは、どうしようもない虚脱感。道流の権能、『愛はすべてを超えて』は「権能を無効化する権能」、『烏有』により滅殺され、麻里亜との感覚共有バイパスは遮断された。だからもう、彼女は麻里亜と死ぬことは出来ない――。

「ふざけるなっ! 私はどうすればいいんだ! 私は死ねなくなった、いや、生きられなくなった! 麻里亜さんのいない世界で、私はどう生きればいいというんだ!」

 最早霧崎道流の見た目からは冷静さや優雅さは消え失せていた。あるのはただ、やり場のない怒り、悲しみ、焦燥、絶望。霧崎道流の生きる希望は、今ここで途絶えた。

 少女はそんなことなど素知らぬように、

「大体君は願いが矛盾しているんだよ。せめて麻里亜を殺すか、愛するかのどっちかにしな。両方はどうやっても叶わないんだから……って、そうか、君は恋愛感情と殺人願望を混同してるのか。あはは、だからそんな間抜けな権能しか得られなかったわけだ! あはははは!」

 少女は笑う。心底可笑しくてたまらない、道化を目の前で演じられたように。道流は強く歯軋りをした。

「ああ。言い忘れてたけどね。君はもう生きる必要はないよ。なぜなら――」

 音が二回、爆ぜた。

「え?」

 道流は前のめりに倒れる。その胸には咲き誇る薔薇のような深紅の染みが、二輪。

「ボクは君を殺さない、そう、

 少女はキャキャッと手を叩いて笑った。


       ◆                


「ぐ……なぜ、何で、お前が」

 道流は声を絞り出して言った。目の前の現実が、あまりに不合理だったから。なぜなら、

「やあまた会ったね、金髪に碧眼へきがんの美しいお嬢さん」

 

「お前は、死んだはずだ……」

 

「この手で確かに、殺したはずだっ!」

 

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